レクイエム 3.11(再掲)

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 今年もまたこの日がやってくる。2011年3月11日、あれから10年の月日が流れた。

 東日本大震災。死者15,899名、行方不明者2,527名、関連死を含めると22,000余人の尊い命が失われた。かって犠牲者の死因の大半は「関東大震災」は焼死、「阪神淡路大震災」では圧死であったが、この大震災では溺死が90%以上を占め、私達は巨大津波の恐怖をまざまざと見せつけられたのだ。

 更にその猛威は福島第一原子力発電所の重大事故を招き、今日現在その廃炉処理が収束する具体的見通しは未だ立っていない。恐らく今後数十年の歳月を要するという。

 さて、以下は2年前、この未曾有の災害について「はてなブログ」に投稿したものである。備忘録として再掲したいと思う。

 

  同時代を生きる者として、やはりこの日の事を避けて通る訳にはいかない。

 あの時あの場所で、一体何が起きたのか、何が出来て何が出来なかったのか、何をすべきで何をしてはいけなかったのか、何が解決し何が未解決なのか、何が解明され何が不明のままなのか、そして我々はそこから何を学び何を残せばいいのか。

 2011年3月11日、その日私は昼過ぎに函館から空路帰宅し、居間のテレビを点け鞄の荷物を整理していたところ、突然「緊急地震速報」のあの不気味な警報音が鳴った。

 手を止め画面を見入っていると、やがて壁が軋むような音がして部屋と建物全体が揺れ始めた。それがあの未曾有の惨禍の始まりを告げる、破壊の神ポセイドンのいわれなき怒りのシグナルであった。

 その激しい揺れは私が初めて経験した震度5だったが、幸いな事に私と私の親戚知己に然したる実害は無かった。しかし暫くして、震源地から離れていながらその影響の大きさを痛感する事が起きる。

 それは「計画停電」と呼ばれる、地域ごとに輪番で電力の供給を止め、更なる電力トラブルを回避する施策で、身近なライフラインがこんなにも脆弱な物だと実感するには充分であった。

 停電は事前に実施日時が公開された為、大きな混乱は起きなかったが、これまで殆ど体験した事の無い闇夜を懐中電灯と蝋燭だけで過ごし、早めに就寝する以外、対処法は何も無かった。 

 勿論、それは大切な人や物を失った被災者の方々に対し、申し訳ない位の些細な不便さではあったが、震災直後の被災地の暗闇が、如何に心細い物であったか僅かなりとも体感する事は出来た。

  世にカタストロフィやパンデミックと呼ばれる悲惨な出来事の歴史がある。世界規模で一番大きく有名な例は8,500万人が死亡したという十四世紀のペストだろう。また記憶に新しいところでは阪神淡路大震災、9.11同時多発テロ、昨年日本各地で起きた水害もあった。

 それらの惨状は技術の進歩により瞬時に可視化され、我々により強い印象を残す事となった。人は大自然の猛威や同じ人間の狂気の前に立ち尽くし、己の無力さを痛いほど思い知らされる。

 八年前、目の前のテレビ画面は、荒れ狂う海と化した市街地を遡行して行く夥しい数の瓦礫を、まるでCGの如く映し出していた。そして私はただ茫然とそれを見るしか術は無かったのだ。そこはかって訪れた事のある海辺の街、或いは今そこにいても何の不思議も無い有名な景勝地

 あれから八年という歳月を経て、漸く私にはある種の覚悟のようなものが芽生え始めた。それは災害が起きても即座には誰も助けてはくれないという事実。やがて到着するであろう援助を待つ迄の間、自分の身は自分で守らなければならないという現実。そしてそれを不当だとは考えない自覚。

 失われた二万余人の尊い命と、自らの身命を賭して最期まで最善を尽くした数多の崇高な御霊、今なお不自由な環境での生活を余儀なくされたり、心に深い傷を負いながらも懸命に生きている人達、それとは対照的に、愚かさを露呈しながら未だに自画自賛を繰り返す当時の為政者達、それら様々な交々に思いを馳せる、この3月11日をそのような一日にしたいと私は思う。あなたはどうだろうか。(初回投稿2019年3月10日)

 

 今また私達は「新型コロナウイルス」なる新たな脅威に遭遇している。しかし、これまで幾つもの試練を乗り越えて来たように、今日という日は一筋に未来へと続いている、そう私は信じたい。

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マクロの決死圏

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 前回に続き写真の話である。尚、専門的な知識や技術に関する記述、役に立つティップス等は一切無いので予め御承知頂きたい。

 さて、私が28㎜/3.5、単焦点マクロレンズを入手した件は既に述べた。後は実際に使って慣れるしかないと考え、70-300mmのズームを付けたカメラの他にコレをポケットに入れての散歩である。尚、一応レンズ保護の為フィルターとフードは装着している。

