I💗 MARTIN(その2)

 2001年2月2日夕刻、黒澤楽器池袋店に到着。案内板に従って3階に上がると、そこはガラス張りの陳列棚に高級楽器ばかりが並ぶ部屋。他に客はおらず若い店員がひとり手持ち無沙汰に座っていた。

 私がマーティンD-41の試奏をしたい旨伝えると、彼はフレンドリーな微笑みを浮かべ、鍵を開けそれを取り出し用意したスタンドに置いた。手に取ってみるとそのギターは思ったより軽かった。早速持参した音叉とチューニングメーターで調律を済ませて試奏を開始。ところが直ぐに私は我と我が耳を疑う事になる。

 何と信じられない事に『鳴らない』のだ。

 あのズシーン、ガラーン、ビーンの低音もシャリシャリ、シャラーンの高音も無く、まるで意図的にミュートしたかの如くポツン、モコッと内に籠ったような音しかしない。「これが天下のマーティンのサウンドか」。

 少なくとも今までレコード等で聴いてきたあの音とも、私が抱いてきたイメージとも全く違う。

 そこで私は先ず気になった弦を張り替えて貰った。マーティン社は工場出荷時、基本的にミディアムゲージを張っている。ミディアムはヘヴィーゲージより少し細いだけで、ブルーグラスやフラットピッキングでガンガン弾くタイプにはいいだろうが、フィンガリングとチョーキングを多用する私のプレイスタイルには硬過ぎて不向きである、従って普段使っているエクストラ・ライトゲージを指定した。

 だが、弦を変えても籠った音に変化は無い。

 続いて私は音を客観的に聴く為、店員に弾いて貰いその音に全神経を集中。

 しかし矢張り全く鳴っていない。

 『これは一体どうした事か、マーティンのギターとは元々こんな音なのか』店員に意見を求めると、どうやら彼はクラッシックギターが専門らしく、明解な回答を得られない。

 それでもここで引き下がる訳にはいかない、何と言っても数十年来の夢を叶えにここへ来たのである。そこで私はその部屋にあった同じマーティン社のDー28とD-35を出して貰い其々を弾いてみた。その結果どちらも同じように籠った音である事が判明。因みにDー45は置いていなかった。

 その時私は真偽の程は定かでない全く別の事例を思い出した。

 ” オーディオ機器の中で、特にスピーカーは使っているうちに次第に音が良くなると言う。コーン紙やエンクロージャーが振動に慣れて来るからなのだろう。これを一般的にはエージングと呼ぶ。また真空管アンプ等は電源を入れて暫く経たないと本来の音にならないが、これはランニングと言われている。”

 「果たしてアコースティックギターにも同様な事が起こり得るのだろうか」自分の期待通りの音が出ない楽器を見つめて私は自分に問いかけた。

 何故そのような事を考えたか、答えは明快である。私はこの鳴らないギターを購入する大義名分を探していたのだ。そこには最早、より良い音を求める冷静さや客観性は無く、おもちゃ売り場の前で駄々を捏ねる幼児に似た純粋な物欲があるのみ。

 そして気が付くと私は、C.F. Martin のロゴが刻まれた黒いハードケースを手に提げていたのだった。<続>

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