津軽

 最近「人間失格 太宰治と3人の女たち」というタイトルの映画が公開され、その主人公である太宰治が俄かに脚光を浴びているという。彼は1909年、青森県の大地主の家に生まれ、文士として創作活動を続けながら放蕩の限りを尽くし、最後は情人と心中し38年の短い生涯を終えた。そこに至るまでには様々な苦悩があったのだろうが、何度も自殺未遂を繰り返す等、どうも身勝手極まりない男という印象が強い。

 私は学生時代に文庫化された彼の著作の殆どを読んだが、その中で珍しく「津軽」という小説だけは他の作品と違い、陰鬱な翳りも無く、瑞々しい紀行文といった雰囲気を持っている。

 ご存じの通り「津軽」は青森県西部に位置する地域名である。日本海側気候の豪雪地帯で、冠雪した名峰「岩木山」は、太宰が「透き通るくらいに嬋娟たる美女」と例えた美しい山容を誇る。しかし彼の地での冬の生活の厳しさは、想像するに難くない。

  何故かは解らないが、冬の津軽という言葉で真っ先に思い浮かぶのは「津軽三味線」である。これは極寒の中にあっても、家々の門前で芸を披露し金品を得る、いわゆる「門付」(かどづけ)と呼ばれる三味線弾き達が始めたとされている。

 代表曲「津軽じょんがら節」で聴かれる独特の旋律と音の響きは、そのような風土が生んだものであろうが、どことなく日本的では無いような気がしてならない。それでいて何故か激しく魂を揺さぶる。

 私の趣味の一つがギターである事は、以前このブログでも触れたが、1970年代、マスコミに取り上げられ一躍有名になった、高橋竹山という盲目の津軽三味線の名人の演奏を聴き、とにかくカッコイイと思った。この場合のカッコイイとは、女性にモテるのではとの下心を意味していた事は言うまでもない。そして私は、いつしかこの三味線という楽器を弾いてみたいと思うようになっていた。

  ところで、三味線はその用途により、大きく分けて三種類あるのをご存知だろうか。テレビドラマ等で見かける、和服を着て三味線を弾く粋な姐さんの職業は、大抵小唄の師匠と相場は決まっているが、彼女達が使っている三味線は中竿と呼ばれる。

 ここで言う竿とは、勿論釣り道具の事ではなく、ギターのネックにあたる部分で、長さはどれも凡そ三尺二寸(約1m)。但し、違いはその太さにあって、それぞれ細竿、中竿、太棹に大別される。

  更にそれに加え、胴の大きさの違いもあり、太く大きくなるにつれ、音量が増す傾向がある。従って座敷などの狭い空間では細竿で小型の胴、中竿と中型胴は舞台での演奏、そして太棹と大型胴は、更に大きな音量が必要な環境、即ち吹雪く中での「門付」という事になる。

 ところが現実はそうでは無かった。太棹且つ大型の胴では重量が増し、担いで家々を回るには重くて不向きであり、むしろ細竿が好まれたのだった。

 それが現在のように「津軽三味線と言えば太棹」となったのは、その音楽性が広く認知、評価され、弾き手達が互いに、より大きな音で競い合うようになった戦後の事だという。

  さて実を言うと私は、三味線はそれ程難しくはないだろうと少し高を括っていた。弦は僅かに三本、ギターのようなフレットは無いが、ある程度音感には自信があったので、「ツボ」と呼ばれる正しい音程の位置さえ掴めれば、あとはリードギターを弾く要領で、ピックの代わりにバチで弦を叩けばいい、その程度に考えていた。最早楽器を手に入れるだけである。

 それでも「マイ欲しい物リスト」の中で、三味線の優先順位はかなり低い為、手にする迄には随分時間が必要だった。しかし、その気にさえなれば投資案件が楽器の場合、私の承認決定基準はかなり甘くなる。勿論金に糸目はつけるが、ある日偶々ギターの弦を買いに行った山野楽器で、お目当ての品を見つけてその場で購入した。

 だが、いざ調弦して独学お稽古を始めたところ、これが思いの外難しい。先ずは胴がギターのボディーに比べ小さく四角形の為、非常に持ちにくく安定しない。そして難なく押さえられる筈だった「ツボ」を外してしまう。おまけにバチも、速弾きすると上手く弦を捉える事が出来ず空振りばかり。尚且つあまり強く叩くと皮が破けてしまいそうだ。

 完全に当てが外れてしまった私は、泣く泣く練習を断念して三味線をしまい込み、そのまま何年もその存在を忘れていた。

 そんな時、冒頭の太宰治の名前を見て、以上述べた通り、えらく回りくどい三段論法を展開した結果、我家に三味線が一竿ある事を思い出した次第である。

 折しも今日から10月を迎え、いよいよ秋本番。何をするにもいい季節の到来である。勿論美味しい物を味わう事も魅力的だが、今年は少し格調高く、三下がりの三味の音でも聞きながら、「芸術の秋」にしようか等と考え始めたところである。

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