 だが「これは!」というシーンには中々巡り合えない。考えてみたら都合の良い位置に咲き、尚且つ28mm圏内まで近づける花などそう多くはないのだ。「いいな」と思っても当方の身長不足でカメラが届かない。或いは低すぎて地面に這いつくばらなければならない等々。

 それでも辺りをキョロキョロ見回しながら歩いていると、突然、近くの木の枝がガサガサと音を立てた。見上げると何と鳥がとまっているではないか。しかもかなりの至近距離。とにかくシャッターを切る。(後で調べたらホオジロという鳥らしい)

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 更に歩いて行くと何やら華やかな色合いの草花が見えて来た。マクロレンズを試すチャンスだ。スマホに入れた「ハナノナ」という無料アプリをかざすと97%の確率で「パープル・ヒース」と出た。帰宅後チェックすると「エリカ」の一種のようだ。

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  どうもこのレンズは焦点を合わせるのが難しい。次にトライしたのは「馬酔木」(アセビ

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 何とかして花弁の質感を捉えたかったが、風が吹いて被写体が安定しない。人生同様、思い通りにはいかないものである。

 そこで順路にある温室に「フブキバナ」という可憐な花が咲いていた事を思い出し入ってみたが、既に盛りが過ぎたのか撤去されていた。仕方がないので「ワサビノキ」を撮ってみた。

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 いずれにしても今後も引き続き使ってゆくしかないと思われる。しかし、こんなにピンポイントばかり見ていると世の中に対する視野も狭まり、近視眼的見方しか出来なくなるのではないか。そんな懸念が心を過った。

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as close as possible

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 所謂「三寒四温」なのか、このところ気温が乱高下気味で毎日着る物に迷う。風邪をひかないよう手洗いとウガイを欠かさず、とにかく気をつけるしかない。

 散歩も不要不急の外出に該当するか悩ましいところではあるが、少しは身体を動かさなければならないので、極力人混みを避け出かけるようにしている。

 そんな折り、いつも通る所で早咲きの桜「安行寒桜」が開花しているのを見つけた。未だこんな騒ぎになっていなかった去年、この花を訪ねて随分あちこちに行ったものだ。

 何となく久し振りに友人に会ったような気がして、少し嬉しくなったりもした。

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  散歩の主たる目的は写真撮影ではなく軽い運動なので、カメラには70~300mmのズームを装着し、他の交換レンズは持ち歩かない。かさばる望遠にするのは偶に出くわす野鳥を撮る為である。

 だが、いざその時になってみると、オートフォーカスでは手前や奥の枝などにピントが合って肝心な鳥はボケる事が多い。だからといってマニュアルにすれば今度はピントを合わせている間に被写体は移動してしまう。結局、運を天に任せてオートでシャッターを切るしかない。

 偶然、いい絵になると嬉しいが、土台300mmなのでトリミングすると画像の鮮明さが失われる。さりとて欲を出して出来るだけ近づこうとすれば、あっさり逃げられてしまう。 まあ彼等も常に命懸けで生きているのだろうから仕方がない。

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 従って心置きなく狙えるのは基本的に静物、私の場合は「花」という事になってしまうが、こればかり続けていると、どうしても同じような写真だらけになるのは否めない。

 『マンネリ化した現状を打破する為には新しい何かが必要だ』そんな事を考えていたら どこからともなく悪魔の囁きが聞こえてきた。「標準レンズとしても使える28mm、単焦点マクロレンズ」 

 鳥には近づけなくても、これなら花との間を28mmまで縮める事が可能である。しかし約3センチといえば殆ど舐めるような距離。何やら怪しげな事をしているみたいで、はっきり言って恥ずかしい。近すぎるのも考え物だ。

  さて、このレンズ、果たして救世主になり得るのだろうか。 

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 以下のリンクはご参考まで。

  

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季節の花(「梅」図鑑)

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 梅と桜は非常によく似ている、と思う。同じ「バラ科サクラ属」なので当たり前と言えばそれ迄だが、写真を一目見ただけでは到底判別は出来ない。 

 しかし、どちらも古くから我が国の文化に溶け込んだ花であり、その区別がつかない等ということは、日本人として恥ずかしいのではないか。そう思って一念発起「違いが判る男」になろうと決心した。

 ところが、さっそく近くにある梅林へ行ってみるとその種類の多さに唖然とし、早くもめげそうになってしまった。早咲き、遅咲き、紅、白に加え、一重と八重咲き。更には萼(ガク)の色等々。それぞれが微妙に異なり、各々品種名があるのだ。

