I💗 MARTIN(その7)

 その後も私の中古楽器店ネットサーフィンは、殆ど日課のように続いていた。時折、思わず声を上げてしまいそうなレア物を見つけたりもしたが、ギターは既にマーティンだけでも4本、他を加えれば合計10本体制の状況下、これ以上自分で購入する気は流石に起きない。

 だがそんな中でも、以前から気になっている一品があった。それはD-45SQ。写真を見る限り、間違いなくマーティンのフラッグシップと位置付られているあのD-45である。

 何故気になったかと言えば、45の中古相場価格に対しかなり安いからで、勿論安いと言ってもそこはD-45、それなりの価格ではある。しかし直ぐ売れてしまうものと思っていたところ既に二ヶ月以上が経過、在庫リストに残ったままだった。

 何か重大な欠陥があるのか、余程状態が悪いのか。現物を見ればある程度の事は判るだろうが、騒動買いのリスクもあるので店に行く事は控えたい。それよりも先ずチェックしなければならない事があった。45の後ろに付された余計な文字「SQ」の意味である。

 かって1960年以降の我が国のフォークブームの中で、マーティンに関する伝説のようなものが幾つか存在した。そのひとつがネックの永久保証である。

 ネックは弦の張力を受け、次第に反ってゆく運命にある。適度な反りは全く問題ないが、あまり曲がって弦高が高くなると演奏に支障をきたす。これを防ぐ為に開発されたのがネック内に仕込まれる木製または金属製のトラスロッドで、そのロッドはアジャスタブル(AJ)、とスクウェア(SQ)等に分類される。

 AJはレンチを用いて調整可能な仕組みになっており、ギブソンや他のメーカー殆どがこれを採用する中、何故かマーティンだけは頑なに1985年まで簡単には調整出来ないSQに固執した。

 世間ではこれをマーティンの設計理論、工作技術が優れている証だとする評価を下し、1970年代、マーティンの完全コピーで一世を風靡したSヤイリ(Kヤイリではない)という日本のメーカーは当然SQを採用。

 ここから先は確証が無いので迂闊な事は言えないが、そのSヤイリがネック永久保証を謳い、本家のマーティンは実際には保証はしていないにも拘らず、いつの間のかマーティンの保証だと勘違いされた。というのが私の推論である。

  更に付け加えると、マーティンがAJを採用しなかった理由は、何と独自の理論や技術力を誇っていた訳では無く、単にライバルであるギブソンがAJの特許を持っていた為で、その特許期間が終了した1985年、マーティンはすかさずAJネックに変更、それ以降現在に至っているのである。

 何れにせよ、少なくとも私はネック永久保証のデマゴギーにまんまと乗せられた一人であったと言えるが、ならばこのD-45SQとは一体何物なのか。

 様々な情報をかき集めた結果、おぼろげ乍らその素性が見えてきた。どうやらこれは私のように騙された日本人が、かっての思い入れを捨てきれず、黒澤楽器を通じマーティンへオーダーして出来たモデル。何本製作されたのかは不明だが、要は日本仕様の保守的D-45なのである。

  確かにAJよりSQの方がイイ音が出るという人は少なからずいる。しかしSQでネックが反った場合、木材を熱を加えながら伸ばす、という専門家のリペア技術に頼らざるを得ない事も事実である。

  どうやら以上のような事情からこのD-45SQは敬遠され、売れ残っているのだと私は考えた。

 ところで思い返せば私がD-41を購入した理由は、D-28や35に比べれば高グレードで、本当は欲しい45よりは手頃という発想からだった。そして更に遡れば、私がマーティンの存在を知った中学生の頃、当時D-45は73万円。トヨタカローラの新車価格とほぼ同額で、常識的に考えればとても手が届く代物では無かった。それでも長きにわたり憧れの対象であり続けた事には違いない。

 折しもベトナム戦争は泥沼化し、厚木の米軍基地にはおびただしい数の兵士の遺体が搬入され、それを洗浄するバイト料は一体につき1万円と、まことしやかな噂が流れていた。ならば73体洗えばいいのか等と不謹慎な冗談を友人と話した記憶もある。そしてD-45SQはその当時の仕様で作られた楽器である。

 憧れのフラッグシップ。私にとっては郷愁を誘うその言葉が、言い様も無く甘美な響きを伴って心地よく聞こえたとしても、何の不思議もなかった。<続>

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           アジャスタブルロッドのレンチ挿入口