ただその40分間の為だけに(15)

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 1964年10月10日、澄み渡った東京の空に航空自衛隊ブルーインパルスのF86Fセーバーが五つの輪を描いた。街の至る所には世界93か国の色とりどりの国旗がはためき、人々は15日間の祭りに酔い痴れた。

 数々の名勝負が語り継がれる中、とりわけ東洋の魔女と呼ばれたバレーボール日本代表「日紡貝塚」が、宿敵ソ連を下し念願の金メダルを獲得した事が多くの日本人の心に強く印象を残した。

 『そう、最後の得点はソ連のオーバーネットによる一点だった』。決勝戦の勝敗を決する世紀の瞬間に審判の裁定は若干遅れ、直ぐには判明しなかった事をクマははっきりと覚えていた。

 それから10年、その熱戦が行われた駒沢オリンピック競技場は、専ら地域住民の憩いの場「駒沢オリンピック公園」となっている。

 ここに来るとクマは、いつもこの施設が建設されていた頃の事を思い出す。彼は小学一年生の時から、暇さえあれば日々変化する景色を眺める為に此処を訪れていた。『勿論、家も近かったが、何故、そんな事をしていたのだろう。しかもたった一人で』クマは何度もその答えを探し、数年後漸くある言葉に辿りつた。「コンストラクション」

Constructuon   n. 1 建造, 築造, 建設, 架設:  構造: 建設工事(作業)  2 建物, ・・・6 (分・語句の) 組み立て, 構文, 構造 -(和英中辞典 第三版 研究社)   

 クマはその言葉を高校生になってから改めて新しい辞書で調べた。そしてそこから見えて来るものと言えば、むき出しの鉄骨で出来た幾何学模様のような構造物であり、それが駒澤野球場跡地に建設されている競技施設だったのだ。

 そして彼は何も無い場所でボーリングが始まり、鉄筋、鉄骨が組み立てられ、やがてコンクリート打ちへ進み外装が終わるという一連の流れが、曲を作り編曲し演奏、そして録音という過程と少し似ていると思った。

 『・・・僕らも何も無いところから自分の頭の中の設計図に従い、音符を組み合わせ、言葉を紡ぎ、一つの歌を作ってゆく。勿論それは、世紀の祭典に携わるような著名人の作品とは月と鼈、薔薇とペンペン草、原爆と竹槍、或いは以上の差があり、比較対象にもならない幼稚で拙い物に違いない。しかし誰から命じられた訳でもなく、純粋に心から、そう、もし本当に心というものが何処かにあるとするならば、その奥底から湧き上がる強い衝動のような情熱が僕らをそうさせるのだ。

 果たして、あのような構造物を思い描いた建築家と呼ばれる者達は、どのような思いから突き動かされていたのだろう。もしかしたら「建築」と「音楽」は相通じる感性の産物かも知れない。それは十分あり得る事だ。しかし、それでいて目的の為に虚飾を排しながらも、逆にそれが洗練された機能美も生み出す。例えば軍事用の車両、船舶、航空機といった物を、それがもたらす悲劇的な結果とは別に、素朴に美しいと感じるようなものだ。その美しさは間違いなく、芸術と呼ぶに値する・・・』

 「何考えてるの」チャコの呼びかけにクマは少し遅れて反応した。

 「いや、時々何か支離滅裂な発想が次々と浮かぶことがあるんだ。まるでデイドリーム・ビリーバーだね」

 「ふうん、それで私たちの同窓会の女王様は誰になるのかしら」チャコは微笑みながら答えた。

 同窓会の女王様=ホームカミング・クィーンは、かってモンキーズというアメリカのバンドが放った大ヒット曲「デイドリーム・ビリーバー」の歌詞に出て来る言葉だった。

Cheer up sleepy Jean
Oh, what can it mean to a
Daydream believer and a
Homecoming queen?

 「そういう洒落た言い方は好きだよ。何だか仁昌寺先生の台詞みたいだ」

 「だって教え子だもん」

 「そうだった」クマは頷きながら更に続けた。

 「あの向こうに見える塔と横の角ばった屋根の建物、最初にあれを見た時、空想映画かと思った。どうやったらあんな形を思い付くんだろう」

 「そう言われればそうね。でもそんな風に考えた事はなかった。クマさんは何にでも興味を持つのね」

 「そうかな、そうかも知れないな」クマはもう少しその話題を続けようかと思ったが、何故かそこで止めた。目的地が近づいてきたからである。

  二人は駒沢通りを公園の端まで歩いて来た。道はそこで自由通りと交差する。そしてその交差点を越えれば目黒区に入り、左手に国立第二病院がある。

 『自由通り、右に行けば 「自由が丘」があるからそう名付けられたのだろうか。それにしても日本ぽくない名前だが。確か何年か前、アイジョージが紅白歌合戦で「自由通りの午後」という歌を歌っていたが、もしかしたらこの道の事を歌っていたのか』

 「あっ、また何か考えてる」

 「ごめん、ちょっとね」

 「クマさんが考え事している時が解るようになった。眉間にちょっと皺が寄るんだ」

 「そうかな、そうかも知れないな」クマは先程と全く同じ言葉で答えた。<続>

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ただその40分間の為だけに(14)

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 「クマさん、こんにちは」聞き覚えのある声に顔を上げると、机の前にはチャコが立っていた。

