ただその40分間の為だけに(17)

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 6月に入り梅雨特有の鬱陶しい天気が続いた。雨は下旬になって本格的に降り始め、月が替わると折からの台風8号の影響を受け日本各地に甚大な被害をもたらした。

 クマ達が住む世田谷、目黒区周辺も、一級河川多摩川や彼等が通う深沢高校の傍を流れる呑川流域に多数の床上浸水が発生したが、幸い親しい者達の家は被災を免れた。

 月末、アメリカ合衆国で国を揺るがす重大事件が発覚した。新聞やテレビはそのニュース一色に染まり、連日特集記事や番組を報道し続けていたが、クマは何が起きて、何が問題なのかよく理解出来なかった。

 「ウォーターゲートって一体何んなんだ」彼は先だって病院の受付で味をしめた「とにかく質問してみる」という手段を試そうと廊下で会ったアグリーに聞いてみたが、彼もまた内容を把握しておらず、「鉛の兵隊とニクソンがやって来る」と全く見当外れなニール・ヤングの『オハイオ』の歌詞を呟いた後、「それより、コンサートで何やるんだよ」と逆に質問する始末だった。

 「うん、ムーの『ぎやまんの箱』と、ヒナコの『さようなら通り過ぎる夏よ』は決まってるよね」そのクマの言葉にアグリーは黙って頷いた。

 「それで、要はどれだけの時間というか、何分間、我々が貰えるかなんだけど、30分ならやれるのはせいぜい4曲か5曲だよね。そうすると後3、4曲用意しなければならないって事になる。ここ迄はいいかな」

 それに対してもアグリーは黙って頷く。

 「そんでもって、あの2曲はどっちもスローなんで、メリハリ付けるにはやっぱし速いのが欲しいんだよね。それで考えたんだけど、一曲目はアナタの『観覧車』を持ってくるのはどう。A面トップだよ」

 A面トップ、それはプロのミュージシャン達が発表するアルバム、即ちLPレコードに於いて最も重要な一曲目の事を言う。様々なレコードを聴き漁っているアグリーは有名アルバムの出だしを検討し、いつの日にか彼が世に問うであろうファーストアルバムのコンセプトばかり模索していた。

 「あー、なるほど。でも『チャンランシャ』を生ギターでやるんかあ」

 「観覧車」は前年の12月、アグリー、センヌキ、クマの三人でエレキギター等を使い録音したアグリーのオリジナルで、サビの部分が4拍子から3拍子に変わる、彼等にしてはなかなかキャッチーな曲だった。


観覧車1973/風のかたみの日記

 「イエス。アレンジも考えた。変則Eオープンでやる『青い目のジュディー』と同じ」

 「はあ、いきなり変則」ともすればポップス感を失いかねない変則チューニングに、アグリーは難色を示す。

 しかし、何かと技巧に走りがちなクマの頭の中では、もう既にEBEEBEにチューニングされたギターの音が鳴り始め、意識はまた別の世界へ行こうとしていた。「大丈夫、任せてチョーダイ」まるで財津一郎のような甲高い声でクマは宣言した。

 そこへ偶々センヌキが通りかかった。「オタクら、出し物は決まったの」

 「ああ、今その話をしてたとこ。クマが『観覧車』を変則チューニングでやるって」

 「えー、またー」

 「そうだろう、そう思うだろう」

 それを聞いてわが身に差し迫った危険を察知したのか、急遽異次元から戻ったクマが、右の人差し指を車のワイパーのように左右に振りながら言った。

 「君達は何も解っていない」

 

 そんなやり取りがあって間もなく、「ヒナコさんグループ」が顔を揃え本格的練習を開始した。練習は基本的に週1回、場所は主に放課後の教室であったが、天気のよい日は校舎の屋上に上がったりもした。

 「先ずは決まっている『ぎやまん』と『夏よ』を仕上よう」クマの号令の下、三人でチューニングを合わせる。とにかくクマは徹底的に合わないと気が済まない性分で、微かな音の揺らぎにも神経を尖らせた。

 440Hzの音叉を膝で叩き、ギターのトップに当て「A」の音が出す。それに5弦の5フレットでハーモニクスを共鳴させると、音の違いが明確に判る。クマもうこれを5年間もやってきた。そうやって合わせた5弦を基準に残り全ての弦を合わせ、それが終わるともう一度同じ事を繰り返す。そして各弦をチョーキングで引っ張りまた調律を確認。大した時間ではないが、周囲の者をウンザリさせるには十分だった。

 「そろそろやる」作業を終えたクマの言葉に、三人共やれやれという顔で溜息をつくしかなかったが、アグリーとムーは必要に迫られて自分のギターをクマの音に合わせた。

 『ぎやまんの箱』はムーが作った典型的なスローバラードのフォークソングだった。もし、このバンドに参加していなければクマもアグリーも決して演奏するような曲ではなかったが、今更そんな事は言えず、何よりクマは自分が持っている音楽的知識と技術の全てをここに注ぎ込むと決めた以上、後戻りは出来なかった。

 「三番まであるから徐々に盛り上げて行きたいんだけど、普通に考えれば二番まではアルペジオ、三番で一気にストロークってとこかな。他にはギター3本の内どれかにカポとか」クマは大雑把に自分の考えを述べた。

 それに対しアグリーが答える。

 「俺、ザ・クロッジのメンバーから12弦を借りてくるよ。そうすれば音も広がるし」

 「オッケー、それはいいかも」

 「僕は何をすればいいですか」ムーが口を開く。

 実際のところクマはムーのギターを全くアテにはしていなかった。それでも面と向かってそうは言えないので、あまり伴奏の邪魔にならないよう間奏で簡単なソロを任せる事にした。

 続いてヒナコの『さようなら通り過ぎる夏よ』、この曲についてクマは既にプランを持っていた。それは昨年アグリーの『星の妖精』という曲で実証済みのギターアンサンブルを使う事であり、具体的にはオーソドックス・チューニングのギターとDチューニング(DADF#AD)のギターを合わせ、それより音域を広げきらびやかな響きが期待出来た。


星の妖精/風のかたみの日記

「後は、新曲を幾つか揃える必要があるな」クマは自問して頷いた。<続>

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