新生老舗レストランを南青山に訪た <その1>

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此処は何処なのか。
キャンドルが揺れているからピアノが鳴って
いるのだろう。
だがそれは現実の音ではないようだ。スペインか
ポルトガルか…30年以前の昔だ。
夢に憑かれたように歩いたフランスの何処かか。
ピアノの調べが遠くなる…。
そして何故か私は古びた階段を登ってゆく。
すると冷やかな風が流れ出し入口に星が見えた…。

仰ぐと紛れもなくそれは元赤坂…。
夜空のタペストリー。

(以上、旧カナユニ・ホームページから引用)

 

 「カナユニ」はオーナー横田 宏 氏が1966年、東京・元赤坂にて創業したフレンチ・レストラン。店名の由来は「カナ」り「ユニ」-クだと言う。後に人気メニューとなるオニオン・グラタンスープをあの三島由紀夫に絶賛せしめ、石原裕次郎を始め数多くの著名人を顧客に抱え、また現在ではすっかり定着した感のあるボージョレヌーヴォーを日本で初めて紹介した等々、この店に纏わる逸話は枚挙に暇が無い。

 そのような店を私が知った切っ掛けは凡そ15年前、勤務先の社長から「M社の社長を食事に招待する事になったので付き合って貰いたい。ついては店を何処にするか何かアイディアはあるか」との提案を受け、長年営業部門を所管する私はそれまでの経験から、和食の懐石であれば先ずスベル事は少ないので、超一流とは言えないにせよ、そこそこの割烹の名を幾つか挙げたところ、客はどうも洋食が好きらしいとの返事。

 『だったらそれを先に言えよ』と内心思いながら、私は「その社長の部下の取締役や部長は知っているので、好み等の情報収集をしてみる」と答えると、彼はそれなら自分の心当たりがある店でいいかと言うので勿論異論無く、後は任せて退出した。

 その日の夕刻、社長がメモを持って私の所に来た。ここを予約したので宜しくと言う。それを見ると、店名に「カナユニ」とあり、併せて所在地、電話番号が記入されている。初めて聞く店名であり、その珍妙な名の意味を訊ねると「かなりユニーク」との回答。

 実を言うと、予てより私は彼の「食に対するセンス」に甚だ疑問多々あり、ましてや「カナユニ」などと言うおチャラけた名の店に対し、一抹どころか大いなる不安を抱いて出掛ける事となった。

 さて、社長に連れられ元赤坂の店の前に着くと、特にそれらしき表示は無く、唯、大きな鍵を模った看板が掲げられていて、その斜め下ある扉を開け階段を下り、次の扉を開けると、目の前に「カナユニ」のほぼ全景が広がった。

 照明は控えめ、各所に置かれた蝋燭の灯りを際立させている。右手にはグランドピアノとコンパクトなPAシステム、左手には一段高いバーカウンターがあり、それを花飾りで区切り四人掛けを基本としたテーブル席という構成だった。

 客二人(社長と常務)は既に来ており、私達は直ぐ食事を始めたが、我が社長お勧め「牛肉のタルタルステーキ」なるメニューをオーダーすると、テーブルの横に折りたたみ式の台を広げ、何と生肉のミンチに微塵切りにした香味野菜か果物らしき物と香辛料を混ぜ皿に盛る。それをパンに乗せて食べるのだ。あまり的確な例えとは言い難いが、朝鮮料理のユッケを思い浮かべて欲しい。勿論、味は全く違う。

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牛肉のタルタルステーキ

 私はなかなか美味しいと思ったが客は殆ど手を付けず、社長のユニークな作戦は見事失敗に終わった(だから懐石料理にしておけば良かったのだ)。しかしエスカルゴや他の料理には満足して貰ったようにも見えた。

 この店のフロアースタッフは全員ブラックスーツかベストに黒の蝶ネクタイを着用、物腰は柔らかく丁寧、客を不快にする要素は微塵にも感じられない熟練のプロフェッショナル達で、勿論料理も雰囲気も素晴しく私は入店後1時間もしないうちにすっかり虜になっていた。

