I💗 MARTIN(その1)

 MARTIN、一口にそう言っても色々だ。例えば ”I Have a Dream" のマーティン・ルーサー・キング牧師、車であればアストン・マーティン、歌手で言えばディーン・マーティン等々。そして、今回紹介するのは C.F.マーティンという会社が作っているギターの事である。

 取敢えずそのマーティンについてWikiの記述は以下の通り。

ja.wikipedia.org

 さて、私がこのマーティン(以下M社という)の存在を認識したのは中学一年の時。当時安価な国産ギターを弾き始めた私は、最初のうちは気付かなかったが、次第に自分が弾く音とレコードの音の違いが判るようになって来た。

 やがてその頃心酔していたポール・サイモンやCSN&Yは、M社製のギターを使用している事が判明、同じ音を出す為には同じ楽器を入手すればいい、普通はそう考える。しかし現実はそんなに簡単ではなかった。調べてみるとそのギターは価格的に自分にとって全く別世界の存在。故にその後長きにわたって私の憧れのアイテムの一つとなっていった。

 それでも憧れの音に近づこうと、せめて弦だけでも本物をと考え、1セット400円のヤマハのライトゲージからM社の輸入品に替えてみた。すると弦の素材であるブロンズの黄金色と同様、確かに音も輝いてきたように聴こえた。しかし根本的な違いは如何ともし難く、また時は未だ1ドル360円の時代、M社製は1セット何と1,300円もして、ただでさえ少ない小遣いはあっという間に底をついた。

 だがそれがギター本体となると最早弦の比ではない。どれも数十万円の値札が付く正真正銘の高級ブランド品。偶に行く大型楽器店のショーケースの中を覗いては、とても子供が手を出せるような代物ではないと溜息をつくばかり。そんな時、明らかに自分より演奏が下手な日本のフォーク歌手達がM社を弾く有り様を目にすると、無性に腹が立ったものである。

 その後、私は比較的高額なギターを何本か入手したが、依然M社には手が出せなかった。やはりそれは趣味の範囲を超える物品であり、なによりも自分にそれを弾きこなすだけの技量があるのかと言えば、甚だ疑問であったからだ。

 時は流れ、たまたまアメリカへ出張、憧れの街ニューヨークで自由行動の日、思い切って一人、マリーという娘ではなくマーティンのギターを探しに五番街付近の楽器店街へ出かけた。しかし何軒か見て回ったが残念ながらお目当ての物は見当たらず、仕方が無いのでオベーションのギターを仕事では見せないハードネゴの末、NY記念として購入した。尚、このメーカーも多くの有名ミュージシャンが愛用しており、例えばグレン・キャンベルなどは自分の名を冠したモデルがある。

 それから私はエレキギター主体のバンドで演奏したり、コンピュータ相手のDTMにのめり込んだ事もあって、暫く実際の楽器演奏から遠ざかっていた。しかし結局はいつの間にかまたアコースティックギターに戻り、すると今度は無性に新しい楽器が欲しくなってしまった。

 そこで私は考えた。折角長年ギターを趣味として多くの時間を費やして来たのである。金銭的にも若干余裕が出来た今、せめて1本位憧れの品物を持っても罰は当たらないのではないか、否、今こそ持つべきではないか。幾ら高額と言ってもあのストラディヴァリウスとかいうバイオリンに比べればタダみたいな物ではないか。

 M社のギターはボディーの大きさにより00(ダブルオー)からD(ドレッドノート)まで幾つかのシリーズに分かれ、また使用している材の種類やグレード等で18から45までの型番に区別される。

 その中でD-45というモデルは同社のフラッグシップと位置付けられており、これさえ購入すれば何の問題も起きない。しかし、いくら変動相場制になったとはいえ、この楽器は百万円を超え簡単には手が出せない状況に変わりはない。

 暫く悩んだ末に私が出した答えは45のすぐ下位の機種でD-41というのがある、これで手を打とうと考えたのだ。尚、それが間違った判断であった事はやがて気づく事になる。

 それはともかく2001年2月2日、遂に私は少し厚目の銀行封筒を握りしめマーティンの輸入総代理店である黒澤楽器店へ向かったのだった。

      f:id:kaze_no_katami:20190621194156j:plain