さて、誰を誘って「カナユニ」へ行くか。灰色の脳細胞に真っ先に浮かんだのは大学の同級生二人の顔。我々三人は卒業後も連絡を取り合い、時折会う他に毎年1度、観光&グルメ旅行を実施。北は冬の北海道、南は夏の沖永良部島まで日本各地に足を運び、名所旧跡の見学は勿論、美しい景色に息を吞み、思いがけず美味しい食べ物に出会う時もあれば、期待に反し大外れした事もあった。
彼等ならばこの「カナユニ」というレストランの価値を認めてくれる確信はあった。しかしよく考えてみると夫々次第に責任ある立場になり、しかもその頃、一人は難病の子供を抱え対応に追われていた為、迂闊に声は掛けられない。世の中には親しいが故に控えなければならない時もある。
次に考えたのは新人教育を一緒に受けた同期入社の中で、特に親しくしていた二人。だが彼等は転勤で東京にはおらず、こちらも諦めざるを得なかった。
そんな時ふと思い出したのが赤坂の貿易会社に勤める知人Tだった。そのTとは、とある場所で顔見知りになり、何と同じ小学校出身だった事もあり、その後2度程二人で飲みに行っていた。早速メールを飛ばしたところOKの返事。
その夜、私は「カナユニ」に予約の電話を入れた。応対したのは浅見さんという最古参のフロアースタッフ。小柄で痩身そして見事な白髪の持ち主、前回我々のテーブルの担当者だ。勿論接客の素晴らしさは言うまでもない。
料理はアラカルトで頼み席の予約はすぐ取れた。用件が済み私が宜しくと言うと、浅見氏は当日何か用意しておく事はあるかと聞く。直ぐにはその意味を理解出来ず黙していると、すかさず何方かの誕生日ですかと言い直してくれた。私はその必要は無い旨伝え、先方のお待ち申し上げております、で会話は終わった。
そして一日千秋の思いで待った「カナユニ突入の日」がやってきた。夕刻、赤坂見附で待ち合わせたTと二人店に入ると、浅見氏が迎えてくれ席へ案内。そこでコート等を預け着席。おもむろにメニューが夫々に渡され、取敢えず飲み物を聞かれる。
長年ビール党の私は迷わず生ビール、Tは白ワイン。そこで浅見氏の問いが入る。「ワインはどの様な物にいたしましょうか」。Tは具体的銘柄や年代の指定はせず(と言うより出来ない)、あまり甘くないスッキリした飲み心地、的なオーダーをして、白髪の紳士は「かしこまりました」とだけ言って立ち去った。
因みに我々の手元にはワインリストが残されていたが、判るのはどれもかなりイイ値段だという事位だった。尚、この店ではグラスワインの用意もある。
料理の方はこちから合図しない限り注文を取りに来るような事は無く、ゆっくりメニューから選べばいいのだが、前回来た時は、ろくに目を通す事も出来なかったので何を頼めばいいのか判らない。
取敢えず評判だというオニオングラタンスープとサラダを頼み、またメニューを眺めているとバスケットを運んで来た。中には数種類のパンが入っており、私はフランスパンとバターバターロール選んだ。外側が熱々カリカリのフランスパンを千切り、昔ながらの小さな陶器に入った硬いバーターを削って塗ると、途轍もなく美味しく思えた。
いつも舌を火傷するオニオングラタンスープは噂に違わず美味で、これ程の物はかって日本橋室町にあった「太平洋」という洋食屋以来だった。後は浅見氏に相談しながらオーダー、すべての料理に満足。
その中で特筆すべきは「サンビッツ」というビーフステーキのオープンサンドである。
これは前回の生肉を使ったタルタルステーキと違い、牛フィレ肉をミディアムレアーにソテー、秘伝のタレをつけてパンと共に食べる。牛肉を愛して止まないTはすっかり気に入って、その後我々の定番となった。
他にはこれも前回殆ど気付かなかったが、生バンドが入っている。後日この店のホームページを見ると出演者のリストがあり、どれも三名以下の小編成でジャスを中心にボサノバ、ラテン系のミュージシャン。食事代とは別に@2~2,500円のミュージックチャージなるものがある事も判明した。
兎にも角にもその夜は二人共大満足で、この店にて再会を期し別れたが、唯一懸念材料と言えば、普通にワイン一本程度で済ませればいいところ、ついつい多飲する傾向が強く、それが勘定アップに直結する事であった。
それでもその後、何度も通う内に、マコトさんという若くイケメンのスタッフとも顔なじみになり、他の席で注いだワインがボトルに残っている時など、それとなく我々のグラスに入れてくれたり、浅見氏は帰りに手提げ袋をくれて、帰宅後開けてみるとあの美味しいパンが沢山入っていた事もある。
そして最も印象深いのは、伝説のオーナー横田宏 氏が手の空いた時は必ずと言っていい程、高齢をおして階段を上り、我々を見送ってくれた事である。暫く歩いて振り返るとタキシード姿の老紳士は、背筋をきちんと伸ばした姿勢のままそこに立っていた。その姿は今も目に焼き付いて離れない。
それから数年後、私は長年の不摂生が祟ったのか体調を崩し医者から断酒を命じられた為、暫くの間大人しくしていたが、摂生しつつ毎朝5kmの速歩、週1~2度プールやジム通いを続けた結果、どうにか元の身体に戻る事が出来た。
そんなある日、どうしても出席しなければならない案件で出掛けると、案の定早い時間から酒宴となった。夕方になっても皆飲み足りない様子なので、私は軽い気持ちで久々に「カナユニ」に電話をかけた。
ところが電話に出た浅見氏の話に私は言葉を失ってしまう。何と一週間後に「カナユニ」が閉店すると言うのである。暫く行かないうちに思いもかけない事態が起きていたのだ。
「お解りになると思いますが、もう予約が一杯で残念ながらお受けする事は出来ません」浅見氏の説明に、私は驚きのあまり閉店の理由など聞けず、辛うじてこれ迄の謝辞と浅見氏他スタッフの方々のご健勝、ご多幸を祈念する、と言うのがやっとだった。
急に酔いが回った頭の中を「カナユニ」での出来事が走馬灯のように駆け巡り、やがてゆらゆら揺れる蝋燭の灯りが突然消えた。そして気がつけば、いつの間にか私はアルフォンス・ドーデーの「風車小屋だより」の一節を呟くように何度も復唱していた。
『仕方ありませんや、ねえ旦那。この世には何にだって終わりというものがありますよ。ローヌ川の乗合船や最高裁判所や大きな花模様の上着などの時代が過ぎたように』
<続く>
後になって「カナユニ」閉店の挨拶状が会社の私宛届いており、それを庶務の担当者が破棄していた事が判明した。しかしだからと言って私に何かが出来た訳では無い。