ジーンズ賛歌

 日曜日の朝、出掛ける為にジーンズに足を通す。この時期、室温も下がっているせいか厚手のデニムが冷たい。

 振り返れば、これまで自分で購入した服の内では、ジーンズが最も多いのではないかと思う。

 このゴワゴワとして肌触りの悪いズボンが、生活していく上でいつの間にか、すっかり欠かせない存在になってしまった。

 さて、私が初めてジーンズという代物をはいたのは高校一年の時、かれこれ四十年以上も前の事だ。尚、当時はみんなこれをGパンと呼んでいた。

 形状による一般的分類は、スリム、ストレート、パンタロンベルボトム)の三種類。その他にウエスト以外ダボダボのバギー、また大工のようなサロペット(オーバーオール)等もあり、勿論私は全て揃えていた。

 尤もその頃は、あのVANの絶頂期。お洒落な男の子の殆どはアイビー野郎で、黒か紺またはキャメルの三つボタンブレザーに、今はチノパンと呼ばれるコットンパンツ、そしてローファー(我々はスリッポンと呼んでいた)という出で立ち。雰囲気だけはイイとこのボンボン風だった。

 それに引き替え、労働者階級の身なりをした我々ミュージシャンを夢見る少年達は、よれよれのジーンズと、ご多分に漏れず肩まで伸びた長い髪。それで十分カッコイイと信じて疑わなかった。

 尚、学校の制服は一応明文化されており、黒い詰襟の学生服だったが、学生運動の名残でそんな恰好をする者など殆どいないし、私服でも別に咎められる事は無かった。

 足の短い私はパンタロンを選び、高下駄のような靴を履いて街を歩き始めた。いきなり10cmも身長が伸びると、世の中が違って見える。そんな視界が異なる生活を続けていれば、恐らく考え方も変わったのではないかと思う。

 結局、私は高校から大学までの7年間、必要に迫られない限りは、ずっとジーンズで過ごして来たと言っても過言ではない。

 また社会人になっても、その当時オヤジ連中の定番カジュアル、「ゴルフウェア」で外出する事だけは避け、とにかくジーンズ三昧の日々。但し、もうパンタロンは止めて、ストレート、そしてスリムと変遷していった。

 そして今でも日常の服装は、ジーンズを主体にしてコーデとやらをしているので、年相応の落ち着きが感じられないと、指摘を受ける事もしばしばだ。

 まあスタイルの良い人は何を着てもカッコイイが、私は年々悪化の一途なので、別に今更お洒落をしようとは思っていない。

  現在、普段着用しているジーンズは全部で10本。しかしこれまで処分してしまった物を、若し今でも残しておけば、立派なビンテージ・ジーンズ屋を開けたかも知れない。そんな事を時々考えたりもするのだ。

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困ったもんだ

 随分気にはなっていたが、しばらくブログを更新していなかった。否、何度も試みてはいるのだ。お陰で下書きばかり相当溜まっている。

 しかし、どれも400字ほど書くとピタっと止まってしまう。大概は主題があらぬ方向に向かってしまい、収拾がつかなくなってしまうからだと思われる。

 それは非常に困った事だが、実を言うと、このところ全く別の事にはまり込んでいる。端的に言えばDTM、デスク・トップ・ミュージック、即ちコンピュータで音楽を打ち込む事である。

 これはブログよりずっと昔からやっている趣味で、一曲仕上げるのにかなりの時間を要する。しかしながら私に与えられた余暇は、他の人と同様物理的に限られており、あれもこれもワンオペでという訳にはいかない。

 結局、今一番やりたい事を選らぶのが人情であり、自分でも仕方無いと考えていた。取り敢えず早いところ取り掛かった曲をやっつけて、ブログに戻ればいいのだ。

 ところが、ブログ更新をほったらかしにしている間にも、僅かながらアクセスはあり、嬉しい事に読者の方も増えたりしている。

 そこで私は先ず、私自身の健康に全く問題が無い事と、このブログを継続する意思が充分ある事を伝えようと考えた次第である。

 という訳なので、もう少しお待ち頂きたいと思う。幸い下書きのストックはたっぷりとある。まとめて雑文を公開するかも知れない。

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ソメチメスについて

 私はこの「風のかたみの日記」の他にもう一つ「ソメチメス」というブログを書いている。タイトルの謂れは、ただ単に Sometimes をローマ字読みしたに過ぎない。

 その読み方は、高校時代の英語の教師が授業中冗談でそう言っていたものだ。多分スペルの覚え方か何かだったのではないかと思う。

 因みにその教師は、サイモン&ガーファンクルの「I Am a Rock」という曲の歌詞、

       Gazing from my window

              (窓辺から眺めている)         

                         To the streets below

           (下の通りの)

                         On a freshly fallen silent shroud snow

        (降りしきる眩しい雪を)

