新生老舗レストランを南青山に訪た <その2>

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 さて、誰を誘って「カナユニ」へ行くか。灰色の脳細胞に真っ先に浮かんだのは大学の同級生二人の顔。我々三人は卒業後も連絡を取り合い、時折会う他に毎年1度、観光&グルメ旅行を実施。北は冬の北海道、南は夏の沖永良部島まで日本各地に足を運び、名所旧跡の見学は勿論、美しい景色に息を吞み、思いがけず美味しい食べ物に出会う時もあれば、期待に反し大外れした事もあった。

 彼等ならばこの「カナユニ」というレストランの価値を認めてくれる確信はあった。しかしよく考えてみると夫々次第に責任ある立場になり、しかもその頃、一人は難病の子供を抱え対応に追われていた為、迂闊に声は掛けられない。世の中には親しいが故に控えなければならない時もある。

 次に考えたのは新人教育を一緒に受けた同期入社の中で、特に親しくしていた二人。だが彼等は転勤で東京にはおらず、こちらも諦めざるを得なかった。

 そんな時ふと思い出したのが赤坂の貿易会社に勤める知人Tだった。そのTとは、とある場所で顔見知りになり、何と同じ小学校出身だった事もあり、その後2度程二人で飲みに行っていた。早速メールを飛ばしたところOKの返事。

 その夜、私は「カナユニ」に予約の電話を入れた。応対したのは浅見さんという最古参のフロアースタッフ。小柄で痩身そして見事な白髪の持ち主、前回我々のテーブルの担当者だ。勿論接客の素晴らしさは言うまでもない。

 料理はアラカルトで頼み席の予約はすぐ取れた。用件が済み私が宜しくと言うと、浅見氏は当日何か用意しておく事はあるかと聞く。直ぐにはその意味を理解出来ず黙していると、すかさず何方かの誕生日ですかと言い直してくれた。私はその必要は無い旨伝え、先方のお待ち申し上げております、で会話は終わった。

 そして一日千秋の思いで待った「カナユニ突入の日」がやってきた。夕刻、赤坂見附で待ち合わせたTと二人店に入ると、浅見氏が迎えてくれ席へ案内。そこでコート等を預け着席。おもむろにメニューが夫々に渡され、取敢えず飲み物を聞かれる。

 長年ビール党の私は迷わず生ビール、Tは白ワイン。そこで浅見氏の問いが入る。「ワインはどの様な物にいたしましょうか」。Tは具体的銘柄や年代の指定はせず(と言うより出来ない)、あまり甘くないスッキリした飲み心地、的なオーダーをして、白髪の紳士は「かしこまりました」とだけ言って立ち去った。

 因みに我々の手元にはワインリストが残されていたが、判るのはどれもかなりイイ値段だという事位だった。尚、この店ではグラスワインの用意もある。

 料理の方はこちから合図しない限り注文を取りに来るような事は無く、ゆっくりメニューから選べばいいのだが、前回来た時は、ろくに目を通す事も出来なかったので何を頼めばいいのか判らない。

 取敢えず評判だというオニオングラタンスープとサラダを頼み、またメニューを眺めているとバスケットを運んで来た。中には数種類のパンが入っており、私はフランスパンとバターバターロール選んだ。外側が熱々カリカリのフランスパンを千切り、昔ながらの小さな陶器に入った硬いバーターを削って塗ると、途轍もなく美味しく思えた。  

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オニオングラタンスープ

 いつも舌を火傷するオニオングラタンスープは噂に違わず美味で、これ程の物はかって日本橋室町にあった「太平洋」という洋食屋以来だった。後は浅見氏に相談しながらオーダー、すべての料理に満足。

 その中で特筆すべきは「サンビッツ」というビーフステーキのオープンサンドである。

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サンビッツ・カナユニ風

  これは前回の生肉を使ったタルタルステーキと違い、牛フィレ肉をミディアムレアーにソテー、秘伝のタレをつけてパンと共に食べる。牛肉を愛して止まないTはすっかり気に入って、その後我々の定番となった。

 他にはこれも前回殆ど気付かなかったが、生バンドが入っている。後日この店のホームページを見ると出演者のリストがあり、どれも三名以下の小編成でジャスを中心にボサノバ、ラテン系のミュージシャン。食事代とは別に@2~2,500円のミュージックチャージなるものがある事も判明した。

 兎にも角にもその夜は二人共大満足で、この店にて再会を期し別れたが、唯一懸念材料と言えば、普通にワイン一本程度で済ませればいいところ、ついつい多飲する傾向が強く、それが勘定アップに直結する事であった。