 「世田谷区民会館に出るんですって」その言葉を聞いてクマは目を大きく開き『何故知ってるのか』という顔をした。

 「あっ、私、八組の文化祭準備委員なの。だから 『ヒナコさんグループ』が区民会館の出演申請を出した事も、グループのメンバーの名前も知ってるわけ」

 「なるほど、それで申請は承認しないぞと脅しに来たわけ」

 「何でそんな風に考えるかなあ、私はそんなに意地悪じゃないわ。ちゃんと承認する方に手を挙げました」

 「それはそれは、どうもありがとうございます。で、本日はどのようなご用件でしょうか。あっ、それと、この間のS&Gの感想文、随分立派な論文でした」

 「どういたしまして。あの、クマさん」突然チャコはあらたまった声になった。

 「なんでしょう」クマもそれにつられた。

 「真面目な話だけど、図書室の仁昌寺先生、知ってる」クマは一瞬顔をこわばらせて、そして頷いた。

 「あの、誰からの情報って聞かないで欲しいんだけど」クマはまた頷く。

 「しばらく休んでいるの。先生」

 「それは知らなかった。このところ図書室に行ってないんだ」

 「そう、仁昌寺先生、入院しているの。病名とかは分からないけど」それを聞いたクマは、今度は眉間に深く皺を寄せた。

 「でも一ヶ月位前会った時は、そんな感じは全然しなかったけど」

 クマは図書室での彼女の言葉を思い出していた。それは人と人との会話は、それぞれ互いに自分が作り出した相手の虚像に向かって語り掛けているというものだった。

 最初にそれを聞いた時、クマは何となく違和感を感じたが、後になって考えると至極尤もな事のように思えてきた。何故なら人は誰しも相手の反応を予想しながら言葉を発し、時には想定外の対応に戸惑い、狼狽し、突如陥った局面を挽回しようと。更にその虚像に問いかけるのからだ。

 『しかし、仁昌寺という司書教諭は、何故自分にそんな事を言ったのだろう。彼女が作り出したクマという人間の虚像は、そのような言葉を欲しているように見えたのだろうか。そしてそれが、あながち見当違いではなかったのは何故なのだろうか』クマは突然、それを確かめたい衝動にかられた。

 クマはチャコに訊ねた「ところでチャコさんは、どうしてそんなに仁昌寺先生について詳しいの」

 「だから情報源は言えないの。ただ私が中学生の時、大学生だった仁昌寺先生が私の家庭教師をしていたの。この学校への転校を決めたのも彼女がここにいたから」

 「ふうん」とクマは呟き、ここまでの彼女の話をもう一度自分で確認するかのように、二、三度頷いた。

 「入院先は知ってる」

 「ええ、国立第二病院」

 「近いんだ。そこの目黒通りを真っ直ぐ行って、駒沢公園の横の自由通り沿いにある」

 「詳しいのね」

 「小学校六年の時、肺炎で10日位あの病院に入院した事があって、毎日朝晩ペニシリンを腕に注射されたけど、あれは痛かった」それまで尻に打つものと思っていたペニシリン注射を、腕にする理由をクマは医者から聞き逃していた。

 「チャコさん」クマは更にあらたまって言った。「チャコさん、先生を見舞いに行こうと思うんだけど、大丈夫かな」

 「多分そう言うと思った。大丈夫よ」

 「どうしてそう言うと思ったの」

 「先生がそう言ったから」チャコは謎めいた微笑みを浮かべクマを見た。そしてこう付け加えた。「私も一緒に行っていい」

 

  翌日、クマは正門前の自転車置き場でチャコと待ち合わせた。その日は、本来であれば『ヒナコさんグループ』の第一回目の練習が予定されていたが、クマは見舞いの方を優先し、メンバー各人には事情を説明して、三人だけでやるか若しくは順延を申し出ていた。勿論三人とも承諾で日を改めることになった。ただその時、ヒナコだけはチャコの名前を聞くと少し眉をひそめた。

