韓国1995(1/2)

 日本と韓国にまつわる一連の報道を、一切の偏見を排して見て来た心算だが、個人的にはどうしても韓国を擁護する気にはなれない。それどころか頼山陽が引用した「遺恨十年磨一剣」の心境と言ってもいい。

 それはかの国が言うところの「歴史認識」が、あまりにも感情的反日イデオロギーの塊であり、それを国是として進んだ結果、例えば8月15日の光復節は、あたかも自ら勝ち取ったかの如く主張する姿勢が、ファクトではないと考えるからである。

 ここではその問題を掘り下げる代わりに、1995年、私が初めて研修で韓国を訪問した際に書いた所感を、二回に分けて記す事とする。

 

1. 韓国のイメージ

 多分生まれ育った時代や環境のせいだろうと思うが、私の父親はある種の、そしてその年代の日本人にはありがちな人種差別主義者である。かって私は成長過程の必然として反抗期に突入し、その結果、朝鮮半島に住む人々に個人的には何の恩義も無いはずなのだが、父が否定(理論だてて説明するのでは無く、単に見下した言い方をするだけだ)するものを、逆に擁護し肯定する立場をとらざるを得なかった。

 ところで話は若干逸れるが、朝鮮半島という言い方はどうも正式ではないらしい。あの半島は王朝名が変わるとともに地域名も変わり、現在は大韓民国朝鮮民主主義人民共和国に分かれているが、この両者を総称する地域名は無いのだという。

 そして「韓」と「朝鮮」は何れも半島全体を指す言葉であり、両者は夫々そこに於ける唯一の正統性を主張している。従って韓国ではここを韓半島と呼び、片割れの国を北韓という。これに対し北側の国では、それが朝鮮半島南朝鮮となる。この問題は両国が統合される日まで解決しないもののようである。

 さて、反抗期の私としては、唯その蔑視や偏見をいわれのないものとして否定したに過ぎず、私の父親世代に言わせれば、逆に充分いわれのあることとの認識であったかも知れない。

 私が辛うじてリアルタイムで記憶する韓国という国の認識は、李承晩ライン(韓国では平和線)により、日本の漁船が頻繁に拿捕されたというテレビのニュースに始まった。学校教育では、秀吉の朝鮮出兵西郷隆盛征韓論あたりで時間切れとなり、日韓併合や太平洋戦争前後は素通りして終わってしまった。

 その後の金大中事件、朴大統領暗殺事件、ソビエト空軍の大韓航空機撃墜事件、韓国陰謀説があった金賢姫事件、ソウルオリンピックでのボクシング会場の乱動事件等々、結果的に悪い印象を伴った「不可解なイメージ」が残っていることは事実である。

 これは日本に居て、一方的に与えられた情報によってのみ形成されたものに間違いはないが、今にして思えば、その情報が偏向していたと言うより、情報が提供されている時に、我が家には変なニュース・キャスターががいたせいもあるなと考えたりもしている。

 昨今、我国では、度々「問題発言」が取り沙汰され、近隣の諸外国からは「正しい歴史認識」を求められている。太平洋戦争前後に、日本人がした事、朝鮮人がした事の殆どを私は見聞しておらず、多くの日本人がそうであろうと思う。

 「不幸な過去」という意味不明の言葉と、韓国では日本は好かれていないという漠然とした認識だけを持って、韓国研修が始まった。

 

2. Sleepless night on "Camellia”

 船での渡航という言葉には、何かしらロマンチックな響きがあるが、別にタキシード持参、豪華客船の旅という訳ではなく、ましてや数時間の航海である。そして博多港で乗船した途端、船内に漂うキムチの臭いが、我々がこれから何処に向かっているのか、否応なしに認識させてくれる。

 夕刻出港後、ラウンジにて会食、幸い日本海はベタ凪のようで揺れも無く、各人自己紹介、余興のカラオケ等、和やかな雰囲気のうちに、初日の夜は更けていった。

 さて四人部屋の一等客室に戻り、就寝しようとするが、空調は音の大きさの割には一向に効かず妙に暑い。またベッド幅は狭く、寝返りは左右半回転が限度。そして二段ベッドの上段にはJRの寝台列車のような落下防止のベルトが無く、たまにベッドから落ちる私としては気が気でない。

 しかし安全ベルトが無いということは、これまで落下事故が無かったという事であろうし、怪我をして本船や研修団に迷惑をかけ、挙句に笑い者になってしまう訳にもいかず、これはもう眠らない事にするしかないとの結論に達した。

 しばらく雑誌などを眺めた後、取敢えず明かりを消して目を閉じていると、ロビーからまるで喧嘩でもしているような声(朝鮮語なので話の内容は当然判らない)が聞こえてくる。

 後で現地ガイド女史から聞いた話によると、韓国の人達は概して議論好きであり熱し易く、その際、周囲をあまり気にしないとの事。これは日韓異質性論を展開する学者が、先ず指摘する行動様式の差異のようだ。即ち、

(1) 公開の場で争う。

(2) 争いは原則として一対一で、集団化しない。

(3) 行動が派手である。

(4) 裁定者に当たる者がいない。

(5) 争いはその場で終わり、あとをひかない。

善し悪しは別にして以上の特徴があり、そこが日本とは違うという。

 韓国生まれの評論家、呉善花の著作には、これをワサビと唐辛子を引き合いにした面白い表現がある。曰く、「ワサビを食べたときの血液は、特に心臓のほうへの偏りを見せる。そのため、鎮静作用が働いて、精神に落ち着きをもたらしてくれる。一方、唐辛子を食べたときの血液は、ワサビの場合とは違って、頭部のほうへ偏りをみせる。それが神経に刺激を与え、血液の循環をよくすると同時に、精神的に興奮しやすい作用を生み出している。」という。

 香辛料のせいだけではないだろうが、深夜に船中でのあの騒ぎは、違和感と多少脅威すら覚える。ひょっとしてトイレに行く時に見咎められ、反日感情の標的にされるかも知れないなどと被害妄想に取り付かれ、生理現象をも抑制された眠れぬ夜は果てしも無く長く続く・・・。

 と言いながら、そのうちウトウトとし始めた時、今度はアンカーを打つガラガラという大きな音で、レム睡眠状態から目覚めた。

 朝食後、船は錨地からシフトを開始し、我々はデッキに立って港の説明を受ける。幾分風は冷たいが、朝の陽光に輝く街並みと背後に迫る山々を一望にしながら、世界第五位のコンテナ扱い量を誇る釜山へ入港して行くのは、なかなか気持ちがいいものだった。  <続>

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