幻の牡丹鍋

 ついこのあいだ正月だと思っていたら早くも如月。年々速くなる月日の流れが恨めしい今日この頃。

 ところで今更ではあるが、今年の干支はしんがりの猪。十二支で一番最後になったのは、みんなで駆けっこをしたら、猪突猛進の言葉の通り圧倒的にトップであったのにも拘わらず、停止位置で止まれずに大幅に行き過ぎ、それを戻って来る間にビリになったからだと言う。

 猪突猛進と言えば源平合戦の大ヒーロー、源義経鵯越の逆落としで一の谷の合戦に勝利し、その勢いをかって悪天候をおし四国の屋島へ向かおうとした時、兄の頼朝から派遣されたお目付け役梶原景時が、それを諫めようと「闇雲に進むのは猪武者」という言葉を使った話を、小学生の頃読んだ記憶がある。その頃はけしからんと思ったが、今では至極真面な具申と考える。

 最近、猪が人里まで下りてきて農作物のみならず、人間まで襲うニュースをよく目にするようになったが、幸いな事に私の生活圏内での目撃情報は皆無だ。

 さて、いつものように遠回りをしながら、これからが本題。

 かって私は夏になると休暇を取って学生時代の友人と観光旅行に出かけていた。勿論行った事のない所で、見た事の無い風景を眺める事が目的であったが、当然美味しい物を食べるのも忘れてはいない。

 今のようにネットで様々な情報を得られる時代ではなく、旅行会社のパンフやガイドブックだけを頼りに行く先を決めていたが、いつの間にか食べ物目当てに探すようになっていた。

 或る時、食べた事の無い物の話をしていると、ふと「猪」の名前が出てきた。基本的に野生の動物であるから、そこいらのスーパーでは売っていない。しかし我々がいつも食べている豚の原型であり、猟師が鉄砲で仕留め大きな鍋で野菜と一緒にグツグツやっているのをテレビで見た事はある。食べられない筈はない。しかも豚汁などよりは遥かに美味しそうだ。

 そうやって出掛けたのである。行先は長野県、山があれば猪もいる。風光明媚な上高地観光と松本で猪鍋。完璧な計画の筈だった。

 さて現地へ到着、釜トンネルという手掘りの隧道を抜けるとそこはもう別世界。本当にここへ来てよかったという気持になった。この分では猪の方も期待が持てそうである。否が応でも胸は膨らむ。

 松本市内ではモノトーンが美しい松本城を見て、ガイドブックを頼りにいよいよお目当ての店へ向かう。ところが・・・。

 何と! 休みだ! 店の電話番号も定休日も分からなかった為、事前に確認していないので仕方が無い。

 それでも諦め切れず第二、第三候補を回る。そして漸くそれらしき店に入った。席に案内され先ずビールを注文し品書きを見る。しかし何処にも「猪」の文字は見当たらない。

 これは一体どうした事か。恐る恐る店の者に訊ねるとあっさり「夏場はやってないよ」の一言。友人と顔を見合わせ唯茫然とするしか無かった。

 それから随分時が流れ、その間に鹿、熊、鰐等の肉を食べる機会を得たが、何故か猪へのパトスは薄れて、未だにこれを食してはいない。最近はジビエ・ブームという話も聞く。干支に因んでこの冬あたり食べに行ってみようか?

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