 病院の面会時間は午後三時からだった。クマはその日も午後の授業は無く、チャコも偶然同じだった。

 「お待たせしました」午後一時ちょうどにチャコが校舎から出てきた。

 「今日、準備委員会があるんだけど、サボっちゃった」彼女は悪戯っぽく笑みを浮かべ肩をすくめた。

 「昼ご飯は食べたの」

 「ええ、母が作ったお弁当。クマさんは」

 「僕はパンを買って済ませた」

 「面会時間は三時からだけど、少し早いし、どうする。ぶらぶら歩いて行って駒沢公園で時間を潰すのはダメ」

 「全然」早めに目的地付近まで行くことはクマが日頃行っている行為だった。

 そして二人は歩き始めた。

 「クマさんは何処に住んでるの」

 「三軒茶屋。チャコさんは」

 「昔は三宿。今は都立大、というか柿の木坂」

 「歌に出て来る所」

 「えっ、いえ、あれは違うみたい。だって国鉄の目黒駅までだって三里もないもの。でも何処の事を歌っているのかは知らない。クマさんって歌謡曲も聞くの」

 「いや、でもその歌くらいは知ってる。確かに『柿木坂は駅まで三里』って歌ってるね。多分田舎なのかな」クマは妙に納得した顔になった。

 「ねえナッパちゃんの話、していい」

 「いや、今はね。いつかどこかで、もし話する機会があったら」

 「そう、そうね。そうしましょ。でもひとつだけ聞いて」

 「何」

 「彼女はクマさんの事、本当に好意を持ってたの。それでもっと色々な事を話したかったの。クマさんだったら自分の事を解って貰えると思っていたの」

 「それで僕が彼女の期待を裏切ったんだ」

 「違う、そうじゃない。その逆よ。彼女がクマさんの事、誤解しちゃたの。ナッパちゃんはクマさんを傷つけてしまったってすごく後悔している」

 クマは少し難しい顔をして黙って歩いた。日体大の角を左に曲がり駒沢通り出ると、ずっと先にある深沢不動の交差点付近まで見下ろせる。

 『僕とナッパもこの緩い坂を下るように、ゆっくりと歩いて行けたら良かったのだ。そう、まるで熟練したパイロットが、全く機体を揺らすことなく高度を下げてゆくように』<続>

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ただその40分間の為だけに(13)

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 結局その日、バンド名は決まらなかった。一番の原因は誰も気の利いた名称を思いつかなかったからだが、それでも文化祭準備委員会に出演申請の手続きをしなければならない。「取敢えず発起人の名前をとって『ヒナコさんグループ』で出しておこう」クマの言葉に誰からも異論は出なかった。

 「そんなことより、オリジナルって何曲あるの」出来るだけヒナコとムーを前面に出そうと考えているクマが切り出す。

 「ムーは結構いっぱいあるよね、ねえ」ヒナコがムーの顔を見ながら確認をする。

 「数はあることはあるんですけど、人に聞かせられるようなのは一、二曲かと」普段女子同士で話している時に比べ、ムーの声はやけに小さくやっと聞こえる程度だった。

 「どんな曲、ちょっとやってみてよ」クマの勧めにムーはおそるおそるギターを弾き始めた。それは「ぎやまんの箱」とタイトルされた、綺麗なメロディーラインを持つスローバラードだったが、クマは何となく物足りなさを感じた。

 『何が足りないのか、歌詞が今一つ判り辛いせいか』アグリーの意見も聞いてみたかったが、作者本人がいる前であからさまに話す訳にもいかない。

 すると、突然アグリーが言った「いいじゃない」

 『えー、そうなのか』アグリーの言葉をクマは少し意外に思ったが、いきなり最初から否定的な感想を述べるよりは、あるべき大人の対応だなと考え直した。そしてそれは、自分には備わっていないらしい「思いやり」とか「優しさ」とか、恐らく人がそんな風な言葉で呼び、さも人間にとって価値ある行動や言動であるかのように位置づける、他者へ寄り添う気遣いである事を彼は知っていた。

 

 「・・・だから僕はね、もし僕がこうすれば、こんな事を言えば、相手が喜ぶだろうって分かっている時でも、敢えてそんな事をしようと思わない。そういうのは何か見せかけの白々しい優しさみたいで大嫌いだな」

 「そうかしら。私はそうは思わない。私はやっぱり人の為に何かしてあげたいわ。人間には思いやりが必要よ」日頃とは違いナッパは意外な程、強い口調で答えた。

 「でも仮に、人を思いやることで自分が疲れるとしたら、自分を殺す事で人に尽くすとしたら、それは誠意とは言えないんじゃないかと思うけど」

 「そうかも知れないわ」

 「だから僕は人に対して優しくあるよりも、誠実でありたいと思うんだ」

 「でもそれは、あなた自身に対しては誠実であっても、相手の人に誠実であるとは限らないでしょう。たとえ自分が、どんなに辛い状況に置かれて本心はそうでなくても、人を思いやるのが本当に優しい人ではないかしら」

 「そうかな、それは見せかけの優しさだと思うよ。自分を偽るということは、裏を返せば相手を欺いてる事になるんじゃないか。確かに、よく女の子は、どういう男性が好きとか聞かれると、大概は優しくてユーモアのある人って答えるけれど、そしてその優しさというのが、相手の喜ぶ事をしてあげる事ならば、僕は全然優しい人間じゃないね」

 しばし小休止があった。

「いいえ、あなたはやっぱり優しい人だわ」彼女は殆ど自分に言い聞かせるように小さく呟いた。

  生きとして生けるものが眠りから覚め、全てが新しく始まるような春の日、明治神宮御苑内にある菖蒲園のベンチに腰を掛け、クマはナッパと暖かな日差しを浴びていた。

 しかし、何一つ落ち度など無い心算のクマは、その降り注ぐ陽光、心地良いそよ風、そして眩しい新緑、それら全てのものから何故か見捨てられてしまったのだ。

 

 『あの時自分は、何故あんな事を突然言いだしてしまったのだろう。別にその時、それを言わなければならない理由など何一つ無いにも拘らず』これまで何度も自問自答を試みた事を、クマはまた考えていた。

 彼はただ噓偽りのない自分自身を晒した上で、ナッパの審判を受けようと試みたのだ。それこそが今までの人生の中で、最も心を惹かれ、また愛されたいと願った女性に対する誠心誠意の姿勢だと考えたのだ。そして彼の妥協のない愛情は、想いばかりが空転し、容赦なく砕け散ってしまったのだ。

