気分はいつもロードスター

 突然、朝方の冷え込みで目が覚めた。ついこの間まで冷房を入れていたような気がするが、暦は既に霜月。通りの銀杏の葉は色づき始め、季節は確実に冬に向かっている。

 それでも日中の気温は未だ20度近くあって、少しだけひんやりとした空気が清々しく感じられる。この時期、移ろいゆく景色を眺めながら、あてもなく車を走らせるのも心地良い。

 ところで甚だ唐突ながら、私は今、マツダロードスターという車に乗っている。ご存知の方もいると思うが、この車には座席が二つしかなく、トランクは狭い。全く実用的という言葉とは縁遠い造りであり、おまけに屋根まで無い。否、一応、幌で出来た開閉可能なソフトトップはある。 

 勘違いしている人もいるかも知れない(実は私がそうだった)。そもそもこのロードスターという言葉は、いわゆる銀幕のスター等のスターとは違い、キラ星の如く燦然と公道を走る花形の人気者という意味ではない。因みに綴りは「Roadster」、「star」とは書かない。

  では一体何なのかと言えば、これはオープンカーの事を指す英国の言い方で、アメリカではコンパーチブルと呼ぶ。従って、どうしても星になりたければ、精々カーステレオでディープパープルの「ハイウェイスター」でもかけるしかないかも知れない。

 何れにしても折角屋根が開くのであるから、これを体感しない手はない。私はとにかく、雨さえ降っていなければ、路面温度が40度を超える真夏であろうが、凍てつく木枯らしが吹きすさぶ真冬であろうが、必ずオープンにして運転している。

 だがそうなる迄、最初の内はかなり抵抗もあった。先ずは何と言っても恥ずかしい。走っている時はそうでもないのだが、信号等で停止していると、何となく歩行者の視線を感じる。恰好いいイケメンならともかく、髪が薄く皮下脂肪もついた、いい歳をしたオッサンが運転しているのである。先ずは羞恥心を捨てる事が必須条件なのだ。 

 しかし、顔が丸見えになるせいで良い面もある。信号機の無い横断歩道の前に立ち、車の流れが途絶えるのを待っている人を見ると、殆どの車はこれを無視するが、こちらは目が合うので、止まらない訳にはいかないのである。やがてそれが当たり前になり、お陰で運転マナーは飛躍的に向上した。

 またオープンにすると、一般車のようなハードトップを支えるピラーが無い為、斜め後ろの視界が開け、安全運転にも寄与する。

 勿論、いい事ばかりでは無い。屋根の開閉は手動なので、運転中急な雨に対応出来ない。同様に上からの落下物に対して完全に無防備であり、それを回避しようとすれば、これはもうヘルメットを被るしか無い。

 また、極端に車高が低い為、前方に大型車がいると全く前を見渡せない。トラックの後ろについて交差点に突入したら、信号が赤になっていた。という事もしばしばある。

 そして低い車高は、未舗装の悪路走行には全く不向きである。下手をするとガリガリと腹を擦る危険性さえある。尤もわざわざ渓流を遡行してキャンプに行ったり、砂浜に乗り入れ車輪の跡を刻みながら、海亀の卵を踏み潰す趣味は持ち合わせていないが。

 他には高速運転中、カーステレオが全く聞こえない為、何となく寂しい思いをしなければならない。という事も挙げられる。

  しかし、それでもオープンカーには、そのようなデメリットを補っても余りある爽快感というものがある。かってハードトップにサンルーフを付けた車も生産されたが、フルオープンの解放感たるやそんな比ではない。例えるなら神宮球場のナイターとでも言うべきか。

 最近、若者の車離れが語られる事も多い。また若いファミリーでは、どうしてもワゴン車やSUVと呼ばれるスポーティーで多目的車両を選ぶ傾向にあると考えられる。

 従ってロードスターのようなオープンタイプのライトウエイトスポーツカーは、ある意味、子育てが終わり同居者も少なくなる、我々年代向けの車と言えるかも知れない。

 確かに私は決して若くはないし、客観的に考えて反射神経や運動能力が低下してもおかしくない年齢になった。

 それでも長年無事故無違反、ゴールド免許を続けており、無茶な運転はしない。たまに無謀な運転者にカチンとくる時もあるが、深呼吸を一回すれば落ち着くし後に尾を引く事もない。

 2019年、今年もこの秋ゆく街を走り抜け、どこか郊外まで出かけてみようと思う。そう、免許返納までは未だ時間がある。 

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