を黒板に示し、文節末尾の ow が韻を踏んでいる事を力説したりする変わった人間だった。そしてそんな事は中学の時から知っていた私も、相当変だったかも知れない。

 それはともかく、私が「ソメチメス」で何を書いているかと言うと、何と身の程もわきまえず長編小説だったりする。しかも書き下ろしだ。尚、念の為に申し添えるが、決して超変小説では無い。

 もとより私は文筆活動を生業としている訳では無く、最初はボケ防止の心算であった。従って文章の出来不出来は全く気にも留めず、先ずは書くことだけに意義を感じていた。

 無謀な長編小説執筆にあたっても綿密なノートは作らず、行き当たりばったり。大まかなストーリーはあるものの一回毎に雰囲気が違い、全く一貫性が無い。

 それは自分でも充分認識しているが、取敢えず前に進むしか無い。もし無事に脱稿して未だその気があったなら推敲すればいい、そう考えていた。

 ただ物語は足踏みばかりを繰り返し、一向に進展する気配が見えない。

 こうなったら「失われた時を求めて」並みに延々と続く小説にしてやろうかとも考えているが・・・。

 そうだ。肝心な事を忘れていた。実は今回、自分に課した締め切り、1回/週をミスってしまいそうなのだ。それを伝えたいが為に回り道をしてしまった。まあ、いつもの事だけど。

napdan325.hatenablog.jp

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Fender Rhodes の魅力

 久々に音楽ネタを。と書き出して、このブログの一貫性の無さに思わず苦笑いしてしまった。調べてみると、音楽について書いたものはそれ程多くはない、と言うか極めて少ないと言った方が正しい。まあ、この緩さが「風のかたみの日記」なので、改めてご承知願いたい。

 さて、かって私が音楽にのめり込んでいた頃、聴くだけでは飽き足らず自分でも演奏を始め、挙句にバンド活動にまで手を伸ばしてしまった。

 最初は中学二年の時、サイモン&ガーファンクルのコピー、高校ではクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとオリジナル。大学の頃はオリジナル中心、社会人になってスクェアのコピーとオリジナル。その後はDTM

 楽器は生ギターからエレキギター、キーボード。ギターは自前だが、ピアノはスタジオや会場備え付けの物、電気ピアノはレンタル。

 ここ迄書いて漸く本ブログのタイトルであるフェンダー社のローズ( Rhodes )という電気ピアノが登場する。(尚、フェンダーストラトキャスターというエレキギターは、猫も杓子も私も使用している)

 ローズの歴史は意外と古く、1960年代には既に製造されていたが、元々はそれ以前、前線にいる兵士の慰問用に考案されたらしい。

 電気楽器ではあるものの、現在主流のデジタルでは無く完全なアナログ。簡単に言えばエレキギターのピアノ版。優しく弾けば柔らかく、強く叩くと少し歪んだ音になる。

 とにかく私はこの音色にぞっこん惚れてしまい、かと言って高額だし、重量もかなりある。購入したとしても家から持ち出すのは容易ではない。

 たまに人前で演奏する際、普通のピアノは会場にあっても、ローズはその日だけ楽器レンタル屋で借りて運ばなくてはならず、従ってぶっつけ本番、タッチも結構重くて弾き辛い。しかし、この音色の魔術か、少々下手でもそれらしく聞こえるから不思議である。

 その後、お馴染みDX7サンプラー等、デジタル機器が登場し、誰でも簡単にこのサウンドを手にする事が出来るようになった。

 当然私もその恩恵にあずかっているが、あの絶妙な歪やうねりは、やはり本物とは微妙に違う、と思う。

 ではどんな音か。口で言うよりは聞いて貰った方が早いので、以下のYouTubeを。多分、「ああ、あの音か」と感じるのでは?

 

      www.youtube.com

      

       www.youtube.com

  

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多分、誰も書かなかったボージョレ・ヌーヴォーの秘密

 別に自慢では無いが(はっきり言って自慢です)、とっておきの話をする。

 今日、11月15日はボージョレ・ヌーヴォーの解禁日である。それが何物かは今さら言う必要も無いと思うし、また出来不出来を語る程の肥えた舌を、私は持ち合わせてはいない(体はしっかり肥えています)。

 唯、この生まれたてのフランスワインを、日本の街のレストランに初めて導入した人物と、その店を私は知っている。

 1973年、横田 宏 氏は三井物産の社員の紹介で、この名を冠したワイン僅か2ケースを仕入れて、自分が経営する店に置いた。

 当時、このボージョレ・ヌーヴォーなる名を知る者は殆どおらず、また味にうるさい客からは、「こんな醸造されていないワインなど飲めない」と散々な評価を受けたという。

 その店の名は「カナユニ」。客が知らない酒を紹介してしまう事が屋号を物語っている。即ち「カナ」り「ユニ」ーク。勿論、料理と接客の高い質という確固たる裏打ちが無ければそんな事は出来ない。

