青春小説

ただその40分間の為だけに(19)

世田谷区民会館の舞台に立つまで既に三ヶ月を切っていた。「ヒナコさんグループ」が使える時間は未だ不明だったが、レパートリーにムーの二曲目が加わり、取敢えずはこれをメインに練習を続けていた。 しかし未だ四曲では足りない。ステージを30分以上維持…

ただその40分間の為だけに(18)

結局ニクソン大統領は辞任、軍用ヘリコプターに乗ってホワイトハウスを去った。そのニュースが極東の日本に伝えられた頃、東京は漸く梅雨空が晴れ、日に日に日差しが強まっていた。 「ヒナコさんグループ」は週一度の練習を欠かさず続けていたが、レパートリ…

ただその40分間の為だけに(17)

6月に入り梅雨特有の鬱陶しい天気が続いた。雨は下旬になって本格的に降り始め、月が替わると折からの台風8号の影響を受け日本各地に甚大な被害をもたらした。 クマ達が住む世田谷、目黒区周辺も、一級河川の多摩川や彼等が通う深沢高校の傍を流れる呑川流…

ただその40分間の為だけに(16)

「変わってないな」 6年前、10日余りの間閉じ込められていた建物を、久し振りに眺めクマはそう呟いた。正面玄関から中に入ると、ひんやりとした微かに消毒液の臭いの漂う空気が彼の遠い記憶を呼び覚ます。 過ぎ去った歳月は決して短くはない。しかし誰に…

ただその40分間の為だけに(15)

1964年10月10日、澄み渡った東京の空に航空自衛隊ブルーインパルスのF86Fセーバーが五つの輪を描いた。街の至る所には世界93か国の色とりどりの国旗がはためき、人々は15日間の祭りに酔い痴れた。 数々の名勝負が語り継がれる中、とりわけ東…

ただその40分間の為だけに(14)

「クマさん、こんにちは」聞き覚えのある声に顔を上げると、机の前にはチャコが立っていた。 「世田谷区民会館に出るんですって」その言葉を聞いてクマは目を大きく開き『何故知ってるのか』という顔をした。 「あっ、私、八組の文化祭準備委員なの。だから …

ただその40分間の為だけに(13)

結局その日、バンド名は決まらなかった。一番の原因は誰も気の利いた名称を思いつかなかったからだが、それでも文化祭準備委員会に出演申請の手続きをしなければならない。「取敢えず発起人の名前をとって『ヒナコさんグループ』で出しておこう」クマの言葉…

ただその40分間の為だけに(12)

「今を尊ばなければ一体 『いつ』という時があるのか」確かにクマはそう語った。しかし、そうは言ってみたものの具体的に何をすればいいのか、彼自身全く見当もついていなかった。『あの場の停滞した雰囲気を何とかしょうとしただけだ』と彼は思ったが、それ…

ただその40分間の為だけに(11)

「でもほんと、何やるか決めなきゃ」今度はアグリーが言った。等々力のヒナコの家ではクマとアグリーのオリジナル・テープの再生が終わっても、四人の協議は全く進んでいなかった。 「どうせなら何か面白い事がいいな。あっ、面白いってfunnyじゃなくてinter…

ただその40分間の為だけに(10)

ヒナコは迷っていた。確かに歌うことは子供の頃から好きだったし、ある程度得意だとの自覚もあった。どんな曲でも二三回聴けば覚えてしまい、殆ど音程を外すことも無かった。そして声を体に共鳴させてより深く響かせると、得も言われぬ恍惚感のようなものに…

ただその40分間の為だけに(9)

その日、等々力のヒナコの家にムーとアグリー、そしてクマの四人が集合、記念すべき第一回目のミーティングが開かれた。 『あの2ー4フェアウェル・コンサートから二か月余、ここにヒナコとムーの歌唱力、そしてクマとアグリーの演奏力を結集した、本校音楽…

ただその40分間の為だけに(8)

図書室を出たクマは、またいつもの桜並木をバス停に向かっていた。司書教諭との会話に示唆されるところはあったし、なにより初対面の彼女と自然に話が出来た事が嬉しかった。『あんな人が教鞭を執ればいいのに』とも考えたが、それは彼女が言うところの「月…

ただその40分間の為だけに(7)

「クマくん」若い女性司書教諭はそう声を掛けると直ぐに「あなたに悪いニュースがあります」と、まるで外国映画の台詞を直訳したような表現で続けた。しかし、それを聞いたクマは別に嫌な気はせず、それどころか随分洒落た言い方をするな、とさえ思った。 「…

ただその40分間の為だけに(6)

50分間の昼休みが終わり、五時限目の授業開始を告げるチャイムが鳴り始めても、クマは図書室の机の上に広げたレポート用紙の束を前に座ったままだった。 昨夜のナッパとの電話の後、殆ど一睡も出来なかったせいで、彼の両眼はサングラス無しで雪の照り返し…

ただその40分間の為だけに(5)

まだ春休み中だった四月初め、クマは明治神宮での初デートで二年間恋焦がれ続けたナッパといきなり口論をしてしまい、それ以来少し冷却期間を置いていた。否、その表現は正しいとは言えない。彼は『自分は嫌われてしまったのではないか』という、考えるだけ…