 それでもその後、何度も通う内に、マコトさんという若くイケメンのスタッフとも顔なじみになり、他の席で注いだワインがボトルに残っている時など、それとなく我々のグラスに入れてくれたり、浅見氏は帰りに手提げ袋をくれて、帰宅後開けてみるとあの美味しいパンが沢山入っていた事もある。

 そして最も印象深いのは、伝説のオーナー横田宏 氏が手の空いた時は必ずと言っていい程、高齢をおして階段を上り、我々を見送ってくれた事である。暫く歩いて振り返るとタキシード姿の老紳士は、背筋をきちんと伸ばした姿勢のままそこに立っていた。その姿は今も目に焼き付いて離れない。

 それから数年後、私は長年の不摂生が祟ったのか体調を崩し医者から断酒を命じられた為、暫くの間大人しくしていたが、摂生しつつ毎朝5kmの速歩、週1~2度プールやジム通いを続けた結果、どうにか元の身体に戻る事が出来た。

 そんなある日、どうしても出席しなければならない案件で出掛けると、案の定早い時間から酒宴となった。夕方になっても皆飲み足りない様子なので、私は軽い気持ちで久々に「カナユニ」に電話をかけた。

 ところが電話に出た浅見氏の話に私は言葉を失ってしまう。何と一週間後に「カナユニ」が閉店すると言うのである。暫く行かないうちに思いもかけない事態が起きていたのだ。

 「お解りになると思いますが、もう予約が一杯で残念ながらお受けする事は出来ません」浅見氏の説明に、私は驚きのあまり閉店の理由など聞けず、辛うじてこれ迄の謝辞と浅見氏他スタッフの方々のご健勝、ご多幸を祈念する、と言うのがやっとだった。

 急に酔いが回った頭の中を「カナユニ」での出来事が走馬灯のように駆け巡り、やがてゆらゆら揺れる蝋燭の灯りが突然消えた。そして気がつけば、いつの間にか私はアルフォンス・ドーデーの「風車小屋だより」の一節を呟くように何度も復唱していた。

 『仕方ありませんや、ねえ旦那。この世には何にだって終わりというものがありますよ。ローヌ川の乗合船や最高裁判所や大きな花模様の上着などの時代が過ぎたように』

<続く>

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 後になって「カナユニ」閉店の挨拶状が会社の私宛届いており、それを庶務の担当者が破棄していた事が判明した。しかしだからと言って私に何かが出来た訳では無い。

新生老舗レストランを南青山に訪た <その1>

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此処は何処なのか。
キャンドルが揺れているからピアノが鳴って
いるのだろう。
だがそれは現実の音ではないようだ。スペインか
ポルトガルか…30年以前の昔だ。
夢に憑かれたように歩いたフランスの何処かか。
ピアノの調べが遠くなる…。
そして何故か私は古びた階段を登ってゆく。
すると冷やかな風が流れ出し入口に星が見えた…。

仰ぐと紛れもなくそれは元赤坂…。
夜空のタペストリー。

(以上、旧カナユニ・ホームページから引用)

 

 「カナユニ」はオーナー横田 宏 氏が1966年、東京・元赤坂にて創業したフレンチ・レストラン。店名の由来は「カナ」り「ユニ」-クだと言う。後に人気メニューとなるオニオン・グラタンスープをあの三島由紀夫に絶賛せしめ、石原裕次郎を始め数多くの著名人を顧客に抱え、また現在ではすっかり定着した感のあるボージョレヌーヴォーを日本で初めて紹介した等々、この店に纏わる逸話は枚挙に暇が無い。

 そのような店を私が知った切っ掛けは凡そ15年前、勤務先の社長から「M社の社長を食事に招待する事になったので付き合って貰いたい。ついては店を何処にするか何かアイディアはあるか」との提案を受け、長年営業部門を所管する私はそれまでの経験から、和食の懐石であれば先ずスベル事は少ないので、超一流とは言えないにせよ、そこそこの割烹の名を幾つか挙げたところ、客はどうも洋食が好きらしいとの返事。

 『だったらそれを先に言えよ』と内心思いながら、私は「その社長の部下の取締役や部長は知っているので、好み等の情報収集をしてみる」と答えると、彼はそれなら自分の心当たりがある店でいいかと言うので勿論異論無く、後は任せて退出した。

