メリー・クリスマス

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 クリスマスについて最初の記憶は未だ幼稚園に行く前、恐らく3~4歳の頃だと思う。ある日の午後、家の垣根の向こうに父方の叔父がひょっこり顔を出し笑顔を見せる。玄関の扉を開くと手にデコレーションケーキが入った白い箱を持っていた。

 当時ケーキなど滅多に口にする物では無く、ましてや白くて大きな円筒形の上にチョコレートやビスケットで出来た飾りが乗っているなど、殆ど夢のような菓子であった。たとえそれがバタークリームで出来ていたとしても、そもそも生クリームの存在など知る由も無かった時代の話である。

 クリスマスについて書かれた物語として世界で最も有名なのは、1843年に出版されたディケンズの「クリスマス・キャロル」をおいて他にはないだろう。守銭奴ユダヤ商人「スクルージ」が精霊達の導きに由って改心し、遂には「ロンドンで一番クリスマスの楽しみ方を知っている」と言われるようになる迄を描いている。

 シェイクスピアの「ベニスの商人」に登場する金貸し「シャイロック」が何ら落ち度は無いにも拘らず、裁判で不当な屁理屈判決を受けるのに比べれば、同じユダヤ人であってもこちらの方がまだ救いはある。

 クリスマスに纏わる楽曲、所謂クリスマス・ソングもまた古今東西、数え切れない程存在するが、我が国に於いては1983年以降、定番は山下達郎の「クリスマス・イブ」であることは誰もが認めるところであろう。恋人達が寄り添う筈の聖夜に起きた失恋の悲劇を、心地良いパッフェルベルのカノンに乗って淡々と歌う胸にしみる名曲だ。

 ところでここ数年、筆者のクリスマスの過ごし方は、ソコソコのレストランで食事をする程度であったが、 昨年は生まれて初めてディナーショーなるものの経験もした。

  しかし今年はどうしようもない。せいぜい家でカーネルおじさんのチキンでも頬張りながら、ビール代わりの安いシャンパンを飲む位しか思いつかない。

 せめて読者諸氏に何かプレゼントでもと考えたが名案は浮かばず、仕方が無いのでいつもの事ではあるがYouTubeを作成する事とした。

 曲は筆者が高校1年の文化祭で前述の「クリスマス・キャロル」をクラスメイトと上演した際、エンディングテーマとして流したものをDTM化。そして写真は以前撮影し古いiPhoneに残っていたものを使用した。

 もし良ければ御覧願いたい。 但し、YouTubeの低評価をクリックするのだけは勘弁して頂けないだろうか (^^♪)


Happy Xmas (4k)/風のかたみの日記

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大つごもり(初回投稿2018年12月17日)

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 時折「はてなブログ」から『過去のブログなどを振り返りませんか』とのメールが届く。殆どはスルーしているが、今回ふと思い立って以下の通り再掲してみることにした。

 

 今回もまた筆者が常日頃関心を持っている事柄、「宇宙・天文・暦」について書いてみようと思う。先ずはおさらいから。

 

 さて、今回のタイトルは「大つごもり」。漢字では「大晦」または「大晦日」と書く。『おいおい、それは「おおみそか」と読むのだろう』早くもそういう声が聞こえて来そうである。

 確かにその通り。しかし、聡明な読者諸氏は「みそか」は「三十日」と書く事もご存知であろう。和歌を「三十一文字」(みそひともじ)と言うようなものである。

 思い出して頂きたい。我が国の暦は長きに亘って「太陰暦」を用いていた事を。即ち月の満ち欠けが、往時最も重要な関心事であった農作物の育成時期や、言葉の形成に多大な影響を与え、日本人の暮らし、そして感情に密接に作用して来た事実を。

  我々は月の始めの日にちを「一日」(ついたち)と言う。これは元々新月を意味し、それを「月が立つ」と表現した事に由来する。

 月はその後、次第に成長(明るい部分が増す)して、三日月、半月、十五夜(満月)となり、それ以降は月末に向かってまた欠けて行く。そして三十日(みそか)には月が完全に籠ってしまう。

 もうお分かりの筈だ。「みそか」は「月が籠る」から「つごもり」、全く目から鱗が落ちるように明解な論旨ではなかろうか。

 そうして十一回「晦」(つごもり)があり、一年の最後の十二月三十日または三十一日を「大晦」または「大晦日」(大つごもり)と呼ぶのである。尤も「おおみそか」と言う人の方が圧倒的に多い事は認める。 