 その夜は二次会も無く無事に終了。社長の店選びのセンスを若干見直した私は、翌朝社長室へ行き昨夜の礼など述べた後、一体どうやってあの店の存在を知ったのか訊ねたところ、以前商社勤務だった頃、同業他社や顧客の同世代で、定期的に「お勧めの店」を紹介しあう会で知ったとの答え、私は「矢張り」と妙に納得した。

 それでも私の「カナユニ」への興味は尽きる事無く、それこそもっと奥床しい(行きたい、見たい、聞きたい、知りたい)気持ちを抑えられず、あれこれ手段を考えるようになった。

 最も手っ取り早いのは、私の顧客か業界他社の知り合いを誘う事だったが、何故か皆大酒呑みばかりで、日本酒、ウイスキー・ワイン、白酒・紹興酒、比較的安価と思われる焼酎も「森伊蔵」や「亀の雫」「百年の孤独」(ガルシア・マルケスのパクリか?)等を腹一杯飲むような連中。

 そのような飲んだくれを「カナユニ」に招待するのは、料理はともかく酒手だけで天文学的勘定になる可能性大で、ゴルフをセットする方が安上がりかも知れないと、情けない事に思わず躊躇せざるを得なかった。<続く>

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新生老舗レストランを南青山に訪た <序章>

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 今年はなかなか梅雨が明けない。それどころか先日の「令和二年七月豪雨」により甚大な被害を被った地域に、更なる追い打ちをかけるかのような大雨が尚も降り続いている。

 懸案の「新型コロナ禍」も同様。全く収まる気配は見えず、長引く不自由な生活に気分もまた曇りっぱなしなのである。

 ところで最近、このブログの過去の記事が閲覧され、はてなスターが付いたとの通知が時折舞い込む。筆者としては誠にありがたい限りであり、素人とは言え「物書き冥利」に尽きる出来事である。この場を借りて読者の方々に厚く御礼申し上げる。

 そこで、一体どの記事が読まれているのか気になり確認すると、中には文中に貼ったリンクが切れていたりする。ニュース記事などの外部リンクならば致し方無いが、これが以前自分が別のブログに書いたものの場合は、少し不親切ではないか。そう考えた。

 そこで多少なりとも斯かる事態を改善しようというのが今回の企てである。というのは建前で実際は昔の記事でお茶を濁す、いつもの手抜き発想である事を、賢明な読者諸氏は既にお見通しの事と拝察するが、何卒お目こぼし願いたい。

 という事で先ず手始めに、以前私が別のブログに掲載し現在は削除した投稿を、以後6回にわたりこのブログに再掲してみたい。内容は一般受けしそうなグルメ・ネタ。「カナユニ」というフレンチレストランと私の物語。お付き合い頂ければ幸甚である。

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ハーフは嫌(Half a year)

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 そろそろブログを更新するタイミングかと思いつつ、いつものように全くやる気が出ない。そこで「はてなブログ」の「今週のお題」を覗くと「2020年上半期」の文字。どうやらこの半年間を振り返ってみようという企画らしい。

 と、その時突然、楽する事ばかり考えている灰色の脳細胞を、あたかもガンマ線バーストのように名案が突き抜けた。「この半年の間に書いた記事の中から幾つかを選び、リンクを貼り付ければ一丁上がり。こんな美味しい『お題』を見逃す手は無い」

 安直と言われようが手抜きと蔑まれようが、別に人様に迷惑をかける訳ではない。なまじ尤もらしい御託を並べ、思わぬ誤解を招いたり不快な印象を与えるよりは余程マシではないか。

 早速状況を確認するとこの上半期に「花あり、食あり、音楽あり」、良く言えばバラエティーに富んだ、実態は支離滅裂なブログを70編投稿している事が判明。この中から各月1編を目安とし、改めて御紹介申し上げる次第である。

 

