世田谷区民会館の舞台に立つまで既に三ヶ月を切っていた。「ヒナコさんグループ」が使える時間は未だ不明だったが、レパートリーにムーの二曲目が加わり、取敢えずはこれをメインに練習を続けていた。
しかし未だ四曲では足りない。ステージを30分以上維持するには、少なくとも後二、三曲は用意しなければならず、最も手っ取り早い解決法はアグリーとクマが既に作った歌から選ぶ事であったが、それはいつでも出来る最後の手段で、クマはヒナコの顔を見る度にあと一曲何とかするようプレッシャーをかけていた。
その日の練習でも同様、開口一番こう切り出した。
「ねえ、何か無いの。取敢えずさ、曲か歌詞か、どっちかあれば後はどうにかするから」
「そうねえ、ないことも無いんだけど、ちょっとねえ、あんまりねえ」
「ちょっと何よ、いいからやってみてよ」クマに促されヒナコは自信なさげにギターを持ち上げてボソボソ蚊の無くような声で歌い始めた。
「 ♪ 秋祭り 秋祭りのお囃子の音が・・・」彼女は最初の四小節を歌うとそこで止めて首を横に振りながらクマの顔を覗き込むように見た。
「いいじゃない、ねえ」クマはアグリーに同意を求めた。
「全然オーケーだよ。秋祭り、季節感もピッタしだし」アグリーは自分に与えられた役割をきっちりと果たす。
それは極ありふれたフォーク調の曲で、しかもキーは定番のAm。これでもかと言う程マイナーな歌だったが、散々せっついて出させたものであり今更貶す訳にも、ましてや別の曲を要求する事など出来る筈も無かった。
一応最後まで通して聴くと、クマはいつも持ち歩いている五線譜を取り出し大雑把な譜割をしてコードをすらすらと書き込みながら、ヒナコに確認した。
「タイトルは『秋祭り』でいいんだよね。で歌詞は」
クマがそう言うとヒナコはスヌーピーの便箋を取り出して書き始めた。
秋祭り 秋祭りの人混みの中で
あなたとはぐれて一人の私
浴衣姿 裸電球
赤い風船が手を離れ
暗い夜空に消えてった
秋祭り 秋祭りのお囃子の音が
私の寂しい心に染みる
金魚すくいに風船釣りと
いつかあなたの事も忘れて
一人はしゃいで夜は更ける
秋祭り 秋祭りの終わったその後で
気がついてみたら一人の私
綿あめの甘い香りを残し
散らかった神社の境内を
秋風も寂しく吹き抜けた
「最高じゃん」アグリーが大袈裟に叫ぶと、ヒナコは照れ隠しなのか彼の背中を平手で叩いた。
一方、クマの灰色の脳細胞にまたしても灯りが点灯した。
『そうだ、これはイントロと間奏で、C,S,N&Yかガロのような癖のあるリードギターを入れれば、ちょっとはハイセンスになるのではないか』
その為にはAmよりはDmの方が自分としては弾きやすい、しかしキーは五度高くなる。早速クマは自分がDmで演奏し、ヒナコの声のチェックをした。
その結果一番音程が高くなる部分で時折声が裏返りそうになるものの、これは歌い込めば何とか解消されそうだと彼は思った。
クマは相変わらず、こと音楽にかけては自分本位で冷酷な迄非情であり尚且つ容赦が無かった。
「クマさんって高い声ばっかり求めてない」ヒナコは半ば呆れたように言ったが、クマは『それはもしかしたら、暗に自分が未だあのアグネス・チャンが歌うような甲高い声のナッパの呪縛から解き放たれていない事を指しているのか』と考えた。しかしその事を声に出して言う事はなかった。
その日もクマは帰宅するとヒナコの新曲に罹りっきりになった。そして何度か繰り返しギターを弾いている内にある事実を発見した。
『このコード進行は何処かで聞いた事があるぞ』
試しにその思いついた歌を重ねて歌ってみると、彼の仮説は確信に変わった。それは間違いなくラジオ番組「コッキーポップ」で流れている、「ウイッシュ」という女性デュオが歌う「六月の子守歌」そのものだっだ。
クマは一瞬、人の秘密を暴き、隠れていた本性を垣間見たような、密かな快感に近い感覚に陥ったが直ぐに思い直した。
『これは単にコード進行が同じだけでメロディーは違うのだから、何ら問題はない』
それは全くその通りであり、少なくともクマが神とも仰ぐポール・サイモンの名曲「サウンド・オブ・サイレンス」を盗用し、「夜明けのスキャット」などという駄作を恥ずかし気もなく世に出して、莫大な印税を稼いだであろう『いずみたく』とかいう名の作曲家よりはずっとましだ。そう考えたクマは折角の自分の大発見を封印する事にした。
「秋祭り」のアレンジにはそれ程手間はかからなかった。基本的には典型的なスリーフィンガーを使い、後半からは少しずつストロークを入れてエンディングを盛り上げるといういつものパターンだ。
『代り映えしないかな、でもそれ以外に何か方法はあるだろうか。精々6弦をEからDにドロップする位か』
いつしかクマの指はこの曲に使う心算のC,S,N&Y「Find The Cost of Freedom」に於けるニール・ヤングの泥臭いフレーズをつま弾いていた。<続>
Find The Cost of Freedom/風のかたみの日記