 かく言う筆者も恥ずかしい事に比較的最近までこの言葉の意味を知らなかった。というか余り興味が湧かなかった。

 私は長い間これを「大津籠り」と勘違いしており、恐らく歴史上著名な人物が、何らかの理由で、琵琶湖の傍の大津にある延暦寺、若しくはその他の場所に閉じ籠っていたのだろう、などと漠然と考えていたのだ。

 それはさておき、如何だろうか、これから年末年始の時候の挨拶などで、この蘊蓄(うんちく)を披露してみては。あなたの雑学博士としての地位が向上するのではと思うが。

 但し、周囲から単に煩いジジババだと嫌がられても、その責任を負う心算は一切無いので悪しからず。

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風雅の技法

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 小中学校の授業以外、音楽に関して特別な教育は受けていない。それでも決して上手いとは言えないもののギター、ピアノ、ベース、ドラムは何とかこなす楽器小僧である。病が高じて太棹の三味線まで手に入れたが、これは未だ収納の中に眠ったままだ。

 「眠ったまま」と言えば1年余り前に導入した DAWソフト「Cubase 10 pro」がメインの音楽制作システムも、本来の機能が使えないまま専らMIDIファイル再生機と化していた。

 因みにこのブログの「季節の花」シリーズのBGMは全てそのMIDIを走らせたデジタル音だ。

 しかし自分で言うのも何だが、実はその音が気に入らないのである。それは「Cubase」にバンドルされたデフォルトの音源が、そのMIDIファイルが作成された頃、未だ存在していなかったせいで、同じ音色名であっても本来の音とは微妙に異なるのだ。

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 その「微妙な違い」を解消する為には、昔の音源を使うしかない。調べたところメーカーが音源をソフトウェア化しているのが判り即行でこれを入手した。

 ところが、あろうことか、いくら弄っても「Cubase」はこのソフトを認識しない。Windows 3.1 の時代ならいざ知らず、プラグ&プレイが常識の今時、こんな事があるのかと思ったが、繋がらないモノは繋がらない。結局、途方に暮れて放置せざるを得なかった。

 しかし、専用のパソコンを始め個人的にはかなりの巨額投資をしているのだ。しかも怪しげなコピー製品では無く正真正銘「正規品」である。出来ない筈がないではないか。

 自らを𠮟咤激励し一念発起、全てを再インストールした。アクティベーションでコードを記入する際、コピー&ペーストが出来ず、延々と手動入力するというアンビリバボーな事もあったが、遂に音源ソフトは外部プラグインとして認識され画面に現れた。もう感涙チョチョぎれ状態である。

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 とにかく年甲斐もなく嬉しくて仕方がないのである。という訳で早速昔作った曲を鳴らしてみた。一応格調高い弦楽を目指したが、筆者の能力ではこの辺りが精一杯か。


Rest of My Life (4K)/風のかたみの日記

 尚、タイトルとは全く関係ない内容となってしまった。悪しからず。

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季節の花(師走)

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 毎年この時期になると薄墨で書かれた定型文の葉書が届く。かってその文面の主語は「祖父が」か「祖母が」であり、やがてそれが「父」か「母」に変わって、ついには本人の名前が記される事となる。

 しかしそれは避けては通れない自然の摂理。枯れ果てた一年草の花は、種は残しても再び咲く事は無い。 願わくはローラ・ニーロの歌のように、次の世代へと引き継がれて行かんことを。

 And when I die, and when I'm gone.  There'll be one child born. In this world to carry on. 

 


季節の花 師走 (4K)/風のかたみの日記

 

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新蕎麦を食す

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 親子三代以上脈々と続く生粋の江戸っ子ではないが、意地っ張りで喧嘩っ早く人情家で涙脆い。ついでに「宵越しの銭は持たない」と啖呵の一つも切りたいところ、残念ながら生来「金」とは縁遠い。それでも新たな季節の到来を告げる初物や旬の物には目が無く、多少値が張っても出来ればいち早く味わいたいとは思っている。  

 ところが、例えば秋を代表する庶民の味「秋刀魚」が昨年から極端な不漁に見舞われ簡単には口に出来なくなってしまった。そこへ持って来て新型コロナウイルスの来襲である。ひたすら「STAY HOME」を心掛け「うち飯」や「テイクアウト」偶には「宅配」に徹しているが、かれこれ一年近くも続けるとイイ加減うんざりするのが人情と言うものだ。

 そんな折り何気なくインスタグラムを眺めていたところ、 とある蕎麦屋の写真に目が留まった。『そうか、もう新そばの季節か』

 インスタグラムの主は東京は中央区日本橋室町に店を構える「紅葉川」(モミジガワ) 。正月の風物詩「箱根駅伝」の復路最終ランナーが「日本橋」を渡り、中央通りから大手町のゴールへと向かう最後の曲がり角「日本橋北詰交差点」に程近い場所にある。