 1月

 中国で新たな病が発生したらしい事は既に伝わっていたが、この頃は未だ殆ど他人事だった。

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 2月

 偉そうに言えば、この頃からブログとYouTubeの融合を考え始めた。

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 3月

 今年は憑かれたように桜を追い続けた。コロナ禍さえ無ければ更に足を延ばす心算だったが。

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 4月

 パンという食べ物には不思議な魅力がある、と思う。

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 5月

 何だかんだ言ってもスマホ無しの暮らしは考えられなくなってしまった。

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 6月

 制約のある生活の中で見つけた数少ない楽しみがこれ。

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  おまけ

 これまでラジオ番組にリクエストした事など殆ど無かったが、何故か採用される予感があった。

kaze-no-katami.hatenablog.jp

 

 

 さて、暦は既に7月下旬。2020年の残り半分、どのような事態が起きるのか見当もつかない。願わくば世界に平穏な日々が戻らんことを。

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季節の花(文月)

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 今年もまた記録的な豪雨により各地に甚大な災害が発生、数多くの掛け替えのない命と財産を奪った。このようなニュースを見る度に、これだけ科学が進んだ現代、しかもその最先端を行く日本において、未だに自然災害を防ぎきれないという現実をもどかしく思うが、そのような発想は神をも恐れぬ思い上がった所業なのだろうか。

 「少しでも命が助かる可能性の高い行動を」。その言葉の重みを、今更ながらに痛感せざるを得ない。未だ油断は出来ないものの今は先ず、被災地の一日も早い復旧と、なお一層の治水対策の整備を願うばかりだ。

 そして防ぎきれないと言えば、相変わらず「新型コロナウイルス」の感染。この流行が広く認知されるようになって既に半年以上が経過する。しかし今なお収束の見通しは立たず、それどころか感染者の絶対数は増加を続けている。

  三密の回避、マスクの着用、ソーシャルディスタンスの順守。自分なりにそれらを実行している心算でも、ここに来て流石に息が詰まって来た。決して特別では無いこれまでの日常が、これほど尊く愛おしいものだったと、失くして初めて気づいているのだ。

 とは言え、毎日嘆き悲しみ、立ち盡している訳ではない。今出来るささやかな楽しみと言えば精々そぞろ歩き程度だが、今回もまたカメラを持ってブラブラと出掛けた。

 「趣味が写真」だとは全く考えてはいない。それでも、この春購入した安価なカメラとレンズに少し慣れてきたような気もする。そこでそれらの写真をまたYouTubeに纏めてみた。『ワンパターン・マンネリ化も継続すればいつかは個性』。ご覧頂ければ幸甚である。


文月の花/風のかたみの日記

 ところで思わぬ臨時収入の特別定額給付金10万円。当初は高級レストラン攻略の軍資金にする心算だったが、この様子では当分外食には行けそうもない。ならば新しい交換レンズの購入にでも充てるとするか。

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今週のお題「納豆」(用も無いのに納豆売りが)

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 久し振りに「今週のお題」について書いてみようと思う。因みにそのお題は「納豆」。何故この時期に納豆なのか考えてみたが、思い当るのは精々7月10日が語呂合わせ(7=ナ、10=トウ)で「納豆の日」だという事位しかない。

 それはさておき、結論から先に言えば私は納豆が好きではない、というかはっきり言って嫌いだ。全く何が悲しくてわざわざ腐った豆など食べなければならないのかと思う。「否、腐っているのではなく発酵しているのだ」。そういう反論が束になって押し寄せる事は百も承知。しかし、だからと言って嫌いなものが好きになる訳ではない。

 私が「納豆」を嫌う理由は極めて明快だ。何よりも先ず「美味しくない」。そして「臭い」。更に「ネバネバと糸を引く」。以上の三点が挙げられる。

 「美味しさ」については人間の五感や食品の旨味成分等を科学的に分析、研究したレポートもあるが、要は個人の嗜好と考えるべきであろう。とすれば「納豆」は私の嗜好では無いのだ。