ただその40分間の為だけに(4)

アグリーとヒナコの誘いを振り切り学校を出たクマは、バス停に向かう途中、彼とは逆方向に移動する若い女性の集団とすれ違った。辺り構わず大声で会話をする彼女達は、上下ともジャージのトレーニングウェアを着用し、髪はボサボサ、運動靴はかかとを履きつ…

ただその40分間の為だけに(3)

「イ、ヤ、だ。くどいよ。何でもいいからオレを巻き込むのだけは止めてくれる」いつになくクマは声を荒げた。 5月下旬、デューク・エリントン死去の報が世界を駆け巡っている頃、ジャズとは殆ど縁の無い、それでもミュージシャンの端くれを自認するクマとア…

ただその40分間の為だけに(2)

「クマさーん、お客さーん」 三年でもまた同じクラスになったメガネユキコが、彼等のホームルーム、3年1組の出入り口からそう呼びかけた。何事かと訝しがりながらクマがそこまで行くと、全く知らない女生徒が立っている。 「あのう、私、3年7組のチャコ…

ただその40分間の為だけに(1)

そして1974年4月、僅か11名の部員で春の甲子園に準優勝を果たした徳島県立池田高校野球部への称賛が続く中、クマは唯一人、自分のフィールドで新たな挑戦を開始した。 高校3年になって遅れ馳せながら大学受験に目覚めた彼が先ずした事は、卒業に必要…

ただその40分間の為だけに(序)

不器用な青春を精一杯生きたすべての者に捧げる <主な登場人物> クマ: 物語の主人公。音楽一辺倒の生活に変化が。 アグリー: クマの盟友でライバル。 ヒナコ: 自分の音楽人生を文化祭に賭ける。 ムー: ヒナコの相棒。男言葉を使う不思議な少女。 セン…

お知らせ

今年の5月から6月にかけて、私は「青春浪漫 告別演奏会顛末記」なる小説のような雑文を連載して、自ら己の文才の無さを白日の下に晒し「拙文王」の名を不動のものにした。 実は自分でも忘れていたのだが、その第5回には次のような記述があった。 『・・・…

連載を終えて

1975年夏、私はこの「青春浪漫 告別演奏會顛末記」という物語を書いた。きっかけは当時一浪中だった元学級委員メガネユキコ女史から「フェアウェル・コンサート」のライブ・テープの追加注文の連絡を受け、理由を訊けば、同級生だった女子が入院治療中な…

青春浪漫 告別演奏會顛末記 21

13.「あのさあ・・・」ダンディーはそう切り出した フェアウェル・コンサートが終わって数日間、クマはライブレコーディングした2本の90分テープを何度も繰り返し聴いていた。アグリーは凡そ20名からこの録音テープの注文を受けていたが、そのままダビ…

青春浪漫 告別演奏會顛末記 20

12.「Don't Think Twice, It's All Right」クマは呟くように口ずさんだ とにかく終わったのだ。アグリーはコンサートを録音したテープの注文を取って回っていた。クマのところにはヒナコとムーがやって来て、「3年で同じクラスです、よろしくお願いします。…

青春浪漫 告別演奏會顛末記 19

11.「せっかく・・・」センヌキは恨みがましく非難した 所を三年四組に移して、マイクのセッティングやミキシングの調整が行われ、それが終わるとナッパから春休みに実施する最期のクラス合宿の説明があった。彼女は白いブラウスの襟元に細い黒のリボンを飾…

青春浪漫 告別演奏會顛末記 18

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた (2) ルバング島から29年振りに帰還した旧帝国陸軍の小野田少尉の話で日本中が持ち切りだった時、全く何の話題性も無い「愛と平和の祭典、フェアウェル・コンサート」も、遂に本番前日を迎えた。その日「深沢う…

青春浪漫 告別演奏會顛末記 17

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた (1) フェアウェル・コンサートを数日後に控えて、センヌキの家での I, S & N の練習は連日夜まで続けられた。しかし今まで吉田拓郎の歌が全てだと信じてきたセンヌキに、クマの高度というよりは、単にマニアッ…

青春浪漫 告別演奏會顛末記 15

8.「♩...♩...」ニッカは必死にリズムを刻んだ ナッパは正門脇にある自転車置き場の前で待っていた。『いやあ、お待たせしてゴメン。さあ行きましょうか』と言おうとしたクマは、彼女の隣にニッカが立っているのを見て、思わず言葉に詰まってしまった。…

青春浪漫 告別演奏會顛末記 14

7.「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」アガタは迫力ある顔にものを言わせた (2) ナッパとの夢の合同練習当日、クマはアガタの家へ行き、彼が知り合いから引っ掻き集めてくれたギターアンプ類を二人で、センヌキの父親から分捕った感のある「上野毛NAPスタジ…

青春浪漫 告別演奏會顛末記 13

7.「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」アガタは迫力ある顔にものを言わせた (1) クマ達はその日、機関誌「DANDY・最終号」編集の為、試験休み中にも拘らず登校した。一番最初に教室に着いたクマは、女子が数名いるのを見て一瞬驚いたものの、すぐに『春休み…