連載を終えて

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 1975年夏、私はこの「青春浪漫 告別演奏會顛末記」という物語を書いた。きっかけは当時一浪中だった元学級委員メガネユキコ女史から「フェアウェル・コンサート」のライブ・テープの追加注文の連絡を受け、理由を訊けば、同級生だった女子が入院治療中なので見舞いに持って行きたいと言う。

 私は辛うじて大学生になっており、しかも夏休み中バイトもせず家でブラブラしていたので、二つ返事で承諾した。そしてテープをダビングしている時、ふと、これだけではあまり芸が無いなと考え、コンサートの裏話を面白おかしく書く事を思いついた。

 高校時代の日記、機関誌ダンディー、授業中に交換した様々なメモ、未だ鮮明だった記憶を辿って、およそ一週間ででっち上げ、直筆したノートを持って、わざわざ大学の図書館に行きコピーを取った。現在のように近所にコンビニなど無い時代である。

 無いと言えばパソコン、携帯電話といった今ではあって当然の物も存在すらしていなかった為、コミュニケーションを取るには直接会うか、家の固定電話を使うか、または手紙を書くかに限られていた。

 ともあれ、時は流れ、季節は廻り、こうして衆人の目に駄文を晒すことに抵抗を感じない年齢になって、非常に感慨深いものがある。本当は写真等もふんだんに添付したかったが、被写体となった人達の了承を取ろうにも、連絡先が判らず断念した。

 ただ文中に多く登場する敵役的存在「アグリー」のモデルになった親友には、電話で「貴方の事をボロクソに書いているよ。」と報告すると、笑って承諾してくれた。

 尚、この物語は限りなく現実に近いフィクションであることを申し添える。

 

 上記の文章は私がこの物語を初めて「はてなブログ」に投稿した2017年1月に書いたものである。それから三年が経過した今、再掲する理由は既に述べた通りだ。 

kaze-no-katami.hatenablog.jp

  その結果、多くの方々に読んで頂き、私の目論見は大成功、想像した以上に達成感を得る事が出来た。これもひとえに読者の皆様のご厚情の賜物であり、誠に有難く、どのようにして謝意を伝えるべきか、私は未だその言葉を見つけられないままである。

 今回再掲するにあたって、前回と大きく異なる点は、当時我々が作った拙い楽曲までも添付した事で、厚顔無恥の度合いは殆ど老害レベルにまで達したと言えそうだ。

 実を言うと私は、昨年幾つかの中長期計画を立てた。その内の一つが、これまで一緒にプレイした仲間達に声をかけ、各人自分がやりたい曲を持ち寄って演奏、録音、CDを作ろうというプランである。現在我が家には、高校時代から見れば夢のような楽器や機材が揃い、DTMという助っ人も控えている。これならば時間や費用を気にすることなく、好きなように出来るのではないかと考えたのだ。

 そのメンバーの中には、20世紀最大のメロディーメーカーになる筈だったアグリー氏も当然含まれており、私は今年の年賀状に「音楽をやりましょう」と書いて出状していた。全く「三つ子の魂百まで」の言葉の通り「レコーディングごっこ」は幾つになっても止められないようである。

 しかしその後、新型コロナウイルス禍という不可抗力によって計画は頓挫したままである。いつの日か実現したいと考えているが、物語の中で少し触れたドラマーの青山純氏は、残念な事に57歳という若さで鬼籍に入り、我々もいつ何時、何が起きても不思議ではない年齢に差し掛かっている。あまりウカウカしてもいられないのだ。

 ところで今回、1ヶ月にも満たない期間であったが、所謂「連日投稿」は私にとって初めての試みだった。文章自体は出来上がっているものの、一部を手直しすると後々迄書き直す羽目になったり、何よりもYouTube用の動画作成に時間をとられ、かなりのハードワークだった事は否めない。

 そこで、ここは少し休憩し、頭を休ませて、今後に備えようと考えた次第。取敢えずは先ず、部屋中に散乱しているカセットテープや写真の片付けから始めようと思う。

 さて、最後はこれまでのミュージック・ライフで得た教訓「自分で弾かない、歌わない」に基づき、コンピュータに打ち込んだ自作の古典的正統派バラード「A Memory You Left」で締める事としたい。

 それではまたお会いしましょう。


A Memory You Left/風のかたみの日記

 

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