 次に「臭い」。と言っても常温では「くさや」を焼く程の暴力的破壊力は無い。しかし暖かいご飯にかけると腐敗臭がプーンと漂ってくる。もし定食屋などで隣に座る御仁がそれをするならば、立派にスメハラとして成立するではないかと思う。

 そして「ヌルヌル・ネバネバと糸を引く」。通常、食品がこのような状態になっていれば、我々は「腐っている」と判断するが、それこそが異物誤食から身体を守る自己防衛本能、即ち『食べてはいけない』との警告に他ならない。

  確かに自然界にはネバネバする食材は他にもある。例えば山芋、オクラ、海藻類がそうだ。しかしそれらは人工的に発酵させた訳ではなく元来の性状なのである。しかも腐敗していないので臭いは殆ど無い。

 それでもなお「納豆」は体にイイという主張がある。私はそれを否定する心算は毛頭無い。食べたい人は食べればいいし、それで健康が保たれていると信じていればいい。

 しかし「納豆」を食べない私が不健康かと言えば、決してそうではない。中性脂肪コレステロール値は至って正常である。

 もし納豆に評価する点があるとするならば、かって体にイイという噂だけで一定期間スーパーの棚から姿を消し、そして忘れ去られてしまった数多の食品がある中で、唯一「納豆」だけが常に充分な供給量を維持し、安価なたんぱく源として、しぶとく生き残っている。この事実だけは認めざるを得ないだろう。

 だが食べ物に於ける健康志向も、度が過ぎれば反って逆効果、時として危険を伴う場合がある事を忘れてはならない。 例えば飲酒等により弱った肝臓には「しじみ」が効くとの神話がある。しかし貝類は鉄分を多く含み、肝炎や肝硬変を発症している場合、鉄分の過剰摂取は臓器自体に更なる負担をかける事にもなり得るのだ。

 また最近は時節柄、納豆は免疫力を高め「新型コロナウイルス」に感染しにくくなる、と吹聴するマスコミも散見される。だが、「感染者における納豆食の有無と傾向」なるデータでも示せば話は別だが、エビデンスの無い情報は、単なる流言飛語と何ら変わりないのではないのか。それとも日本の感染者数が他国に比べ少ない理由は「納豆」があるお陰とでも言いたいのだろうか。

 さて、ここまで思いつくまま支離滅裂、言いたい放題であった。かって私は友人から「納豆を食べられないのは日本人として不幸だ」とまで言われた事がある。しかし、私は別に不幸だとは思っていないし、第一、納豆を食べられない訳でもない。唯、自ら好んで食べないだけである。無論、納豆がこの世から姿を消しても何ら困る事は無い。

 余談ながら最後に「納豆」に関する逸話を。凡そ30年前、ニューヨークへ行った際、アテンドしてくれた現地アメリカ人商社マンに「先の大戦で我が国は敗れ焼け野原となった。戦後、廃墟の子供たちは、乗り込んで来た進駐軍の兵士に向かって片言で『ギブ・ミー・チョコレート』と言い、その甘い菓子をねだった。もしも日本が勝っていたら、米国の子供は日本兵に対し「納豆ちょうだい」と言っていたかも知れない」というジョークを話した事がある。しかし全く受けなかった。甘納豆と言えば良かったのだろうか。

 ところでアイキャッチ画像を撮る為だけに買ってきたこの納豆。捨てる訳にもいかず、仕方がないのでタップリの葱とカラシで食べる事にする。かき混ぜる回数は勿論、旨味成分がピークに達する400回に決まっている。

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夏の始めのハーモニー(都人への密かなるオマージュ)

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 先日たまたまYouTube海上自衛隊の歌姫、三宅由佳莉三等海曹の歌を聞き、甚く感銘を受けた。確かにあのような圧倒的歌唱力の独唱は、他の追従を許さないものがあると思う。しかし、それでも子供の頃からサイモン&ガーファンクルCSN&Yキャンディーズのフリークである私は、矢張りハモりが無いと何となく物足りないように感じてしまう。