 ナッパが去ってしまった今、彼は漸く冷静な気持ちで自分が置かれた座標を理解出来るようになりつつあった。

 

 「クマさんはどう思う、ムーの曲」ヒナコの声で彼は我に返った。

 「うん、いいと思うけど、スリーコーラスあるんで何処かにアクセントが欲しいよね」クマはこれ迄であれば「ちょっと長くてタルいな」と言うところであったが、ぐっと抑えた。

 「どうすればいいですか」ムーが真剣な顔でクマに訊ねる。

 「そうね、一、二番はアルペジョでやって、三番の伴奏をもっと賑やかにストロークにするとか、あとハモるとか」

 それを聞いてムーは黙って頷く。その時クマは、ムーの持ち味はヒナコと違い女の子らしからぬ野太い声だと気が付いた。 

 「フェアウェルで歌った 『落ち葉の上を』なんかは怨念がこもったよう声で、なかなか良かったんじゃない。あれをやったら」

 「ううん、あれはオリジナルじゃなくて『古井戸』の曲」

 「えっ、そうなんだ。なあんだ」クマは日本のフォークソングには全く疎かった。

  「クマさんあんな感じの歌が好きなんだ」ヒナコが意外という顔をする。

 「まあ、キレイキレイな曲ばっかりじゃないよ好きなのは」

 「ところでヒナコの曲は」今度はアグリーが聞いた。

 「私は一曲だけ」「タイトルは」「ちょっと長いんだけど『さようなら通り過ぎる夏よ』っていうの」

「ちょっとやってみて」

 今度はヒナコが歌い始めた。 


さようなら通り過ぎる夏よ/風のかたみの日記

 「これで二曲は決まり。でもまだ足りないよ」クマとアグリーは同時に笑った。

 「だからクマさんやアグリーどんの歌を考えたの。それに私達の曲って、静かなのばっかだから」

 「俺らだってそんなハードな事やってる訳じゃないし、だいたい本番は生ギターでやるんだからね」アグリーがそう答えると、クマが付け加えた「しかも、純粋なフォークソングばかりだから」

 彼等が世田谷区民会館のステージに立つまで後四ヶ月。

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ただその40分間の為だけに(12)

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 「今を尊ばなければ一体 『いつ』という時があるのか」確かにクマはそう語った。しかし、そうは言ってみたものの具体的に何をすればいいのか、彼自身全く見当もついていなかった。『あの場の停滞した雰囲気を何とかしょうとしただけだ』と彼は思ったが、それで済ます訳にはいかない。『多分、クマが完パケまで持って行ってくれる』少なくとアグリーは間違いなくそう考えている筈である。『あの時だってそうだった』

  

 1973年12月、その日上野毛のセンヌキの家で行われたアグリーのオリジナル曲の録音が一段落した夕方、センヌキの母親が差し入れてくれた軽食を食べながらアグリーが言い出した。「せっかくこうして練習したんだからさ、コンサートやらないか」

 「あっ、いいねそれ、やろうよ」何事にも軽いセンヌキが賛成する。

 「うーん、そうだねぇ・・・」二人はクマのその次の言葉を待った。クマはなかなYESと言わないが、一度そう言えば必ずそれを完全パッケージ迄やり遂げる男。アイツに任せれば間違い無い。その点だけは、彼は仲間内で一目置かれている。

 「どうせ二年生も、もう三月で終わりだし、三年になればクラス替えで受験勉強も少しはしなきゃいけない。最後に皆でパーッとやろうよ」『別れ』とか『最後』とか哀愁を帯びた言葉に弱いクマの性格を知るアグリーがたたみこむ。

 「うーん、いいかもね。最後にね 『さよなら』 いや 『フェアウェル・コンサート』か、やろうか」

 フェアウェル・コンサート・・・クマがその言葉の響きに未だ酔い痴れている時、アグリーとセンヌキは目でうまくいった合図した。 

 

 もしかしたら自分は、楽器の演奏や音楽の知識を求められたのではなく、何か事を成す時の実行力の方を買われていたのではないか、クマは時々そんな気がするのだった。

 確かに彼は何かを纏め上げる能力に長けており、自分が興味を持った事柄であれば、それを遂行するにあたって、あらゆる労も厭わなかった。結局フェアウェル・コンサートもクマ達の演奏の出来の良し悪しは別にして、興行としては成功裏に終わり、自分達のライブ・レコーディングを行うという、クマの録音マニアとしての当初の目的も達成した。

 そして何よりも、そのコンサートをきっかけに、結果はどうであれ憧れのナッパとの交際という思いもよらない贈物まで付いて来たのだ。

 因みにクマは、小学四年から中学卒業まで毎年学級委員を外した事はなかった。どちらかと言えば杓子定規な彼を疎ましく思う者もいた筈だが、何故かいつも選ばれるのだ。そして上級生も含め、ある程度選ばれた人材が集う生徒会に毎年続けて出席しているうちに、やがて顔と名前を覚えられ、子供の世界であっても一目置かれる存在になって行った。

 また彼は年長者と付き合う事は全く苦にはせず、彼等と対等に話が出来た。それは恐らく幼少期から同年代よりも年上と遊ぶ事が多く、そこで得た様々な体験や また貪欲な読書家であったことが大きな要素となったかも知れない。

