ENCORE !! ENCORE !! (前編)

 去る6月27日、私はあのジュリーこと沢田研二が客の入りが少ないと怒って帰ったという「さいたまスーパーアリーナ」へ、ENCORE !! ENCORE !! とタイトルされた小田和正のコンサートを見に出掛けた。

 今年71歳になった同氏が昨年のツアーの追加公演を始める事は知っていたが、どれも大きな会場ばかりなので、何となく大儀に感じられ躊躇していた。ところがNHKの密着ドキュメント「小田和正」という番組を見て久々に血が騒ぐのを覚え、無性に行きたくなってしまったのだ。

 早速日帰り可能な範囲内で行われる公演を、手当たり次第にネット予約したが、ことごとく抽選に漏れた為チケット入手には至らず、殆んど諦めざるを得ない状況だった。

 そんな折、たまたま大学の同級生に会った時にその話をしたところ、彼が申し込んでみると何と一回で当選し、一緒に行く機会を得たのである。

 さて、私と小田氏並びにオフコースとの付き合いはかなり長い。と言っても勿論個人的に知り合いでは無いのだが、遡れば中学の頃、ギター雑誌に「ジ・オフコース/群衆の中で」というレコードの広告を見たのが最初だった。しかしその頃は洋楽ばかり聴いていたので全く眼中には入らず完璧にこれをスルー。

 次には、高校の同級生の女の子がオフコースのオリジナル「でももう花はいらない」を歌っているのを聴いて、なかなか洒落た曲だと思いギターをコピーしたが、それ以上には進展しなかった。

 更に大学に入って同級生の家へ行った時、今度はライブ盤で「水曜日の午後」を聞き、これはもしかしたらチョッと素晴らしいかも知れないと感じて、その同級生とは一緒にバンドをやっていたので、私がピアノ、彼がギターを弾き遂にステージでその曲を歌うに至った。

 ところでオフコースは圧倒的に女性ファンが多く、彼等を好きだと言葉にする事自体、なよなよした軟弱人間に思われそうなのでかなり憚られた。従って人知れずレコードやラジオ番組を聴取し、コンサートへはガールフレンドの付き合いで見に来たという厄介なスタンスを取り続けなければならなかった。

 そんな私がオフコースに強く惹かれた理由は唯一つ、当時彼等は他の同業者に比べ音楽性が非常に高く、特に小田、相方の鈴木康博両氏のハーモニーワークは、他に類を見ない程の完成度を誇り、加えて楽曲がソフィスティケートと言うかアーバンと言うべきか、所謂洗練されていると感じたからである。

 それ以降、彼等の新譜は必ず購入し、女子大の学園祭を含めコンサート会場へ足を運ぶこと数知れず、さすがにファンクラブには入会しなかったが、気が付けばいつしか立派なオフコース・フリークになっていた。

  私には一つ思い出がある。1977年1月、オフコースが実質的に5人のバンドになって間もない頃、たまたま新橋ヤクルトホールの前を通ったところ、一階の喫茶店にその5人の面々がくつろいでいるのを窓ガラス越しに発見、思わず足を止めてじっくり確認すると、気配を察したのか小田和正氏が顔を上げ私と目が合った。

 すると彼が私を見て確かにニヤッとした。多分その時彼は、そこに自分達の存在を認識して立っている若い男に気づいたに違いない。そしてほくそ笑むような表情をしたのだ。

 未だそれ程売れていなかった彼に対し、私はそのようにして、先の見えない将来への自信を与えたと確信している。シングルカットされた「さよなら」が大ヒットするのはそれから2年後の事だった。

 もしかしたら70歳を過ぎても尚、小田和正氏が音楽を続けていられるのは、あの日私の姿を見たせいかも知れない。と日記には書いておこう。<続>

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