シンクロニシティ(初回投稿2020年1月17日)

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 あの日から26年の歳月が流れた。それは即ち日本の人口の凡そ2割が「阪神・淡路大震災」をリアルタイムで知らない事を意味する。だが別に不思議な事ではない。私達の大部分もまた、1923年(大正12年)に起きた「関東大震災」を知らないのだから。

 しかし私の中では、我が国を揺るがしたあの大災害に対し、どこかアウトサイダー的な感覚が今もなお残っている。それは多分、あの日あの時、遠く離れた場所にいたからかも知れない。否、恐らくそうに違いない。

 以下はその当時状況を昨年記述したものである。思う所があって再掲する事とした。

 

 先ず最初に。この「シンクロニシティ」というタイトルを見て、大集団女性アイドルの歌についての記述だと思った方、申し訳ない。そうではないので悪しからず。

 さて、1995年1月、未だお屠蘇気分が抜け切らない内に、私は初めてインドネシア共和国へ向かった。目的は観光ではなく、旧通産省所管の外郭団体から委託されたF/Sの為で、経費は突き詰めればすべて税金で賄われるが、それなりの調査を行い報告書作成義務を負っていた。

 調査内容について書き始めると、それだけで紙面が尽きてしまうであろうし、また道中で起きた様々な出来事も非常に興味深く得難い体験であったが、今回の本題では無いので、いずれ機会があればご披露する事としたい。

 真冬の成田から赤道直下のジャカルタを経由、空路スマトラ島最北端の都市バンダ・アチェへ。そこからペダンまで車で南下するという行程で、所要日数は10日間。「飯はナシ、人はオラン、私はサヤ」等と呟きながら、メンバー3名並びに現地同行者と共に1月17日、最初の目的地バンダ・アチェに到着した。

 古くは港町として栄えたこの都市は、敬虔なイスラム教徒が居住する事で知られ、流石に高層ビル群は無いものの、広い大通りには美しいモスクと様々な商店が並んでいる。

 事前に治安があまり良くないとのインフォメーションがあった為、我々は集団で行動したが、中心街を歩く人々はまるでスローモーションの動画を見るように、のんびりと正にジャラン・ジャランしているのであった。

 夕食を終えホテルの部屋に入り、取敢えずテレビを点けた途端、私の目は映し出された画面に釘付けになった。

 何処か場所は定かではないが、それは間違いなく日本の都市だった。少なくとも見慣れた東京ではない事だけは確かだ。 そして、そこでは、信じられない事に、高速道路の高架が土台から倒壊している。

 大地震が発生したように見えた。しかし幾ら地震大国の日本とは言え、このような壊滅的な破壊が起きる筈はない。これはではまるでパニック映画ではないか。そう思った。

 それが私が見た、後に「阪神・淡路大震災」と命名される大災害の第一報だった。

 テレビのニュースは華僑向けの衛星放送だったのだろうか。音声は中国語、字幕はアラビア文字。もし逆であれば、漢字を見て少しは推測出来たかも知れないが、当然何を言っているのか全く理解出来ない。そのうち場面が変わると、今度はなんと大正12年に起きた「関東大震災」の白黒の記録映像である。

 私は部屋から茅ヶ崎市に住む父親に電話をかけ、大きく被害を受けたのは阪神地区である事、また倒壊したのは高速道路だけではなく新幹線や在来線の橋脚も同様との事、おびただしい数の犠牲者が出ている事などを聞いた。 

 眠れない夜を過ごした翌朝、ジャカルタに支店を置く日本の商社が国内の新聞記事をFAXで送ってくれ、連絡を取りたい人の有無を訊ねて来た。その活字を読んで漸く、何が起きたのか受け入れる事が出来た。それが私の1月17日だった。

 

 それから9年後、2004年12月26日。その日は日曜日で自宅のテレビを見ていると、ニュース速報のテロップが流れた「インドネシアスマトラ島沖で地震発生」。

 やがて現地の映像が届いた。あのゆっくりと時が流れていたバンダ・アチェの街と人々が巨大津波に飲み込まれてゆく。

 それがアチェの南南東250kmで発生した「スマトラ島沖地震」である。この天変地異はマグニチュード9.1という凄まじいエネルギーを放出し、1960年に起きた「チリ地震」の9.5に次いで2番目に大きな地震と記録された。

 更にその直後に発生した津波は、時速700kmというジェット機並みの速度でインド洋を駆け抜け、その高さは平均10m、最大34mに達し、バンダ・アチェの地形を変えたと言われている。

 取敢えず、話はそれだけである。

 これは唯「阪神・淡路大震災」が起きた日に私がいた場所が、偶々後になって大きな津波に襲われた、という事に過ぎず、そこには何ら関連性や因果関係は無く、まして私の身に起きた超常現象や怪奇現象、神秘体験などでは有り得ない。よくある偶然と言ってもいい。

 それでも今日1月17日、25年前のこの日に起きた大震災を伝える報道を見聞すると、どうしてもあのスマトラ島の景色が重なって見えてくる。

  恐らくその感覚を、スイスの心理学者カール・ダスタフ・ユングが提唱した「シンクロニシティ」と呼ぶのは間違いだろう。ただ私の意識の中では、今なお二つの災害が、時を越えて呼応し同期しているように思えてならないのである。

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 2004年10月23日、震度7を記録した「新潟県中越地震」が発生。その日、滅多に海外に行く事の無い私は何故か北京にいた・・・。