I💗 MARTIN(その9)

 さて此処まで、約半世紀に及ぶ私とマーティン・ギターの関わりについて、ダラダラと取り留めも無く、しかし私にしてみれば駆け足で振り返って来た。

 この一連の作業は、自分でもすっかり忘れていた交々を思い出す契機となり、内容はともかく非常に懐かしく興味深い体験をさせてくれた。

 そこで先ず思い浮かんだ事は、そもそも私は何故このマーティンというメーカーのギターにのめり込んでしまったのかという疑問である。ギターを製造する法人やルシアーと呼ばれる個人工房は他に幾らでも存在し、敢てマーティンでなければならない理由は何処にもない。

 例えば有名どころではギブソン社。Jー200やJ-45、ダブ、ハミングバードといった代表的なモデルを有し、これらを愛用する著名なミュージシャンも多い。ある意味マーティンと双璧をなすメーカーだ。

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 しかし私の中では、ギブソンと言えばどうしてもエレキギター・ブランドという固定観念があり、ジャズには欠かせないL-5やES-175の甘く柔らかなトーン、或はウーマントーンと呼ばれるレスポールのハムバッカーピックアップによる粘り強いサスティーン等が特徴というイメージが強い。

 蛇足ながらこの対極にあるのが、切れ込むようなサウンドのシングルコイルピックアップを搭載したフェンダーストラトキャスター。もっとも現在では高性能なエフェクターが開発され両者の垣根は殆ど無い。

 閑話休題。従ってギブソンアコースティックギターに関しては、せいぜいツェッペリンジミー・ペイジELPグレッグ・レイク、アリスの谷村新司といった、あまり興味の無い人達が使っている程度の認識しか無く、これ迄に何度もチャンスがあったにも拘らず、音を確認するどころか触れた事すら一度も無いままである。(尚、唯一違和感を覚えたのは初期のジェイムス・テーラーギブソンを使っていた事)

  一体何がそうさせたのかは上手く説明出来ない。具体的な根拠が全く見当たらないのである。強いて言えばギブソンのデザインがマーティンと比べ粗野に見えたのかも知れない。しかしギターも楽器である以上、最も重要な事はその音である。

 多分、ギブソンのギターは私が知らないだけで、決して悪い音ではないのだろうと思う。それでは私がこれ迄散々使ってきた「イイ音」の正体とは一体何なのか。これについてはかなり時間を要して考えてみた。しかし行きついた結論を言えば、そのような絶対的評価というものは存在しない、である。(何やら大きなため息が聞こえた)

 マーティンの音色はどちらかと言えば倍音が多く煌びやかな印象で、特にD-45などはまるで鈴が鳴っているかのようだ。しかしこの音が渋いブルース系に向いているとは到底思えない。エリック・クラプトンはアンプラグドで演奏する時は、わざと伸びきった古い弦を張り、死んだ音を出すとさえ語っている程なのだ。

  従ってイイ音とは自分が欲しいサウンド。要は「好きか嫌いか」その一言に尽きる。と言ってしまっては身も蓋も無いが、様々なジャンルに対応するスタジオミュージシャンならいざ知らず、好みではない音で演奏したいとは誰も思わないだろう。

 かって私も人前で演奏する機会があり、そんな時はやはり出来るだけイイ音を出したいと考えたものだ。イイ音が出ていると自然とイイ演奏に繋がるものである。しかし、今は偶に自宅で弾くだけになってしまい、それでも結局マーティンを5本も揃えたのは、ただ単に純粋な自己満足。自分が弾いた生の音が耳に届き、琴線に触れるのを一人悦に入っているだけなのである。これはもう理屈では無い。マーティンは私にとってそのような存在なのだ。

 中学の頃の憧れを延々と引きずって此処まで来てしまった。恐るべき執念、というか執着心と言うべきか。 <続>

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写真右手前から、OM-42PS、00-21GE、右後ろから、HD-28V、D-41、D-45SQ