 そして彼が中学生だった時、学内で大ぴらにギターを弾けるようにする為、友人と語らい生徒会を牛耳って、ギタークラブを設立させる事にも成功していた。そこでは綿密に計算された計画と教職員を説得する能力が発揮され、難なく願望を実現化するという、通常あまりあり得ないような経験を積んで来たのだ。

 一方音楽面において彼は、レコードをカセットテープに録音して、ヘッドホンで何度も繰り返し聞くうちに、様々な楽器の音をバラバラに捕らえる事が出来るようになり、音がぶつかる不快感や逆に心地の良い不協和音などを理解するようになった。そしてそれらを組み合わせる事により一つの楽曲を作り上げてゆくという作業に夢中になった。

 それはあたかも人間社会のひな型のようであり、実際小集団に通じるところがあった。即ちリードギターが映える為には、そのバックを支えるベースやドラムスが必要であるように、誰かが表舞台で活躍するには優秀なスタッフが揃わなければならないし、そのスタッフを纏め上げる強いリーダーシップを持った者が必要不可欠なのだ。

  従って、今回クマがこのグループで担う役割は、彼自身は望んではいなかったが、結局のところ運営面と音楽面双方の参謀と指揮官になる事であった。

  

 「それはそうと、世田谷区民会館のステージに必ず出られるって保証はあるの」五本木のアグリーの家での二度目のミーティングで、開口一番クマがそう聞いた。彼は漸く自分が他の三人を引っ張って行かねばならないと自覚していた。

 「確かにそうだ」アグリーが相槌を打つ。

 「それは多分大丈夫、クラスの文化祭準備委員に確認したら、今のところ未だ誰も申し込んでいないみたい。それで申込者多数の場合は抽選になるんだけど、私達は三年生なんで最初に申し込めば優先的にオッケーだって」ヒナコが答えた。

 「委員長は誰」クマは情報収集に余念がない。

 「確か、五組のコウノって言う男子だったかな」とヒナコ。

 「それは河野さんの事だろう。一、二年で一緒だったし結構仲も良かったから話易いよ。きっと味方になってくれると思う。だったら先ず、このバンドの名前を決めよう」クマはそう言った。

 「どうしても名前は必要なのかい」アグリーは面倒くさそうに言う。

 「少なくとも文準(文化祭準備委員会)に届けるのに必要だろう。個人の名前を列記したら皆別々だと思われちゃう」

 「だったらザ・クロッジってのはどう」アグリーがいきなり提案した。

 「何それ」

 「俺が中学の時入っていたバンド」

 「クロッジの意味は」

 「痔が酷くなると柘榴みたいに赤くツブツブ、グチャグチャになることから柘榴痔って言うらしんだ」

 「いやだ、そんなの、ねえムー」ヒナコは呆れて笑うしかなかった。

 ムーも笑って答えた「僕は別に構わないけど」

 「それって僕等と何か関係あるの。それに今はもう1974年なんだよ、昔のグループサウンズみたいにザ、何々とかいう名前は止めようよ。大体そんなんじゃあ公序良俗に反するんじゃない」クマの発言にムーが頷いた。

 「一人一つずつ名前を考えて、あみだで決めよう」クマは皆の顔を見回した。<続>

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ただその40分間の為だけに(11)

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 「でもほんと、何やるか決めなきゃ」今度はアグリーが言った。等々力のヒナコの家ではクマとアグリーのオリジナル・テープの再生が終わっても、四人の協議は全く進んでいなかった。

 「どうせなら何か面白い事がいいな。あっ、面白いってfunnyじゃなくてinterestingの意味なんだけど」アグリーの後を引き受けてクマが言った。

 「面白い事かあ」ヒナコは天井に目をやり独り言のように呟いたが、ムーは黙ったままだった。

 するとアグリーが突然言った「白い犬がいました。頭が真っ白でお腹も真っ白・・・」「それで尾も白いのか。詰まらんな」クマ呆れ顔で応えた。

 彼等は9月末の文化祭で何をするのかを打ち合わせていた筈だった。しかし、取敢えずギターと歌で音楽をやる事だけははっきりしているものの、出演者が決定し劇場も押さえておきながら、肝心な台本が無い劇団のような状態だった。

 過去二回の文化祭では強引にクラスを引っ張って来たクマにしてみれば、そのような中途半端な有様は受け入れ難い事だ。しかし何故か具体的な方向性を示すような発言は一切せずにいる。『自分は出しゃばってはいけない。主役はヒナコとムーなのだ』

 それは彼がこのグループに参加するにあたって、自分に課した歯止めのようなものであった。もしそれが崩れれば、彼は限りなく専制君主のように振る舞う事となったに違いない。こと音楽に関しクマは仲間内では絶対的自信を持っており、そこに妥協や譲歩という言葉は存在しなかったからである。

 「ねえ、どうしたらいいと思う」ヒナコは何も方針を示さないクマにそう尋ねた。

 「そう言われても、僕だって、ねえ・・・決められた時間に来て、やる事やって帰ればいいのかと考えていたんだけど。大体、アナタとムーさんは何をやりたかった訳」クマは出来るだけ相手の立場を尊重するように優しく言った。

