昨年12月7日、稀代のコメディアン小松政夫が逝った。享年78歳。少し早いような気もするが肝細胞癌だったという。
私が彼を認識する切っ掛けは遠い昔、映画評論家「淀川長治」の物まねからだった。淀川は毎週日曜日、テレビの洋画劇場の解説者として番組の始めと終わりに登場。独特の語り口で冒頭「はい、またお会いしましたネ」に始まり、本編終了後「さよなら、さようなら」で終了する。後にオフコースの小田和正がこれをヒントにヒット曲「さよなら」を書いた、というのは嘘である。
小松はその様子を、淀川に似せた太い眉毛が上下に動く仕掛けを使いながら口真似をするのであるが、これが特徴を捉えて実に面白い。そもそもこれを真似ようと思いつく着眼点が素晴らしい。
その後「笑って!笑って!!60分」(TBS 1975.4~1981.3)の頃からは元てんぷくトリオの伊東四朗とコンビを組み、やがて「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」を生み出した伝説のバラエティー番組 「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(NET 1976.10~1978.3)へと繋がっていった。
何せ放送局は当時未だ「NET」と名乗っていたテレビ朝日である。N=日本、E=教育、T=テレビの略であったなどと今時誰が覚えているだろうか。
とにかくあの頃の伊東四朗と小松政夫のコンビは突き抜けていた。PTAから「教育上好ましくない低俗番組NO.1」との批判を受けるが、それを物ともせず、片や解散に向かってひた走るキャンディーズの三人と共に更にヒートアップしていった。
今見れば確かに小松が扮する「政太郎」は家族から寄ってたかってイジメられているみたいだが、当事者によれば全ては綿密に仕上げられた台本通りに進行していたのとの事である。
小松の死が公になった翌日、偶々ラジオの生番組に出演した元キャンディーズの伊藤蘭によれば、一昨年行われた彼女のソロコンサートに、小松は自分でチケットを手配し「小松の親分さん」さながらに真っ白なスーツを着て現れたという。
一方、人をド突く以外然したる芸も無い自称芸人達が、こぞって思い出話を語り始め、さも小松と親しかったかのようにコメントするのを耳にした。他者の死を利用してまで自分を宣伝したいのかと、私は大切な思い出を汚されるよう気がしてならなかった。
さて今回のタイトル「ニンドスハッカッカ」。小松の小学校の担任教諭の口癖だったそうである。一体どのような状況の中で発せられたのか。その答えは以下のYouTubeで。
キャッホランラン!
もしかしたらこのような「笑い」はいわゆる「昭和」であり、今の若い人達にとっては面白くも何ともないのかも知れない。
しかし私にしてみれば、単なるノスタルジーではない、最も多感な頃に出会い、年齢差はありながら同時代を駆け抜けた輩のような存在だったのではないか。そんな気がしてならない。
ここに在りし日の故人偲び、謹んで哀悼の意を表するものである。