カラオケっ!

 とにかくカラオケが嫌いだ。誰があんな物を考え出したのか。あっ、ちょっと待って頂きたい。中にはこれを真に受けて、既に頷くか嘲けているかも知れないが、私はそこそこ楽器は弾けるし、楽譜だって書ける(読めるなんてレベルの低い話では無い)。歌にはあまり自信はないものの、リズムを外す事は有り得ない。更に言えば、いわゆる絶対音感、A(ラ)=440Hzの音も音叉等ガイド無しで常に発声出来る。

 ところが唯一つ致命的な欠点がある。何と信じられない事に音痴なのだ。具体的に言うと旋律を100%狂い無く歌う事が出来ない。いや、もう一度待って貰いたい。勿論それは普通の人の耳では全く判らない程度の音程のずれ。しかし、なまじっか音に対し異常なほど敏感になってしまった私にとっては耐え難い苦痛である。

 では何故カラオケばかりそれ程嫌うのか。私の場合、例えばギターやピアノの弾き語りをする時は演奏の方にも神経が行っているので、歌にはそれ程気が回らない。最悪なのがあの忌々しいカラオケなのだ。

 あれで歌うと、若干フラットしたりして音を外した事実を、歌いながら自分の耳で瞬時に、そして完全に捕らえてしまう。すると歌っている事自体、楽しいどころかまるでシェイクスピアの悲劇のような物と化す。

 従ってカラオケがある店に行くだけで、パブロフの犬の如く条件反射し実に不幸な世界に一人落ち込み、少しもくつろげない。それでも諸般の事情でスナックやクラブにどうしても行かねばならない場合があり、半ば強制的に歌わされる事もしばしば。

 そこで考え出したのは、歌い出しの20秒程に全ての神経を集中する事だ。その手順は、イントロが流れ出すとその曲のサビ等、一番高い音を頭の中で素早く確認し、必要があれば機械のツマミを上下して、自分にとって最適なキーに調整する。そしてまるで少年のような透き通る声で歌い始める。

 すると、それまでざわついていた店内が一瞬水を打ったようになる。その時私は、してやったりと満足げに皮肉な微笑みを浮かべる。まあ、あまりいい性格とは言えない。

 だが、次の瞬間から私はもう歌う事に飽きてしまう。精神集中はあまり長くは続かない。

 そのようにして歌う事を嫌い避け続けていると、次第に声量は落ち、音域は狭まり、歌自体更に下手になってゆく。つい最近自宅でこっそりドレミ・・・と歌ってみると、高いF(ファ)迄しか出なくなっていた。かってはあのアート・ガーファンクル小田和正かと言われていた(実に嘘くさい)のに。

 昔、夜の繁華街では、男子の社交場クラブにはピアノの先生が常駐、スナックには3曲千円で歌の伴奏をしてくれる流しのギター弾きがやって来た。彼等はまるでNHKのど自慢アコーディオン弾きのように、客のキーやテンポに合わせフレキシブルに対応していた。

 やがて8トラックテープのカラオケが登場、リズムに全く乗れず、それでも我関せず誰も聴きたくない「昴」等を有り難がって歌うオヤジ共が、彼方此方に出没し始める。

 以後、カラオケ機器は更に進歩を続け、キートランスポーズ、ディレイ、コーラス、リバーブ、ダブリング、イコライーザー、エキサイター等々のデジタル・エフェクトを駆使しプロの伴奏と比し何ら遜色が無くなった。

 そしてまた、ふと私は想う。あの頃のピアノ弾きや流しのギタリスト達は、一体何処へ行ってしまったのだろうか。

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