 「僕は自分の曲をやりたけど」普段から男の子言葉を使うムーが、ようやく重い口を開いた。

 「ああ、それはいいんじゃないか」アグリーが頷いて続けた「で、ヒナコは」

  「私はねえ・・・色々考えたんだけど、クマさんとアグリーどんが作った歌を歌おうかなと思ってるの、いいかなあ」

 「それは別に構わないけど、まあ世の中には男言葉の歌詞を女の子が歌ってる曲もあるし、でも僕らの歌じゃあ、キーがそのままだったら全然歌えないよね。とは言っても、とんでもないハイフレットにカポをはめるのもねえ、そうすると音質も変になっちゃうし・・・それこそフェアウェルでやった 「そんなあなたが」とか最後に歌ったオフコースの 「でももう花はいらない」なんか良かったじゃない、あれの方がよっぽどいいんではないの」クマはお世辞ではなく、本当にそう思っていたのでそのままを話したが、それはオリジナル曲をやる事が、かなり危険な賭けだという思いもあったからだった。


でももう花はいらない/風のかたみの日記

 そもそも文化祭で世田谷区民会館に集まる観客は、自ら望んで来ている訳では無く、学校行事として否応なしに出席する生徒ばかりだ。勿論、万人に受け入れられる事など土台無理であるにしても、せめて「帰れコール」だけは浴びたくなかった。

 何といっても彼等四人は校内で超有名人という訳でもなく、ましてやグループを結成したばかりである。観客に黙って演奏を聞いて貰う為には、先ずこちら側に注意を引きつけなければならないし飽きさせてもいけない。そのような状況で誰一人知らない自作の曲を演奏するリスクは計り知れない。クマはそれを危惧していたのだった。

 「ねえ、どう思う」クマは自分が感じている不安を他の三人に順序立てて説明し意見を求めた。

 「そうだな、受けないというのは致命的だな」アグリーはもっともだという顔をする。

 「私、そんな事、考えた事もなかった」ヒナコは肩をすくめる。

 「僕はよく判らない。けど白クマのおじさんは色んな事考えてるんだね」ムーは相変わらず男の子言葉でポツリと言う。

 それぞれが発言したところで、クマは先程の説明とは全く違う内容の事を言い出した。

 「恥ずかしい話なんだけど、僕は今まで人から自分の事しか考えていないと言われて来た。けれども今度は違う。いや、違うようにしたいと思ってる。大したこと無いけど、このグループの為に持っているもの全てを注ぐ心算でいる。知ってることは何でもオープンにするから、何でも聞いて貰いたい。それで何をやりたいかだけど、出来合いの曲を漫然と演奏するのはクリエイティブじゃないよね。いくらコピーが上手くたってコピーはコピーでしかない。それだったら家に帰ってレコードを聞いた方がよっぽどいいよ。折角このグループに参加して、多分これが高校最期のステージになると思うし、どうせやるからには、僕は自分に悔いが残らないようにしたい。客の反応は確かに気になるけど、僕らは音楽を生業としている訳じゃない。だから誰にも迎合する必要もない。思う存分オリジナル曲を無知蒙昧な聴衆に聞かせてやればいいんだ。たとえ僕らの挑戦が失敗に終ったとしても、その失敗を誇れるようなステージにすればいい。これからの僕らの合言葉は唯一つ『今を尊ばなければ一体 ”いつ” という時があるのか』以上、演説は終わり」

 クマがそんな風に自分の心の内を見せることは稀だった。「彼らを愛したまえ、ただ、それを知らさずに愛したまえ」サン・テグジュペリの「夜間飛行」にそんな一節があった。

 しかし彼はそれでは全く相手に伝わらない事を身をもって体験していた。『思っているだけではだめなのだ。たとえそれが自分の信条に反しようと、はっきり相手に話さなければいけないのだ』それがナッパというかけがえのない心の拠り所を失って得た唯一の、そして大切な代償だった。

 何の恥じらいも無く、白々しささえ感じさせるクマのアジテイションが終わると、誰からともなく拍手が起きた。そしてそれは、クマが荒れ狂う心の痛みと漸く折り合いをつけた瞬間でもあった。<続>

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ただその40分間の為だけに(10)

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 ヒナコは迷っていた。確かに歌うことは子供の頃から好きだったし、ある程度得意だとの自覚もあった。どんな曲でも二三回聴けば覚えてしまい、殆ど音程を外すことも無かった。そして声を体に共鳴させてより深く響かせると、得も言われぬ恍惚感のようなものに浸ることが出来た。それでもヒナコには迷っている事があった。

 彼女は「コッキーポップ」というラジオ番組を毎晩欠かさず聴いていた。そこでは、音楽を志す名も無き若者達が自作の曲や歌唱力を競い合い、リスナーからのリクエストの数によって、番組提供者であるヤマハが主催するポプコン、そして更には世界歌謡祭への道が開ける。参加者の最終目標は勿論グランプリ獲得であり、前回の受賞者は200万枚の大ヒットを記録した「あなた」を歌唱した小坂明子だった。

 ヒナコはその歌がラジオで紹介された時からいい曲だと思い、何度も声に出して歌っていた。そして呼ばれていないにも拘らず図々しく出演することになった、2ー4フェアウェル・コンサートでそれを歌おうと考えた。だが相棒のムーからナッパがその歌を演目に入れていると聞き、一応立場を考えて遠慮する事にした。勿論、彼女は他の誰よりも上手く歌う自信はあった。