 その日の夕刻、社長がメモを持って私の所に来た。ここを予約したので宜しくと言う。それを見ると、店名に「カナユニ」とあり、併せて所在地、電話番号が記入されている。初めて聞く店名であり、その珍妙な名の意味を訊ねると「かなりユニーク」との回答。

 実を言うと、予てより私は彼の「食に対するセンス」に甚だ疑問多々あり、ましてや「カナユニ」などと言うおチャラけた名の店に対し、一抹どころか大いなる不安を抱いて出掛ける事となった。

 さて、社長に連れられ元赤坂の店の前に着くと、特にそれらしき表示は無く、唯、大きな鍵を模った看板が掲げられていて、その斜め下ある扉を開け階段を下り、次の扉を開けると、目の前に「カナユニ」のほぼ全景が広がった。

 照明は控えめ、各所に置かれた蝋燭の灯りを際立させている。右手にはグランドピアノとコンパクトなPAシステム、左手には一段高いバーカウンターがあり、それを花飾りで区切り四人掛けを基本としたテーブル席という構成だった。

 客二人(社長と常務)は既に来ており、私達は直ぐ食事を始めたが、我が社長お勧め「牛肉のタルタルステーキ」なるメニューをオーダーすると、テーブルの横に折りたたみ式の台を広げ、何と生肉のミンチに微塵切りにした香味野菜か果物らしき物と香辛料を混ぜ皿に盛る。それをパンに乗せて食べるのだ。あまり的確な例えとは言い難いが、朝鮮料理のユッケを思い浮かべて欲しい。勿論、味は全く違う。

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牛肉のタルタルステーキ

 私はなかなか美味しいと思ったが客は殆ど手を付けず、社長のユニークな作戦は見事失敗に終わった(だから懐石料理にしておけば良かったのだ)。しかしエスカルゴや他の料理には満足して貰ったようにも見えた。

 この店のフロアースタッフは全員ブラックスーツかベストに黒の蝶ネクタイを着用、物腰は柔らかく丁寧、客を不快にする要素は微塵にも感じられない熟練のプロフェッショナル達で、勿論料理も雰囲気も素晴しく私は入店後1時間もしないうちにすっかり虜になっていた。

 その夜は二次会も無く無事に終了。社長の店選びのセンスを若干見直した私は、翌朝社長室へ行き昨夜の礼など述べた後、一体どうやってあの店の存在を知ったのか訊ねたところ、以前商社勤務だった頃、同業他社や顧客の同世代で、定期的に「お勧めの店」を紹介しあう会で知ったとの答え、私は「矢張り」と妙に納得した。

 それでも私の「カナユニ」への興味は尽きる事無く、それこそもっと奥床しい(行きたい、見たい、聞きたい、知りたい)気持ちを抑えられず、あれこれ手段を考えるようになった。

 最も手っ取り早いのは、私の顧客か業界他社の知り合いを誘う事だったが、何故か皆大酒呑みばかりで、日本酒、ウイスキー・ワイン、白酒・紹興酒、比較的安価と思われる焼酎も「森伊蔵」や「亀の雫」「百年の孤独」(ガルシア・マルケスのパクリか?)等を腹一杯飲むような連中。

 そのような飲んだくれを「カナユニ」に招待するのは、料理はともかく酒手だけで天文学的勘定になる可能性大で、ゴルフをセットする方が安上がりかも知れないと、情けない事に思わず躊躇せざるを得なかった。<続く>

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新生老舗レストランを南青山に訪た <序章>

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 今年はなかなか梅雨が明けない。それどころか先日の「令和二年七月豪雨」により甚大な被害を被った地域に、更なる追い打ちをかけるかのような大雨が尚も降り続いている。

 懸案の「新型コロナ禍」も同様。全く収まる気配は見えず、長引く不自由な生活に気分もまた曇りっぱなしなのである。

 ところで最近、このブログの過去の記事が閲覧され、はてなスターが付いたとの通知が時折舞い込む。筆者としては誠にありがたい限りであり、素人とは言え「物書き冥利」に尽きる出来事である。この場を借りて読者の方々に厚く御礼申し上げる。

 そこで、一体どの記事が読まれているのか気になり確認すると、中には文中に貼ったリンクが切れていたりする。ニュース記事などの外部リンクならば致し方無いが、これが以前自分が別のブログに書いたものの場合は、少し不親切ではないか。そう考えた。

 そこで多少なりとも斯かる事態を改善しようというのが今回の企てである。というのは建前で実際は昔の記事でお茶を濁す、いつもの手抜き発想である事を、賢明な読者諸氏は既にお見通しの事と拝察するが、何卒お目こぼし願いたい。