 寄る年波に唯でさえ脳のハードディスク容量は一杯なのに、とてもではないが覚えられる筈がない。

 だが、幸いなことに何本かの梅の木には名札がついており、こちらはカメラを持っている。それをセットで撮影しておけば、後になって氏素性を確認出来るではないか。

 という訳でせっかく記録が残っているので、これをまた YouTube にしようと考えた。

 尚、タイトルに「図鑑」と謳ってはいるが、そのような機能は無く、恐らく読者諸氏には殆ど参考にはならないと思う。

 従ってこれは単なる個人的備忘録と言った方が正しいかも知れない。それでもお付き合い願えればそれに勝る喜びは無い。 


季節の花(梅 図鑑)/風のかたみの日記

 

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ヘッドフォン三昧

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 自分で言うのも何だが、音に関して私はちょっとウルサイ。例えばスタインウェイベーゼンドルファーの違いくらいは、側板に書かれた社名のロゴさえ見れば瞬時に判断出来る程である・・・。

 ところで私達が日頃耳にする音楽の殆どはスタジオで録音、ミキシング、マスタリング等の処理を施した上で、CDやダウンロード用mp3として商品化されたものだ。また最近は敢えてアナログ・レコードにする場合もあるように聞く。

 読者諸氏は普段どのうような環境で音楽を聴かれているのだろうか。ウォーキング中「耳からうどん」状態の「ながら派」。はたまた家のステレオでじっくり「鑑賞派」。

 中には防音されたリスニングルーム、マーク・レビンソンのアンプ、JBLのスタジオモニターといった簡単には手に入らない、垂涎の所謂ハイエンド・オーディオ機器を揃える強者や、「音が暖かい」という理由で真空管アンプを愛用するマニアもいたりするかも知れない。

 確かに真空管トランジスタよりはるかに発熱するので「暖かい」かも知れないが、そこまで凝らなくても、これらの趣向は詰まる所「イイ音で聴きたい」が目的ではないかと思料される。

 かく言う私も以前ほんの少しオーディオに熱中した時期があり「やっぱり倍音が多いA級アンプは違うね」などと一人悦に入っていたが、それは殆ど自己満足に過ぎなかった。

 では、そもそも「イイ音」とは一体何なのか。これを説明するのは容易ではない。その事だけは判る。例えば S/N比 の数値が高いとか、音圧周波数が平坦で広いとか等々。ただ私が思うに、私達が「イイ音」と信じているのは、単に自分が好きな音ではないのか、という事である。

 本来は部屋の音響特性を補正する為にあるトーンコントロール等を弄り倒し、必要以上に低音や高音を増幅している人は多いと思う。

 先ずは原点に立ち返り、音楽制作者が意図した音を再生する事。それを可能にするには、制作現場であるスタジオと同様の環境を揃える必要があるのだ。

 と、言うのは簡単だ。だが一般家庭でそんな事は土台無理な相談である。そこで安上がりにプロがスタジオ等で使用しているアイテムを手に入れる事を考えた。そう、ヘッドフォンである。

  一口にヘッドフォンと言っても千差万別、音の傾向も驚くほど違う。私のヘッドフォン歴は長く、これまでに手にした製品は数知れない。現在でも7台ばかり所有しているが、元々レコードから楽器演奏のコピーをするのが目的だった為、とにかく音がクリアである事が必要条件であった。

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 従って音を楽しむというよりは、音を聞き分ける為の道具という感が強く、音量もかなり上げていたせいで長年続けた結果、若干難聴気味になってしまった。

 唯一、音楽鑑賞用に購入したと言えるのは、STAXというメーカーの製品で、これはヘッドフォン端子に差し込むのではなくスピーカー端子に繋ぐ。ヘッドフォン用アンプのショボい音ではなく、正真正銘、本来の実力を引き出そうという発想である。

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 確かにイイ音のような気もするが、実際のところよく解らない。尚、このモデルは発売から40年が経つ現在でも、ネット・オークションに於いて1万円程度で取引されているようである。

 さて、私がこれ迄のヘッドフォン人生で辿り着いた先。それは「赤帯」と呼ばれるSONYのモニター用定番モデルだアイキャッチ画像参照)。手頃な価格であまり音に癖が無く、軽いので気に入っている。

 プロ用のスタジオに常備され、音楽関係者にも愛用者が多いようなので、もしかしたらこれが制作現場の音なのかも知れない。と、思ったりもする。

 恐らく読者諸氏にもこれを使っている方は多いのではないだろうか。尚、2月22日は何故か「ヘッドホンの日」なのだそうである。

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季節の花(令和三年二月)

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 ふと気づけば暦はもう二月半ば。決して慌ただしい日々を送っている訳ではない。それどころか逆に代わり映えしない毎日である。このような生活は何の印象も残らない為、振り返ってみると極端に短く感じてしまうのだ。