 という事で今回はその「ハモ」について深く掘り下げてみようと考えた。そこで早速「鱧」である。なんのこっちゃ。

 ところで世の中には「長いもの」が苦手という人がいて、土用の丑の日などには一切興味は無く、全く鰻を食べなかったり、中には写真を見ただけで嫌悪感を持つ場合もある。従ってそのような方は、これから先へは進まない事をお勧めする。

 さて、かく言う私は「長いもの」の中で鰻は普通に食べるが、流石に蛇は嫌いであるし、鰻と同じ仲間のウツボは食べようとは思わない。因みに穴子もあまり好きではない。

 ところが、これが「鱧」になると話は違う。

 一般的に「鱧料理」といえば京都が有名である。しかし京都には舞鶴など日本海側には海はあるものの、「鱧」の水揚げ量が圧倒的に多い瀬戸内には面していない。かって只でさえ暑い夏の京都に、その瀬戸内から生きたまま輸送可能な鮮魚は「鱧」しかいなかった。そしてそれ程の強い生命力を持ち合わせた魚を食べれば、精力がつき夏バテ防止にもなる。というのが「鱧食始まり」のストーリーらしい。

 因み私が初めて「鱧」を食べたのは社会人になってからだと思う。そこそこの店に案内されると、皿に乗った白い身と梅干しを潰したような物が運ばれて、見様見真似で食べてみる何とこれが絶品ではないか。

 食べ物の嗜好は年齢と共に変化する事が多いが、鱧に関してはそれ以来、私の「好物ベスト10」内に留まったままである。

 であるからこの季節、和食系の店に行き、お品書きに「鱧」の文字を見つけると、まず間違いなく注文する。だが高級店はともかく居酒屋レベルでは冷凍品しかなく、残念ながら美味しいとは言い難い。尚、私は病が高じ終いには京都の専門店を予約して、その為だけに新幹線に乗った事もある。

 勿論、わざわざ京都まで行かずとも東京にも「鱧」の専門店はある。唯、天ぷらや蒲焼、鍋など調理方法を変えたとしても、食材が全て鱧では流石に飽きる。私としては湯引きした「鱧」を少量食べれば満足なのである。

 今でこそ首都圏のスーパーでも骨切り湯引きした鱧を見かけるようになったが、これも殆どは冷凍物であり、中には噛んだ瞬間、口の中に水が溢れ出す程度の低い代物まである。

 はっきり言える事は、そもそも鱧の湯引きは活きた鱧を使わなければ「鱧の湯引き」とは言えないのである。

 そこで昨年、 私の数少ない馴染みの店「鮨さいとう」の大将に相談したところ、二つ返事で「出来ます」と言う。御足が幾らになるか確認はしなかったが、京都に行くよりは安いだろう。早速事前予約をして出掛けた。以下はその記録である。

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締めたばかりの鱧

  大将が見習さんに下ごしらえを任せたが、カメラを向けると緊張してしまったようだ。


鱧の湯引き1/風のかたみの日記

  そして大将が「骨切り」


鱧の湯引き2/風のかたみの日記

  骨切り後、湯引きをして出来上がり。不味かろう筈が無い。

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鱧の湯引き

 「鱧」を生食しないのは血液に毒があるからだそうだ。これを料理として食べられるようにする迄、恐らく多くの犠牲を払ったに違いない。私はここに、食文化の為、人知れず命を賭して挑んだ京都人の開拓精神に敬意を表するものである。

 そして、いよいよ金鳥鱧の夏がやって来る。移ろう季節を愛でながら旬のものを頂く事は、日本人として最高の贅沢であり悦びである。しかしここに来て新型コロナウイルス感染者の絶対数は再び増加傾向にある。この夏はハーモニーも諦めざるを得ないのだろうか。

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バンカーの思い出(或いは失われたパトス)

