何気なくフェイスブックとインスタグラムを開くと、『1970年1月26日、「明日に架ける橋」(Bridge Over Troubled Water)がリリースされた』という記事に目が留まった。
「そうか、あれからもう50年も経つのか」
多くの人には多分、それぞれ強い思い入れと共に、忘れられないミュージシャンがいるのではないかと思う。ある人はそれがビートルズやボブ・ディランであったり、はたまた尾崎豊、ピンクレディーだという事もあるだろう。
それは我々が最も感受性が強い時期に、「偶然起きためぐり逢い」とも言える出来事かも知れない。そして私にとってのそれは、紛れもなくサイモン&ガーファンクルであったと断言出来るのである。
私が始めて彼等の歌を聞いたのは、ラジオから流れる「サウンド・オブ・サイレンス」。その曲を使った映画「卒業」が公開中で、私は未だ小学生だった。
やがて私は販売されているサイモン&ガーファンクルの全てのアルバムを集め、更にはギターを買って貰い、中学では二人でコピーバンドを組んで、以後どっぷり音楽にのめり込んで行った。
S&Gがデビューしたのは1964年の事で、流石にその頃は全く知らず、彼等のキャリアは全て後追いであったが、「明日に架ける橋」以降はまさしくリアルタイムで経験した事ばかりである。
それらを書き出せば(もし書く事が出来れば)優に分厚い本一冊が完成するだろうが、残念ながらそこまでの気力も技量も持ち合わせてはいない。
その代わりに長年のS&Gフリークとして、真偽の程は定かではないものの、この「明日に架ける橋」に纏わる逸話を幾つか書いてみたい。
1. 曲のタイトルは当初「Hymn」(讃美歌)であった。
2. サイモンはこの曲を書き上げた時、これは今までの中で最高傑作だと確信し、すぐさまガーファンクルに聴かせたところ、意外にも彼の反応は冷淡であったという。後にガーファンクルは「いい曲だとは感じたが、最高傑作では無く、歌いたいとも思わなかった」と述懐している。
3. サイモンは最初からガーファンクルが歌う事を想定して作ったが、ガーファンクルはサイモンがファルセットで歌った方がよいと逆に励ました。
4. この曲は当初2番までしかなかったが、ガーファンクルやプロデューサーのロイ・ハリーの進言によって、サイモンはスタジオで3番の歌詞を書き足した。
5. その3番の歌詞にある「Sliver girl」という言葉は、当時サイモンの妻だったペギーの髪に白髪が混じっていた事による。
8. アルバム発売前に行われたカーネギーホールでのコンサートチケットは完売し、この曲は観衆から熱狂的支持を受けたにも拘らず、ニューヨークタイムズは「うんざりするような、まさに感傷を全面に押し出した信仰の歌」と評した。
まだまだこの他にも興味深いエピソードはあるが、機会があればいずれまた。
ところでこの1970年、偶然、ビートルズも力強いピアノのイントロで始まるゴスペル調の曲「レットイットビー」を発表している。
それを「時代の要請」と捉える向きもあるようだが、多分考え過ぎのような気がする。何故なら両者共、それ迄共に音楽を追求して来たパートナーとの関係に綻びが見え始めた時期であり、それを片や「荒れ狂う水に身を投げ出そう」、一方は「あるがままに」と歌っているからである。尚、それから間もなくして両者は解散している。
さて、何れにしても私にとってS&Gは、単に好きなミュージシャンというだけに止まらず、物の見方、考え方、そして性格や行動やに至るまで大きな影響をもたらし、ある意味、今ある自分を形成したとも言える存在である。
その中で「明日に架ける橋」は、 ポール・サイモンという傑出したソングライターとアート・ガーファンクルという稀代のヴォーカリストが、それぞれの奇才を遺憾なく発揮した賜物と言えよう。
まさかこの曲をご存知無い方がいるとは考えられないが、念の為にYouTubeを添付する。
レコードでこの華麗なピアノアレンジを担当し、自ら弾いているのはスタジオミュージシャンでブレッドのメンバーでもあったラリー・ネクテル。
Simon & Garfunkel - Bridge Over Troubled Water (Audio)
後にセントラルパークのライブでは、スッタフのメンバー、リチャード・ティーの、よりゴスペル色が強いピアノプレイを聞く事が出来る。
Simon & Garfunkel - Bridge over Troubled Water (from The Concert in Central Park)