 という事で先ず手始めに、以前私が別のブログに掲載し現在は削除した投稿を、以後6回にわたりこのブログに再掲してみたい。内容は一般受けしそうなグルメ・ネタ。「カナユニ」というフレンチレストランと私の物語。お付き合い頂ければ幸甚である。

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ハーフは嫌(Half a year)

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 そろそろブログを更新するタイミングかと思いつつ、いつものように全くやる気が出ない。そこで「はてなブログ」の「今週のお題」を覗くと「2020年上半期」の文字。どうやらこの半年間を振り返ってみようという企画らしい。

 と、その時突然、楽する事ばかり考えている灰色の脳細胞を、あたかもガンマ線バーストのように名案が突き抜けた。「この半年の間に書いた記事の中から幾つかを選び、リンクを貼り付ければ一丁上がり。こんな美味しい『お題』を見逃す手は無い」

 安直と言われようが手抜きと蔑まれようが、別に人様に迷惑をかける訳ではない。なまじ尤もらしい御託を並べ、思わぬ誤解を招いたり不快な印象を与えるよりは余程マシではないか。

 早速状況を確認するとこの上半期に「花あり、食あり、音楽あり」、良く言えばバラエティーに富んだ、実態は支離滅裂なブログを70編投稿している事が判明。この中から各月1編を目安とし、改めて御紹介申し上げる次第である。

 

 1月

 中国で新たな病が発生したらしい事は既に伝わっていたが、この頃は未だ殆ど他人事だった。

kaze-no-katami.hatenablog.jp

 2月

 偉そうに言えば、この頃からブログとYouTubeの融合を考え始めた。

kaze-no-katami.hatenablog.jp

 3月

 今年は憑かれたように桜を追い続けた。コロナ禍さえ無ければ更に足を延ばす心算だったが。

kaze-no-katami.hatenablog.jp

 4月

 パンという食べ物には不思議な魅力がある、と思う。

kaze-no-katami.hatenablog.jp

 5月

 何だかんだ言ってもスマホ無しの暮らしは考えられなくなってしまった。

kaze-no-katami.hatenablog.jp

 6月

 制約のある生活の中で見つけた数少ない楽しみがこれ。

kaze-no-katami.hatenablog.jp

  おまけ

 これまでラジオ番組にリクエストした事など殆ど無かったが、何故か採用される予感があった。

kaze-no-katami.hatenablog.jp

 

 

 さて、暦は既に7月下旬。2020年の残り半分、どのような事態が起きるのか見当もつかない。願わくば世界に平穏な日々が戻らんことを。

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季節の花(文月)

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 今年もまた記録的な豪雨により各地に甚大な災害が発生、数多くの掛け替えのない命と財産を奪った。このようなニュースを見る度に、これだけ科学が進んだ現代、しかもその最先端を行く日本において、未だに自然災害を防ぎきれないという現実をもどかしく思うが、そのような発想は神をも恐れぬ思い上がった所業なのだろうか。

 「少しでも命が助かる可能性の高い行動を」。その言葉の重みを、今更ながらに痛感せざるを得ない。未だ油断は出来ないものの今は先ず、被災地の一日も早い復旧と、なお一層の治水対策の整備を願うばかりだ。

 そして防ぎきれないと言えば、相変わらず「新型コロナウイルス」の感染。この流行が広く認知されるようになって既に半年以上が経過する。しかし今なお収束の見通しは立たず、それどころか感染者の絶対数は増加を続けている。

  三密の回避、マスクの着用、ソーシャルディスタンスの順守。自分なりにそれらを実行している心算でも、ここに来て流石に息が詰まって来た。決して特別では無いこれまでの日常が、これほど尊く愛おしいものだったと、失くして初めて気づいているのだ。

 とは言え、毎日嘆き悲しみ、立ち盡している訳ではない。今出来るささやかな楽しみと言えば精々そぞろ歩き程度だが、今回もまたカメラを持ってブラブラと出掛けた。

 「趣味が写真」だとは全く考えてはいない。それでも、この春購入した安価なカメラとレンズに少し慣れてきたような気もする。そこでそれらの写真をまたYouTubeに纏めてみた。『ワンパターン・マンネリ化も継続すればいつかは個性』。ご覧頂ければ幸甚である。


文月の花/風のかたみの日記

 ところで思わぬ臨時収入の特別定額給付金10万円。当初は高級レストラン攻略の軍資金にする心算だったが、この様子では当分外食には行けそうもない。ならば新しい交換レンズの購入にでも充てるとするか。