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 一年前、新橋烏森にある小さな飲み屋が、ひっそりとその歴史に幕を閉じた。

 「バンカー」と言う名のその店は、元来、銀座のホステスだった女性が始めたもので、彼女が引退した後は息子の「マスター」がそれを継ぎ、一時期、若い女の子を雇った事もあったが、ここ数年は彼が一人で切り盛りしていた。

 私は大学を卒業後サラリーマンになり、漸く新しい生活に慣れた頃から、部署は違うが同じ事務所内の先輩二人とつるんで行動する事が多くなっていた。

 我々三人は仕事を終えると、同じビル内の居酒屋に集合。取敢えずビールとツマミで腹ごしらえをしてから、専らその「バンカー」に入り浸り、深夜まで酒ばかり飲んでいた。

 そこはカウンターとボックス席を合わせて10人程で一杯になる狭い空間で、主たる客は元ホステスの頃から「ママ」の贔屓筋だった年配男性達。彼等は8トラックのカラオケのマイクを奪い合うように、リズムと音程の不一致度を競い合っていた。

 それはさておき、そうやって飲んでばかりの我々は、会社の役員や上司達から 、ある時は「グラスの代わりにクラブを持て」と、無理やりゴルフをセットされたり、「乾き物の代わりにパイをつまめ」と半ば強制的に雀荘へ誘われたり、要は一人では遊べない老人達の喜び組として利用されていた。

 確かに酒ばかりでは体に悪い。しかし時間外や休日迄も年寄り共のお守りでは息が詰まる。そこで考えついたのがバンド結成だ。

 先輩の一人「N」は、子供の頃から正規のピアノ教育を受けており、バイエルの底辺から抜け出せない私とは違い、ソナタは完璧に終了したという。これは期待出来るかも知れない。

 もう一人の「F」は大学時代、同級生とデュオを組んでいたらしく、殆ど弾けないが一応白いギターも持っているとの事。何を歌っていたのか聞くとNSPだと言う。「それってもしかして ♪こーんな河原の夕暮れ時に、呼び出したりしてゴメンゴメン♪」の、あの気色悪い天野滋が率いるNSPか」と聞くと「そうだ」と答える。

 嫌な予感がしたが、しかしまあ、ギターを持っているのであれば、1小節に1音だけ弾く、所謂「白玉小僧」(全音符の意)で何とかベースはやれるのではないか。

 そして「マスター」。我々が彼の顔を見ると、いつになく控えめな口調で呟くように言った「俺、昔、ちょっと柳ジョージのバックで叩いてたんだ」

 これで話は決まった。問題はエレキベースが無い事だった。そこは当然「白玉ベーシスト」になる人間が用意すべきだだろうと、酒を飲みながら皆で「F」を散々攻め立てたが、先立つものが無いと言ってなかなか首を縦に振らない。

  すると黙って聞いていた「ママ」がしびれを切らしたのか、自分の指からリングを抜いて「これを質屋に持っていけば幾らかにはなるだろう」と啖呵を切った。これには流石に「F」も観念せざるを得ず、数日後、お茶の水の楽器店でショートスケールのベースを購入する事となった。

 因みにバンド名はブーフーウー。我々三人が子豚で「マスター」は狼君という設定である。

 次は練習場所の確保である。スタンドアローンのPCしか無かった当時、雑誌等を調べた結果、日本橋の職場から程近い秋葉原Laox楽器館の中にレンタルスタジオを発見。TAMAのドラムセット、キーボードはFender RhodesとKORG BX-3、他にアンプ類が揃ってリーズナブルな価格設定。早速私は昼休み、手続きに出向いた。

 地下鉄の駅から歩いて行く途中、白い衣装を纏い、訳の判らない日本語でチラシを配る若い男達がいた。何者かと近所の顔見知りの店員に尋ねると、格安パソコンを売っている「マハーポーシャ」という店の人間だという。「あそへは行かない方がいいですよ」彼は最後にそう付け加えた。その理由は後に「地下鉄サリン事件」として知る事となる。