 カナユニは1966年元赤坂の地で開店し、現在は宏氏の御子息、横田 誠 氏が南青山に於いて、先代が築き上げた味とサービスを提供している。

 昨今ボージョレ離れの話も聞くが、未だに日本は生産量の半分を輸入する、世界一の消費国らしい。

 果たして今年、カナユニは、どの生産者のワインを、何本仕入れたのだろうか。

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napdan325.hatenablog.jp

11.11自由連想

 エンジンを掛けるとカーナビが立ち上がり、「今日はMM月DD日、XXの日です」と教えてくれる。それで11月11日は世界平和記念日だと言う。

 恐らく第一次世界大戦終結(停戦協定調印)の事であろうとは推測したが、あまり聞きなれない言葉であるし、帰宅後調べてみた。

 ネット情報によれば、やはり今から丁度百年前の今日、即ち1918年11月11日の事を指しているらしい。

 平和と聞いて、果たして争い事の無い世の中などあったのだろうかと考えた。そもそもずっと平和が続いていれば、「平和」という言葉さえ誕生しなかったのではなかろうか。

 勿論、戦争や紛争など起きずに済むに越したことはない。しかし攻撃、戦闘などに因る大量死は必然という説も存在する。種の保存=個体的調節理論がそれだ。

 この理論を人間に当てはめれば、人口の増加=食料難。これを回避する為、戦争が起きる事になる。このような生存に関する根源的な発想は極めて分かり易い。

 まあ、人の生き死にを簡単に述べる事は甚だ不謹慎と考えるので、ここで終わりにして、後はこの事から思いついた言葉を羅列するに留める。

 種の保存、大量死、パンデミック黒死病、鼠、ハーメルンの笛吹、レミングの大移動、ペスト、スペイン風邪第一次世界大戦第二次世界大戦原子爆弾BTS

最終的外交手段。

 昨今、現在の世界情勢が第一次世界大戦前に似ていると唱える専門家もいるようだが・・・。

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Trick or Treat(ピーナッツが教えてくれた)

 先ず、「ピーナッツ」がコミックのタイトルである事をご存知ない方は、ここでお引き取り頂きたい。また仮にそれを知っていても、このコミックの主人公がスヌーピーだと思っている人もご遠慮願いたい。ましてやスヌーピーがカワイイなどと言う御仁は論外なので即刻退場を命じます。

 以上、閲覧条件を提示しました。何故ならばこれから私が述べようとする事は、このコミックの壮大なバックグラウンドの知識がなければ、到底理解出来ないと考えるからであります。(実際そんなことはありませんので、是非読んで下さい)

 さて、ライナス・ヴァン・ペルト(誰だかお分りですね?)は ハロウィーンが来ても、他の子供達のように変装をして家々を回り、お菓子をねだったりはしない。

 彼はその当日、即ち10月31日、一晩中カボチャ畑にいて、一睡もせずに唯ひたすらカボチャ大王(Great Pumpkun )が現れるの待ち続ける。

 彼によれば、大王はその年一番出来の良いカボチャ畑から現れ、子供達に玩具などのプレゼントを配るのだと言う。

 畑の出来の良し悪しは、作物の収穫高など全く関係なく、いかに偽善、欺瞞のない、誠実さの有無にかかっている。ライナスは近所の畑を巡って、今年はこの畑が一番だと確信した場所、そこに居を定める。

 そして彼はそのような大王に関する知識を、決して独り占めすることなく、それどころか友人をはじめ近隣の家々に、偉大な大王を迎えようとの啓蒙さえ行っている。

 しかし、成績優秀で深い洞察力があり、ある意味天才と言っても過言ではない彼が、何故かこの件については全く信用されない。

 また、その話を聞いた友人の一人が、プレゼント欲しさにカボチャ畑を急造。それを見せられた時、彼はただ一言「いままでこんな偽善的な畑を見たことは無い」と嘆いたりもしている。

 それはあたかも地動説を唱え、異端の烙印を押されたガリレオ・ガリレイの如く、常に周囲の偏見と無理解に晒されてしまう運命にある。

 それでも彼は、強い信念をもって毎年畑で夜を明かす。だが、天は味方せず、今まで一度も大王に出合った事は無い。

 心優しき彼の親友チャーリー・ブラウンが、見るに見かねて問い質したことがある。「何故、カボチャ大王がいると信じるんだい」

 ライナスは答える。「君が赤い服を着てホーホーホーというじいさんを信じないのなら、僕もカボチャ大王を信じないよ」

 コミック「ピーナッツ」には様々なアメリカ文化が登場する。それは1970年代、私に、そして恐らく日本人にとって初めて耳にする単語や風習であった。

 例えばジョギング、バレンタイン・カード、イースター・エッグ、ピザパイ、ルートビール、マシュマロを焼くetc.  そしてこのハロウィーン

 「Trick or Treat」今では日本に於いても幼児でさえ口にするその言葉を、当時知っている者は周囲に誰一人いなかった。

 そう思うと全く隔世の感がある。

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