SOLO LIVE 2019 ~元気であれば~ (後編)

 11月16日、週末の川崎駅はカジュアルな装いの若者で賑わっていた。2階にある改札口から自由通路を5分程歩くと、川崎ラゾーナプラザのエリアに入る。ここは以前東芝の本社があった場所を、三井不動産が仮名「ららぽーと川崎」として開発した5階建ての大型ショッピングモールである。 

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 中央の広場は人工芝が張られ、その日ステージでは家族向けに童謡を歌うバンドがフリーコンサートを行っていた。他にも各フロワーにはキッズスペースが設けられており、ある種、市民公園的機能も兼ね備えて作られているとの印象を受けた。

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 目的地であるライブ会場は5階の多目的空間「プラザソル」。定員200名とは言え、予想以上にこじんまりとして、にも拘らず、受付横に貼られた「当日券あり」の文字が少々切ない。

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 チケットに記載された通り整理番号順に入場すると、そこに舞台は無く、最前列の客席と同じフロワーに、サンタクルーズアコースティックギターが1本置かれていた。鈴木康博氏愛用のシングルカッターウェイ、ドレッドノートスタイルである。

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 全席自由、折角の機会なので迷わず最前列中央に居を定める。あの康さんの立ち位置からは凡そ5m、こんなに近くに座るのは初めてだ。因みに後方は段差がある。

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 定刻16時、鈴木氏が上手から登場しギターを持つや否や、いきなりチューニングを始めた。私も若干ギターを弾く者の一人として、その行為はミュージシャンとして大切だという事はよく判る。幾らスタインウェイストラディバリウスであろうとも、調律が狂っていれば楽器とは言えない、しかもこのギターは開演前からずっと置かれたままであった。

 しかし、と私は思う。例えば楽屋でチューニングを済ませて出てくれば、無用な時間を費やす事なく、直ぐに演奏を開始する事が出来る筈である。彼はチューニングをしながら雑談を始めたので、多分アットホームな雰囲気を狙っての事だろうと考えられるが、これではピリッと引き締まった緊張感も何もあったものではない。

 そして本人の口から当日のセットリストの中に、オフコース時代からの歌は数曲だと告げられた時、会場に無言の失望感のような空気が立ち込めるのを私は感じた。最近では客が喜ぶからと、昔の曲も演奏すると聞いていた事もあり、正に ♪ 大きく僕がついた溜息はあの人に聞こえたかしら ♪ と歌いたくなるような気持ちである。

 かって彼がソロになって間もない頃のコンサートでアンコールが始まった時、客席から「一億~」と叫ぶ声と、それを支持する拍手が起こった。勿論それはオフコース時代、ライブで人気があったナンバー「一億の夜を越えて」の演奏を求めていた事は言うまでもない。しかし、そのリクエストは完全の無視され、歌われる事は無かった。

 同様にその頃から、多くのファンが聴きたかった初期の名曲「でももう花はいらない」も、封印されてしまうという長い冬のような時代も続いた。

 それは多分、彼の意地のようなものだったに違いないと私は思う。一人、人気絶頂のオフコースを脱退し、自らの音楽性で勝負に出たのである。過去の栄光にしがみつき、ノスタルジーに浸っている訳にはいかなかったのだろう。

 さて、コンサートは最新作アルバム「元気であれば」に収録された曲を中心に構成され、昔ながらの声とギターを披露して進行した。だが、演奏される曲はどれも、頻繁なコードチェンジ、しかもそれが分数コードや所謂ジャズコードを多用し、結果としてキャッチーでは無い旋律ばかりなのだ。

 確かに本人がMCで語ったように、オフコースとして活動した時間よりは、ソロになってからのキャリアの方が遥かに長い事は事実だ。しかし、その結果到達した境地が、複雑、難解、自己満足の世界では、到底オーディエンスの理解は得られないのではなかろうか。

 現に当初のインフォメーション通り、数少ないオフコース時代からの選曲の中で、「のがすなチャンスを」が始まった瞬間の観客の歓迎振りを、彼はどう感じたであろうか。

 ところで、私のような素人が、さも偉そうに批判ばかりしている事に、ご異議、ご異論も多々あろうかと思う。しかし、初めて彼の歌を聴いてから、既に45年もの歳月が流れ、そしてその間も鈴木康博というミュージシャンの動向を、ワッチし続けて来たのだ。まるで古くからの友人のように、何やかや言っても彼の事が好きなのだ。そうご理解頂きたい。

 途中15分の休憩を挟み、後半はアップテンポの曲が続く。ただ如何せん生ギター1本では今一つ乗る事が出来ない。実に不完全燃焼である。しかし漸くアンコールで、突然聞きなれたギターのフレーズが始まった。何と「一億の夜を越えて」である。

 私は通常、コンサートで立ち上がる事は無い。前列の者が立つとステージが見えなくなるので甚だ迷惑だとさえ思って来た。だが今日、自分は最前列にいて、このまま座っている訳にはいかない。それは観客の一人としてマナーのような物。そして一旦立ってしまえば最早怖いものは無い。

 殆ど周囲がスタンディングオベーションする中、私はそれだけでは留まらず、手拍子と共に声を張り上げ一緒に歌った。暗記したつもりは無いが、歌詞は自然と口をついて出て来る。時折、鈴木氏と目が合ったような気もして余計に力が入った。

 本来ならば間奏でギターソロが入る曲だ。しかし残念ながらギター1本なのでそれは無い。それでも会場はこの日一番の盛り上がりを見せ一体となった。そして最後はしっとりとしたバラード「燃ゆる心あるかぎり」でコンサートのプログラムはすべて終了した。

 人は誰しも歳を重ねれば、若さ故に許せなかった様々な人間関係も、恩讐の彼方のすえ、上辺だけでも収まりがいい状態を望むようになる。何故なら、恨みつらみをずっと維持するには結構労力を要するからだ。

 鈴木康博氏はかっての盟友、小田和正氏に対し、わだかまりは無いと発言しており、昨年は小田氏のラジオ番組で録音ながらコメントも出している。今更と思われるかも知れないが、最近私は、また二人のハーモーニーを聴きたいと考えるようになった。

 ほんの少しの勇気があれば、一度だけでもオフコースの再結成は、夢ではないのではなかろうか。せめて二人の素晴らしい声が出る内に、そして私がそれを聴く事が出来る内に、実現する事を願って止まない。

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 蛇足ながら、コンサートが終了し、出口の所で元オフコースのベーシストだった清水仁とばったり出くわした。私が手を差し出すと彼は握手をしてくれた。もしかしたら、これが一番の収穫だったのだろうか。