 Laoxのスタジオの受付には若い女子社員が一人座っていた。後に我々は彼女を篭絡し、本来は認められない予定の変更等、便宜を図って貰うようになり、またある時は、彼女の為だけに土曜日「バンカー」を開け、接待した事もあったが、その時は淡々と手続きを済ませ、次の隔週出勤の土曜日の午後、ついに記念すべき第一回目のスタジオ入りを迎えた。ところがである、

 ベースの「F」はチューニングに一時間もかけた挙句に白玉どころか全休符。

 ドラムスの「マスター」が叩いていたのは柳ジョージのコンサートでの拍手だった事が判明。スネアだけでもリズムが取れない。

 キーボードの「N」はショパンなら弾けるがコードという概念に疎く、CやAmといった記号を鍵盤に置き換える事が出来ない。

 私を待ち受けていたのは全くアンビリバボーの世界。それでも諦めずに隔週土曜日、練習4時間、反省会6時間を続けた我々に、突然、救世主が現れた。私と同期入社の「S」が札幌から転勤してきて、我々がバンドを組んでいる事を聞きつけ、自分も「かてて」(加えて)くれと言ってきた。

 彼は最初、サイドギターをやると言ったが、スタジオでの休憩時間、ドラムを叩くとこれが何とマトモだ。聞けば学生時代、生バンド付の酒場で叩いていたらしい。

 そこで急遽楽器の担当をコンバート。「S」がドラムス、「マスター」がベース、「F」は見学と定めた。

 丁度その頃、CBSソニーが新たなレーベル立ち上げに伴い、新人を募集するというニュースが伝わった。早速これに応募する為、先ずバンド名を変更。南仏・プロバンス地方に吹く強い北西の季節風「Mistral(ミストラル)」という、名前だけでも思いっ切りオサレなものに決定。オリジナルを2曲、DTMを駆使して録音し、写真と履歴書を添付して送付した。

 このバンドはその後2年程、相変わらず練習4時間、反省会6時間の活動を続けたが、やがて勤務先は完全週休二日制となり、「S」はまた転勤、「F」は肝がんで早世、「N」は別会社に移籍、Laoxのスタジオは閉鎖となって、自然消滅した。

 そして「バンカー」には、かっての我々みたいな若い客が入り浸るようになり、私も歳を重ねるに連れ、次第にこの店から足が遠のいてしまった。

 それが昨年、突然の「バンカー閉店」の知らせを受け、辛うじて生き残った「N」と「S」と私は、久し振りに店に集合。すっかり変わってしまった頭髪や、体型を見合わせ、何はともあれ互いの無事を祝って乾杯した。

 酒を酌み交わせば、遠い日の思い出が昨日の事のように蘇る。ドラムスのみならずゴルフの腕も過大に誇示していた「マスター」の照れ笑い、結婚が決まった事を報告するLaox受付嬢の満面の笑み、そして死んだ「F」の屈託の無い大笑い。

 ほんのひとときだけ、優しい時間が流れた夜。しかし若さと勢いだけで駆け抜けたあの日々を、再び呼び戻す術はない。

 

 という訳で、今回は我々Mistralがレコード会社のオーディションに応募した楽曲をご披露しようと思ったが、かれこれ30年以上経つにも拘らず、未だにその結果が届いていない。恐らく今なお審査中と考えられるので、一応見送る事とした。

 その代わり、ラジカセで録音したスタジオでの演奏を完全無修正で添付する。曲は「OMENS OF LOVE」と「PRIME」。どちらも日本を代表するフュージョンバンド「スクウェア」の名曲を、我々がわざわざ迷曲にアレンジしたものである。 


OMENS OF LOVE / MISTRAL

 


PRIME / MISTRAL

 今般の新型コロナウイルスによる飲食店の惨劇を考えれば、昨年店を閉めた「マスター」の判断は正しかったのかも知れない。そんな気がする今日この頃である。

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