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 元々は「藪」「更科」「砂場」等と並ぶ蕎麦屋の暖簾会「満留賀」の店として百年程前に出店し、30余年前に現在の「紅葉川」に改名したそうだ。店の入口の上には往時の物と思われる古い木製の看板が今でも掲げてある。

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 「満留賀」について興味がある方はこちら。満留賀 - Wikipedia

 ところで「新そば」である。これは文字通りその年に収穫された「そば」の事を指すが、特に10月から11月にかけて穫れる物を「秋新」と呼び、香り高く喉越し爽快だという。因みに「紅葉川」では北海道沼田産の「玄そば」(殻付き蕎麦) を自前の石臼を使って製粉している。(沼田は最近話題の米「ゆめぴりか」の産地でもあるそうだ)

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 この界隈には「神田藪蕎麦」「室町砂場」「利休庵」といった名だたる蕎麦の老舗が揃っているが、実を言うと筆者は数十年前からこの「紅葉川」を贔屓にしている。鴨焼など酒のツマミ類が充実している事が理由であって、決してその昔、室町三美人の一人と謳われたらしい女将が目当てなどという事はない。かな

(三美人の残り二人は既に閉店した割烹松楽と宝家の女将)

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 しかし、ここに来てコロナ感染者数が急激に増加の一途を辿り、残念ながらゆっくりと酒席を楽しむ事は出来なくなった。それでも「新そば」は食べたい。かくなる上は日本政府ご推奨「マスク食事」に頼る他道は無い。そして11月26日午後五時、久し振りに暖簾を潜ったのである。

 因みに店内はスペースを充分に使ってディスタンスを確保しており、食べ物は最初から小皿にシェアして出す等、コロナ対策はしっかり実施されているように見えた。

 そしてこの日注文した蕎麦は「鴨せいろ」にねずみ大根の「辛味おろし」を追加した「風のかたみスペシャル」(下の写真) 。尚、この名称は筆者が勝手につけたものであり店でそう言っても通じないので、くれぐれもご注意願いたい。

 さて肝心の食レポ、そんなもの美味しいに決まっているではないか。

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 紅葉川:東京都中央区日本橋室町1-2-4 三越SDビル1F 03-3279-2003

 尚、今回掲載した写真は、紅葉川の了承を得て同店のインスタグラムから拝借したものである。

季節の花(霜月)その三

 

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 このブログを更新するタイミングについて特に決めている訳ではないが、今月はいつになく記事数が少ない。それと言うのも最近文章を書く事が大儀に思えて仕方が無いのである。

 元来筆者は滔々と高説を垂れる程の蘊蓄も無く、仮に何か書いたところで以前読んだ書物やネットから拾い集めた概説等を、あたかも持論であるかのように記述する位しか能が無いのである。

 尤も広告収入を得る等と大それた目的も無い事はご覧の通りだが、それでも「はてなスター」や「ブックマーク」を頂くと素直に嬉しい。それは「私」にとってはささやかな、しかし「風のかたみ」にしてみれば過分なる贈り物。その為だけに、こうして投稿を続けるているのかも知れない。

 さて、二度ある事は三度ある。三度目の正直。仏の顔も三度まで、いや待て。仏様も三度も顔を撫でられたら怒るのだから、三度目はアウトなのか。

 心を過る数多の不安に背を向けて、今回も以下の通り。


季節の花 霜月 三 (4K)/風のかたみの日記

 

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季節の花(霜月)その二

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 iOS のバージョンが 14 になって以来、それまでの使い方が突然出来なくなったりして少々面喰っていた。しかも、そうこうしているうちに今度は Windows 10 が訳の分からないバージョン 20H2 とやらにアップデートしてしまい、これもまた何となく使い勝手が悪くなったような気がしてならない。

 それでも、恐らく開発者は良かれと思って改定している筈で、事実、ネット情報を眺めていると徐々に組み込まれた新たな機能が判明しつつあるようだ。唯、それらの知識を習得するのに、当方はもう歳を取り過ぎたのかも知れない。

 一連の変更への対応に思いの外時間を費やしてしまい、このブログの更新は置き去りされ、結果、用意していた「今週のお題」についての下書きも期限切れとなって、残念ながら没にせざるを得なかった。

 とにかく忘れ去られてしまう前に何か投稿しなければ。遅筆、拙文の筆者としては、かくなる上はこれしかない。という事で今回も以下の通りと相成った次第である。


季節の花 霜月 二 (4K) /風のかたみの日記

 

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