 お気に入りの店で食事も出来ず、行きたいコンサートや観たい映画もじっと我慢。不要不急の外出は可能な限りこれを避けて家に閉じ籠り、ひたすら嵐が通り過ぎるのを待っている。

 それもこれも忌々しい新型コロナのせいである。しかし不自由な暮らしを強いられているのは私だけではないし、感染したり、職を失ったり、更に辛い思いをしている人も大勢いる。不平を言う筋合いではないのである。

 『それでも誰かに当たり散らしたい』 一時期、評判があまり良くないWHOのテドロス事務局長の顔がウイルスに見えたりしていたが、考えてみれば彼が就任した2017年時点では、このようなパンデミックが起きるとは誰も予想しなかった訳で、ある意味彼も不運な人なのかも知れない。

 勿論、感染は怖いし、出来る限り避けなければならない。とは言え過度にナーバスになっても精神衛生上好ましくない。

 目下の楽しみと言えば、運動を兼ねカメラ持参で植物園をウロウロ散歩する事位で、安全を図る為に殆ど人がいない午前9時の開園時刻に合わせ車で家を出る。立春はとうに過ぎたが、はっきり言ってこの時間帯は未だ寒い。

 しかもこの時期、咲いている花は数える程で、それも四季折々の風情の一つと言ってしまえばそれまでだが矢張り寂しい。盛りを過ぎたロウバイスイセン。これから盛りのウメにフクジュソウ等々。もうすっかり見飽きてしまい、何故か野鳥も近くに寄って来なくなった。

 そんな時、何やら黄色い物が木の枝に付いているのを発見。立札を見ると「シナマンサク」と書いてある。マンサクと言っても当然狂言役者ではない。イソギンチャクのような細長い紐状の花弁を持つ不思議な花である。更に進むと今度は同じ形をした赤い花(アカバナマンサク)も発見。読者諸氏にはご存知の方も多いのだろうが、私は初めて見たような気がする。

 という事で、今回はこの「マンサク」を中心にお馴染み?「季節の花」をご覧願いたい。尚、BGMは機械仕掛けのキース・ジャレット・カルテットが演奏する「Country」

 と思ったら、あまりに本物を忠実に再現したせいか、YouTubeから著作権者からの申し立てがありブロックしたとのメールが届いた。仕方がないので泣く泣くサックスをミュートして電脳キース・ジャレット・トリオに変更、何とかお目こぼしをして頂いた。 


季節の花 令和3年2月/風のかたみの日記

 

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霊峰を撮る

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 相変わらずタイトルは大仰だが、要は「富士山」の写真を撮りに行って来ただけの話である。それも麓の山梨県静岡県まで出掛けたり、近隣の絶景スポットを探した訳でもない。取敢えず最寄りの「富士山」が見える場所、「荒川土手」から撮影しようと考えたのだ。

 何故今富士山なのか。きっかけは Facebook のタイムラインに、かなり遠方から「ダイヤモンド富士」を撮影しようと不毛な努力をしている投稿があったり、また不屈のはてなブロガー、おりょー♪ (id:ryokobonafede)さんの情報によれば、バズーカ砲みたいなカメラを山に向けて、シャカシャカ鳴らしている穴場もあるという。

 ならばここはひとつ、『私もカメラを抱えて出かけてみようではないか。だが県境の河を越えると百合子が煩いので、その手前で我慢するしかないな』という結論に達した次第。

 実を言うと、ここのところすっかり外食を控えている事もあり、ちょいとオサレなレストランへ行った心算で、代わりにバズーカ砲まではいかないものの新しいズームレンズ(70~300mm/4~5.6)を入手したばかりなのだ。

 ところで「富士山」だが、日本の最高峰であるのは言うまでもない。しかし長い歴史の中で恐らく一度だけ後塵を拝した時期があった。

 1895年、日清戦争の結果、下関条約によって清国から割譲された「台湾」には「玉山」という山があり、標高は富士山(3,776m)より高い3,952m。日本はこれに「新しい高い山」=「新高山」という名を付けた。

 因みに1941年12月2日。極秘裏に単冠湾からハワイに向けて南下する聯合艦隊に対し、真珠湾攻撃を発令した暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」はこの山の事である。

  その後、富士山が国内最高峰に返り咲いたのは二位転落から半世紀後、太平洋戦争が終結した1945年の事であった。

 <閑話休題

 さて勇躍出掛けたものの、朝日の妙に赤い光や思わぬ霞に阻まれ、結局思うような写真を撮る事は出来なかった。それでも当初はいつものようにYouTube用の動画を作成する心算であったが、ヘッダー画像から鉄橋や架線を消すのに消耗してしまい、以下の通り安易に写真を張り付けるに止めた。

 尚、頁が標示されるまで時間が掛かると思われるが何卒ご容赦を。

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