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今週のお題「納豆」(用も無いのに納豆売りが)

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 久し振りに「今週のお題」について書いてみようと思う。因みにそのお題は「納豆」。何故この時期に納豆なのか考えてみたが、思い当るのは精々7月10日が語呂合わせ(7=ナ、10=トウ)で「納豆の日」だという事位しかない。

 それはさておき、結論から先に言えば私は納豆が好きではない、というかはっきり言って嫌いだ。全く何が悲しくてわざわざ腐った豆など食べなければならないのかと思う。「否、腐っているのではなく発酵しているのだ」。そういう反論が束になって押し寄せる事は百も承知。しかし、だからと言って嫌いなものが好きになる訳ではない。

 私が「納豆」を嫌う理由は極めて明快だ。何よりも先ず「美味しくない」。そして「臭い」。更に「ネバネバと糸を引く」。以上の三点が挙げられる。

 「美味しさ」については人間の五感や食品の旨味成分等を科学的に分析、研究したレポートもあるが、要は個人の嗜好と考えるべきであろう。とすれば「納豆」は私の嗜好では無いのだ。

 次に「臭い」。と言っても常温では「くさや」を焼く程の暴力的破壊力は無い。しかし暖かいご飯にかけると腐敗臭がプーンと漂ってくる。もし定食屋などで隣に座る御仁がそれをするならば、立派にスメハラとして成立するではないかと思う。

 そして「ヌルヌル・ネバネバと糸を引く」。通常、食品がこのような状態になっていれば、我々は「腐っている」と判断するが、それこそが異物誤食から身体を守る自己防衛本能、即ち『食べてはいけない』との警告に他ならない。

  確かに自然界にはネバネバする食材は他にもある。例えば山芋、オクラ、海藻類がそうだ。しかしそれらは人工的に発酵させた訳ではなく元来の性状なのである。しかも腐敗していないので臭いは殆ど無い。

 それでもなお「納豆」は体にイイという主張がある。私はそれを否定する心算は毛頭無い。食べたい人は食べればいいし、それで健康が保たれていると信じていればいい。

 しかし「納豆」を食べない私が不健康かと言えば、決してそうではない。中性脂肪コレステロール値は至って正常である。

 もし納豆に評価する点があるとするならば、かって体にイイという噂だけで一定期間スーパーの棚から姿を消し、そして忘れ去られてしまった数多の食品がある中で、唯一「納豆」だけが常に充分な供給量を維持し、安価なたんぱく源として、しぶとく生き残っている。この事実だけは認めざるを得ないだろう。

 だが食べ物に於ける健康志向も、度が過ぎれば反って逆効果、時として危険を伴う場合がある事を忘れてはならない。 例えば飲酒等により弱った肝臓には「しじみ」が効くとの神話がある。しかし貝類は鉄分を多く含み、肝炎や肝硬変を発症している場合、鉄分の過剰摂取は臓器自体に更なる負担をかける事にもなり得るのだ。

 また最近は時節柄、納豆は免疫力を高め「新型コロナウイルス」に感染しにくくなる、と吹聴するマスコミも散見される。だが、「感染者における納豆食の有無と傾向」なるデータでも示せば話は別だが、エビデンスの無い情報は、単なる流言飛語と何ら変わりないのではないのか。それとも日本の感染者数が他国に比べ少ない理由は「納豆」があるお陰とでも言いたいのだろうか。

 さて、ここまで思いつくまま支離滅裂、言いたい放題であった。かって私は友人から「納豆を食べられないのは日本人として不幸だ」とまで言われた事がある。しかし、私は別に不幸だとは思っていないし、第一、納豆を食べられない訳でもない。唯、自ら好んで食べないだけである。無論、納豆がこの世から姿を消しても何ら困る事は無い。

 余談ながら最後に「納豆」に関する逸話を。凡そ30年前、ニューヨークへ行った際、アテンドしてくれた現地アメリカ人商社マンに「先の大戦で我が国は敗れ焼け野原となった。戦後、廃墟の子供たちは、乗り込んで来た進駐軍の兵士に向かって片言で『ギブ・ミー・チョコレート』と言い、その甘い菓子をねだった。もしも日本が勝っていたら、米国の子供は日本兵に対し「納豆ちょうだい」と言っていたかも知れない」というジョークを話した事がある。しかし全く受けなかった。甘納豆と言えば良かったのだろうか。

