ただその40分間の為だけに(13)

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 結局その日、バンド名は決まらなかった。一番の原因は誰も気の利いた名称を思いつかなかったからだが、それでも文化祭準備委員会に出演申請の手続きをしなければならない。「取敢えず発起人の名前をとって『ヒナコさんグループ』で出しておこう」クマの言葉に誰からも異論は出なかった。

 「そんなことより、オリジナルって何曲あるの」出来るだけヒナコとムーを前面に出そうと考えているクマが切り出す。

 「ムーは結構いっぱいあるよね、ねえ」ヒナコがムーの顔を見ながら確認をする。

 「数はあることはあるんですけど、人に聞かせられるようなのは一、二曲かと」普段女子同士で話している時に比べ、ムーの声はやけに小さくやっと聞こえる程度だった。

 「どんな曲、ちょっとやってみてよ」クマの勧めにムーはおそるおそるギターを弾き始めた。それは「ぎやまんの箱」とタイトルされた、綺麗なメロディーラインを持つスローバラードだったが、クマは何となく物足りなさを感じた。

 『何が足りないのか、歌詞が今一つ判り辛いせいか』アグリーの意見も聞いてみたかったが、作者本人がいる前であからさまに話す訳にもいかない。

 すると、突然アグリーが言った「いいじゃない」

 『えー、そうなのか』アグリーの言葉をクマは少し意外に思ったが、いきなり最初から否定的な感想を述べるよりは、あるべき大人の対応だなと考え直した。そしてそれは、自分には備わっていないらしい「思いやり」とか「優しさ」とか、恐らく人がそんな風な言葉で呼び、さも人間にとって価値ある行動や言動であるかのように位置づける、他者へ寄り添う気遣いである事を彼は知っていた。

 

 「・・・だから僕はね、もし僕がこうすれば、こんな事を言えば、相手が喜ぶだろうって分かっている時でも、敢えてそんな事をしようと思わない。そういうのは何か見せかけの白々しい優しさみたいで大嫌いだな」

 「そうかしら。私はそうは思わない。私はやっぱり人の為に何かしてあげたいわ。人間には思いやりが必要よ」日頃とは違いナッパは意外な程、強い口調で答えた。

 「でも仮に、人を思いやることで自分が疲れるとしたら、自分を殺す事で人に尽くすとしたら、それは誠意とは言えないんじゃないかと思うけど」

 「そうかも知れないわ」

 「だから僕は人に対して優しくあるよりも、誠実でありたいと思うんだ」

 「でもそれは、あなた自身に対しては誠実であっても、相手の人に誠実であるとは限らないでしょう。たとえ自分が、どんなに辛い状況に置かれて本心はそうでなくても、人を思いやるのが本当に優しい人ではないかしら」

 「そうかな、それは見せかけの優しさだと思うよ。自分を偽るということは、裏を返せば相手を欺いてる事になるんじゃないか。確かに、よく女の子は、どういう男性が好きとか聞かれると、大概は優しくてユーモアのある人って答えるけれど、そしてその優しさというのが、相手の喜ぶ事をしてあげる事ならば、僕は全然優しい人間じゃないね」

 しばし小休止があった。

「いいえ、あなたはやっぱり優しい人だわ」彼女は殆ど自分に言い聞かせるように小さく呟いた。

  生きとして生けるものが眠りから覚め、全てが新しく始まるような春の日、明治神宮御苑内にある菖蒲園のベンチに腰を掛け、クマはナッパと暖かな日差しを浴びていた。

 しかし、何一つ落ち度など無い心算のクマは、その降り注ぐ陽光、心地良いそよ風、そして眩しい新緑、それら全てのものから何故か見捨てられてしまったのだ。

 

 『あの時自分は、何故あんな事を突然言いだしてしまったのだろう。別にその時、それを言わなければならない理由など何一つ無いにも拘らず』これまで何度も自問自答を試みた事を、クマはまた考えていた。

 彼はただ噓偽りのない自分自身を晒した上で、ナッパの審判を受けようと試みたのだ。それこそが今までの人生の中で、最も心を惹かれ、また愛されたいと願った女性に対する誠心誠意の姿勢だと考えたのだ。そして彼の妥協のない愛情は、想いばかりが空転し、容赦なく砕け散ってしまったのだ。

 ナッパが去ってしまった今、彼は漸く冷静な気持ちで自分が置かれた座標を理解出来るようになりつつあった。

 

 「クマさんはどう思う、ムーの曲」ヒナコの声で彼は我に返った。

 「うん、いいと思うけど、スリーコーラスあるんで何処かにアクセントが欲しいよね」クマはこれ迄であれば「ちょっと長くてタルいな」と言うところであったが、ぐっと抑えた。

 「どうすればいいですか」ムーが真剣な顔でクマに訊ねる。

 「そうね、一、二番はアルペジョでやって、三番の伴奏をもっと賑やかにストロークにするとか、あとハモるとか」

 それを聞いてムーは黙って頷く。その時クマは、ムーの持ち味はヒナコと違い女の子らしからぬ野太い声だと気が付いた。 

 「フェアウェルで歌った 『落ち葉の上を』なんかは怨念がこもったよう声で、なかなか良かったんじゃない。あれをやったら」

 「ううん、あれはオリジナルじゃなくて『古井戸』の曲」

 「えっ、そうなんだ。なあんだ」クマは日本のフォークソングには全く疎かった。

  「クマさんあんな感じの歌が好きなんだ」ヒナコが意外という顔をする。

 「まあ、キレイキレイな曲ばっかりじゃないよ好きなのは」

 「ところでヒナコの曲は」今度はアグリーが聞いた。

 「私は一曲だけ」「タイトルは」「ちょっと長いんだけど『さようなら通り過ぎる夏よ』っていうの」

「ちょっとやってみて」

 今度はヒナコが歌い始めた。 


さようなら通り過ぎる夏よ/風のかたみの日記

 「これで二曲は決まり。でもまだ足りないよ」クマとアグリーは同時に笑った。

 「だからクマさんやアグリーどんの歌を考えたの。それに私達の曲って、静かなのばっかだから」

 「俺らだってそんなハードな事やってる訳じゃないし、だいたい本番は生ギターでやるんだからね」アグリーがそう答えると、クマが付け加えた「しかも、純粋なフォークソングばかりだから」

 彼等が世田谷区民会館のステージに立つまで後四ヶ月。

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