青春浪漫 告別演奏會顛末記 5

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2.「僕達は週刊DANDYを発行します」編集部一同が宣言した (2) 

 

 一方コンサートの方は「2-4 フェアウェル・コンサート」と名をうって機関紙『DANDAY』の紙面を借りPRが始められた。尤もどちらも同じ仲間内での企なので、すべからく自画自賛の世界であった。

 例えばクマが書いたキャッチコピー、「ウッドストックバングラデシュに並ぶ愛と平和と音楽の祭典」とは、幾ら冗談とはいえ、あまりにも大袈裟で馬鹿げたフレーズであり、「あ~ら奥さん 『フェアウェル・コンサート 』ってご存知?」「そりゃ知ってるわよ、お隣でもその話でモチキリよ」「なんたって『フェアウェル・コンサート』 だからして」はアグリー持ち前のハイプな感覚の極致と言えた。

 また教室の壁にある掲示板には、クマやアグリーが自宅での学習時間を惜しみなく割いて描いたポスターが貼られ、それによれば祭典の日時は、1974年3月25日、終業式終了後。場所は234番(2年4組の)教室と定めていた。だが、彼等はこの件について学校側に届ける事を完璧に失念していた。

 さて、週刊『DANDY』の編集、ガリ版紙切り謄写版印刷は、主に木曜日の放課後に行われていた。これら一連の作業に必要なボールペン原紙、藁半紙、謄写機などは、すべて新聞委員会の備品を勝手に流用していたが、ここでもアガタの迫力ある顔のお陰か、それを咎める者は誰もいなかった。

 そして同じく木曜日には、何故か2年4組の女子も十名程残って、例の変なムーが弾くお世辞にも上手とは言えないギターに合わせ、フォークソングや流行歌を歌っていた。クマは聞くに堪えないギターの手ほどきをしようかと思ったが、如何せん敵は名うてのインケングループであり、関わらないに越した事は無いと結論付け、聞こえない振りをした。

 その代わり予てからの計画通り、ムーともう一名、多少歌には自信があるらしいサチコにコンサートの出演依頼書を渡し了解を得た。これでナッパを呼び寄せる撒き餌は完了。因みにムーはヒナコとかいう1組の女の子と一緒にやるとのことであった。

 尚、このムーとヒナコ(HIM)二人と、アグリー、クマの四人はこの7か月後、グループを組んで世田谷区民会館のステージ立つことになるが、この物語ではそれには触れない。

 そんなある日の放課後、クマが教室で 『DANDY』の原稿をボールペン原紙に書いていると、突然ナッパが彼の所にやって来た。

 「あの~」アグネスチャンの歌声にローフィルターをかけたような声だ。クマは実にその声が好きでたまらなかったのである。彼は書く手を止めて顔を上げた。

 「・・・フェアウェルっていうのは、自分達が演奏するのを聞かせるんですか。それとも皆で・・・。」ナッパの問いかけに一瞬間をおいてクマが答えた。

 「皆で楽しくやろうというものですよ。出ませんか、なんかよく皆で歌っているみたいだけど・・・。」

 クマは言葉の内容とは違って、緊張のあまりひどく事務的な口調で答えた。ナッパは軽く頷いて、納得といった表情を作った。 クマはそこでもうひと押しすればいいところを、何となく面映ゆい気がして再び下を向いて書き始める。彼女は何か言いたげに暫くそこに立っていたが、やがて兎のように跳ねて教室の外に消えて行った。

 すかさず傍にいたセンヌキが言う。「いいの? ナッパさんをあんなに冷たくあしらって。」

 クマは決してそんなつもりではなかったのに、そう言われればそういう気がしないでもなく、翌日改めて正式に出演依頼書を渡す事にしたが、彼は自分の気持ちがいつも裏腹になって態度に現れることをもどかしく思うのであった。  <続>

 

 今は亡き加藤和彦が作るフォーク調の美しいメロディーが好きだった。何とか自分にも出来ないか試みた結果がこの曲。


落ち葉の丘/風のかたみの日記

 

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