 ムーはヒナコが持ち前の全方位外交ならではの情報収集力を駆使し、ようやく探し当てた相棒だった。歌に比べ伴奏のギターがあまり得意ではないヒナコにとって、ムーの演奏力は欠かせないものであり、ムーにしてもヒナコは本気で音楽を語り合える貴重な同志となっていたのだった。

 彼女達二人は、百名以上の犠牲者を出した熊本大洋デパートの火災からまだ日も浅い1973年12月にコンビを結成、それ以降毎週土曜日、互いの家を行き来して練習を重ねていた。そこで演奏されていたのは、「コッキーポップ」で聞いた「そんなあなたが」や浅田美代子の「赤い風船」、そしてまたムーが作ったオリジナル曲で、当面の目標は当初ムーだけに声がかかっていたフェアウェル・コンサートに二人で出演することだった。

 それは、このコンビとして初めて人前で歌うチャンスであり、またコンサートの模様は録音されるという非常に魅力的な情報も流れていた。二人は相応の準備をしてこれに臨み満足する結果を出したが、その「しゃべり」を含めたパフォーマンスには、クマやアグリーも「コンサートの主役を乗っ取られた」と認めざるを得なかった。


HIM そんなあなたが/風のかたみの日記

 しかし、ヒナコにとってこのコンサートに於ける一番の収穫は、クマとアグリーに出会った事だった。彼等二人は今まで聞いた事のないアコースティック・ギターの演奏、アグリーがストロークで刻むリズムにクマがつま弾くリードのフレーズ、それが途轍もなく格好良く感じられた。

 また、通常のチューニングではない神秘的なサウンドにも心が惹かれた。それは勿論彼女があまり洋楽に興味が無かったせいでもあるが、これまで上手いと思っていたムーのギターも色あせて見える程強く印象付けたことだけは確かだった。

 ヒナコは少し前から、高校生活の記念になるような事がしたいと考えていた。それは具体的に何をという訳ではないが、取敢えずは音楽絡みの事になるであろう事は予測がついた。

 そんなある日、彼女は一、二年の時同級生だった女生徒と廊下で立ち話をした。その元同級生は一年生の時から男子生徒二人とピーター、ポール&マリーのコピーバンドを組んで歌っていた。そして彼女達は毎年文化祭の初日だけ行われる世田谷区民会館での催しに出演していたのだった。それについて尋ねると今年も出る心算だとの返事だった。

 その時はそこまでで話は終わったが、後になるとヒナコは自分もそのステージに立ちたいと思うようになっていった。

 そもそも彼女はプロの歌手になるなどという発想は毛頭なく、卒業後はどこかの短大へ行き、そのうち結婚して子供を儲け平凡に暮らしてゆくという、ごくありふれた幸せを漠然と想像していた。そんな彼女にとって世田谷区民会館のステージは絶好の機会であり、思い出作りには打って付けの場所と言えた。

 彼女は早速相棒のムーに相談した。ところが意外な事にその反応はあまり芳しくなかった。反対こそしないものの、ムーは自分の技量を冷静に判断できる人間で、強力な助っ人が必要との意見を述べた。唯、もうあまり時間は残っていない。ヒナコがクマとアグリーの演奏力を思い出したのはある意味当然の成り行きあったのだ。

 そして受験勉強に没頭しているらしいクマになんとか参加を承諾させ、胸を撫で降ろしたのも束の間、ヒナコは大きな問題が残っている事に気づいた。高校最期の文化祭、しかも世田谷区民会館のステージ、そこで一体何を歌えばいいのか。彼女の迷いはその一点に絞られていた。<続>   

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ただその40分間の為だけに(9)

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 その日、等々力のヒナコの家にムーとアグリー、そしてクマの四人が集合、記念すべき第一回目のミーティングが開かれた。

 『あの2ー4フェアウェル・コンサートから二か月余、ここにヒナコとムーの歌唱力、そしてクマとアグリーの演奏力を結集した、本校音楽史上かって類を見ない超弩級スーパーグループがついに誕生した』

 もし機関紙ダンディーの発行が続いていれば、恐らく一面三段抜きでそう伝えたに違いない。

 四人が揃うと「何か言ってよ」そうアグリーに促されたヒナコは立ち上がり、右手でマイクを持つ仕草をした。

 「えへん、えー、私達は今日、新しいグループを結成することになりました。つきましては先ず各人自己紹介をお願いします」勿論、今更自己紹介をする必要など無いが、「ヒューヒュー」とムーが手を叩いて奇声を発した。

 するとクマは突然提案をした。「それじゃあ面白味が無いから、他己紹介にしようよ」

 「なに、それ。蛸がどうかしたの」ヒナコが怪訝な顔をする。

 「いや、そうじゃなくて、他人がその人に成り代わって紹介するんだよ。例えばやってみると・・・。はい、僕がアグリーです。昭和32年目黒区五本木生まれ、今もそこに住んでいます。家族は両親と弟の四人です。趣味は音楽全般、聴く事とあとギターを少々弾きます。ハーモニカもやってます。好きなミュージシャンは何といってもビートルズ、他にも何でも聴きます。曲も作っていて、20世紀最大のメロディーメーカーになる予定です。クマと違ってテクニックよりもセンスが重要だと考えています。後は、キャンディーズの蘭ちゃんのファンです。好きな作家はアガサ・クリスティー、因みに僕のペンネームは阿笠栗助 ・・・。他に何かあったっけ・・・」