 ところでアイキャッチ画像を撮る為だけに買ってきたこの納豆。捨てる訳にもいかず、仕方がないのでタップリの葱とカラシで食べる事にする。かき混ぜる回数は勿論、旨味成分がピークに達する400回に決まっている。

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夏の始めのハーモニー(都人への密かなるオマージュ)

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 先日たまたまYouTube海上自衛隊の歌姫、三宅由佳莉三等海曹の歌を聞き、甚く感銘を受けた。確かにあのような圧倒的歌唱力の独唱は、他の追従を許さないものがあると思う。しかし、それでも子供の頃からサイモン&ガーファンクルCSN&Yキャンディーズのフリークである私は、矢張りハモりが無いと何となく物足りないように感じてしまう。

 という事で今回はその「ハモ」について深く掘り下げてみようと考えた。そこで早速「鱧」である。なんのこっちゃ。

 ところで世の中には「長いもの」が苦手という人がいて、土用の丑の日などには一切興味は無く、全く鰻を食べなかったり、中には写真を見ただけで嫌悪感を持つ場合もある。従ってそのような方は、これから先へは進まない事をお勧めする。

 さて、かく言う私は「長いもの」の中で鰻は普通に食べるが、流石に蛇は嫌いであるし、鰻と同じ仲間のウツボは食べようとは思わない。因みに穴子もあまり好きではない。

 ところが、これが「鱧」になると話は違う。

 一般的に「鱧料理」といえば京都が有名である。しかし京都には舞鶴など日本海側には海はあるものの、「鱧」の水揚げ量が圧倒的に多い瀬戸内には面していない。かって只でさえ暑い夏の京都に、その瀬戸内から生きたまま輸送可能な鮮魚は「鱧」しかいなかった。そしてそれ程の強い生命力を持ち合わせた魚を食べれば、精力がつき夏バテ防止にもなる。というのが「鱧食始まり」のストーリーらしい。

 因み私が初めて「鱧」を食べたのは社会人になってからだと思う。そこそこの店に案内されると、皿に乗った白い身と梅干しを潰したような物が運ばれて、見様見真似で食べてみる何とこれが絶品ではないか。

 食べ物の嗜好は年齢と共に変化する事が多いが、鱧に関してはそれ以来、私の「好物ベスト10」内に留まったままである。

 であるからこの季節、和食系の店に行き、お品書きに「鱧」の文字を見つけると、まず間違いなく注文する。だが高級店はともかく居酒屋レベルでは冷凍品しかなく、残念ながら美味しいとは言い難い。尚、私は病が高じ終いには京都の専門店を予約して、その為だけに新幹線に乗った事もある。

 勿論、わざわざ京都まで行かずとも東京にも「鱧」の専門店はある。唯、天ぷらや蒲焼、鍋など調理方法を変えたとしても、食材が全て鱧では流石に飽きる。私としては湯引きした「鱧」を少量食べれば満足なのである。

 今でこそ首都圏のスーパーでも骨切り湯引きした鱧を見かけるようになったが、これも殆どは冷凍物であり、中には噛んだ瞬間、口の中に水が溢れ出す程度の低い代物まである。

 はっきり言える事は、そもそも鱧の湯引きは活きた鱧を使わなければ「鱧の湯引き」とは言えないのである。

 そこで昨年、 私の数少ない馴染みの店「鮨さいとう」の大将に相談したところ、二つ返事で「出来ます」と言う。御足が幾らになるか確認はしなかったが、京都に行くよりは安いだろう。早速事前予約をして出掛けた。以下はその記録である。

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締めたばかりの鱧

  大将が見習さんに下ごしらえを任せたが、カメラを向けると緊張してしまったようだ。


鱧の湯引き1/風のかたみの日記

  そして大将が「骨切り」


鱧の湯引き2/風のかたみの日記

  骨切り後、湯引きをして出来上がり。不味かろう筈が無い。

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鱧の湯引き

 「鱧」を生食しないのは血液に毒があるからだそうだ。これを料理として食べられるようにする迄、恐らく多くの犠牲を払ったに違いない。私はここに、食文化の為、人知れず命を賭して挑んだ京都人の開拓精神に敬意を表するものである。

 そして、いよいよ金鳥鱧の夏がやって来る。移ろう季節を愛でながら旬のものを頂く事は、日本人として最高の贅沢であり悦びである。しかしここに来て新型コロナウイルス感染者の絶対数は再び増加傾向にある。この夏はハーモニーも諦めざるを得ないのだろうか。

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