 「いや、もうそれだけ言えば十分」アグリーは苦笑いをした。

 クマも少し笑って応えたが、その時ふと全く別の考えが心をよぎった。『何故自分は今ここにいるのだろうか』

  この集合体への参加を最初に求められた時、クマにはナッパという存在があった。たとえナッパ自身は既に心が揺れていたとしても、少なくともクマの中では未だそれは脈々と息づいていたのだ。

それは春の日の柔らかな日差し

それは夏の日の暖かな夕立ち

それは秋の日の爽やかなそよ風

それは冬の日の穢れない粉雪・・・ 

 それ迄失恋の歌しか作らなかったクマはそんな詩を書き、遅れ馳せながら訪れた所謂青春を謳歌するつもりだった。しかし、その歌は決して歌われることも録音されることも無く、静かに記憶の淵に沈むように消えていった。

  『そして今、ここにいるんだ』

 

 「鍵付きサナダが小遣いをくれたよ」クマは教室に戻るとそう言った。学校は既に夏休みに入っていたが、2年4組の文化祭の責任者四名は打ち合わせの為登校し、出し物である演劇「父帰る」の進捗状況と今後の段取りを確認していた。

 概ね予定通り進んでいる事が分かると、クマは早々に帰宅する旨を皆に提案した。何故なら冷房設備の無い教室は長時間居座るには暑過ぎたのだ。

 勿論全員が了承し、筆頭責任者であるクマは、日直の教員へ下校届を出しに職員室へ行った。するとその日は、たまたま彼等の担任サナダ虫が当番で出勤しており、ここでもまた劇の進捗状況の話になった。

 他のクラスに比べ2年4組の準備は抜群に進んでいる、と職員室でも話題になっているらしく担任は満足そうであった。そしてその感謝の気持ちかどうか解らないが、クマが退出しようとすると、彼は自分の財布から千円札を取り出し「何か冷たい物でも食べて帰りなさい」と言って渡してくれたのだった。

 クマ、ダンディー、メガネユキコそしてナッパの四人は取敢えず学校のそばにある唯一の食堂、駒沢飯店でかき氷を食べることにした。クマにしてみれば、たとえ二人きりのデートではないにせよ、ナッパとこうして特別な時間を共有することが、この上もなく幸せに思えてならなかった。

 早々にかき氷を食べ終わると、まだ少し残金があったので隣の駄菓子屋で花火を買った。特段深い理由は無い。校舎の影で線香花火でもしようとクマが言い出したのだった。そして花火を持ったナッパがまるで子供のようにはしゃぐ様を、彼はそのすぐ後ろを歩きながら、まるで恋人のような目をして愛おしく見つめていた。

 その日から間もなく、クマはその一瞬を歌に閉じ込めようと言葉を探し、初めてまともなオリジナル曲を作って、それを「君に捧げる歌」と名付けた。 

日差しに歩く後ろ姿が 子供のようにはしゃいでたね 

買ったばかりの花火を振りながら 夜までとても待てないなんて

あの時言えばよかった 君がとても好きだって

僕の心を知ってるように 君の瞳が笑っていた

 1973年7月、あの暑い夏は、まだ始まったばかりだった。 


君に捧げる歌 Demo Version /風のかたみの日記

 

 その日から10か月余り、彼が望むと望まざるとに拘らず事態は大きく変化し、物語は等々力のヒナコの家にたどり着いた。

  クマの要領を真似てアグリーがクマを、ヒナコとムーがそれぞれお互いを紹介し合い他己紹介は無事終了、ミーティングはいよいよ本題に移った。

 「それで、一体何をやんの」クマが誰とは無しに問いかけた。彼は最初から、自分とアグリー二人はヒナコとムーの歌のバックでギターを弾くだけだと考えており、曲名さえ聞けば直ぐにでもコピーして練習する心算でいた。

 「それが未だ決まってないのよ」ヒナコはそう答え、ラジカセのスイッチを押した。流れ出した曲は何とアグリーが作った「僕達のナパガール」だった。そのテープはこれまでクマとアグリーが多重録音したオリジナル曲をクマが編集しアグリーに渡したものだ。


僕達のナパガール/風のかたみの日記

 「アグリーどんに借りたの」ヒナコの言葉にクマは黙って頷いた。

 「こんな風に自分達が作った歌を録音出来たらいいよね」口数の少ないムーが呟いた。

 「これはこれで結構大変だったんだよ、センヌキは間違えるしクマは怒るし」アグリーはそう言ってニヤっと笑いクマを見た。

 「えー、白クマのおじさんって怒るんだ」何故かムーだけはクマの事を白クマのおじさんと呼んでいた。

 「そりゃあ、聖人君子では無いし。まあ怒ると言ってもねえ」クマは本当のおじさんみたいな言い方をして笑ってみせた。たとえ心の中は嵐が吹き荒れていようと、それ位の振る舞いをすることは出来る。

 テープは続けてクマが作った「落ち葉の丘」が始まるところだった。<続>


落ち葉の丘/風のかたみの日記

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