霊峰を撮る

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 相変わらずタイトルは大仰だが、要は「富士山」の写真を撮りに行って来ただけの話である。それも麓の山梨県静岡県まで出掛けたり、近隣の絶景スポットを探した訳でもない。取敢えず最寄りの「富士山」が見える場所、「荒川土手」から撮影しようと考えたのだ。

 何故今富士山なのか。きっかけは Facebook のタイムラインに、かなり遠方から「ダイヤモンド富士」を撮影しようと不毛な努力をしている投稿があったり、また不屈のはてなブロガー、おりょー♪ (id:ryokobonafede)さんの情報によれば、バズーカ砲みたいなカメラを山に向けて、シャカシャカ鳴らしている穴場もあるという。

 ならばここはひとつ、『私もカメラを抱えて出かけてみようではないか。だが県境の河を越えると百合子が煩いので、その手前で我慢するしかないな』という結論に達した次第。

 実を言うと、ここのところすっかり外食を控えている事もあり、ちょいとオサレなレストランへ行った心算で、代わりにバズーカ砲まではいかないものの新しいズームレンズ(70~300mm/4~5.6)を入手したばかりなのだ。

 ところで「富士山」だが、日本の最高峰であるのは言うまでもない。しかし長い歴史の中で恐らく一度だけ後塵を拝した時期があった。

 1895年、日清戦争の結果、下関条約によって清国から割譲された「台湾」には「玉山」という山があり、標高は富士山(3,776m)より高い3,952m。日本はこれに「新しい高い山」=「新高山」という名を付けた。

 因みに1941年12月2日。極秘裏に単冠湾からハワイに向けて南下する聯合艦隊に対し、真珠湾攻撃を発令した暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」はこの山の事である。

  その後、富士山が国内最高峰に返り咲いたのは二位転落から半世紀後、太平洋戦争が終結した1945年の事であった。

 <閑話休題

 さて勇躍出掛けたものの、朝日の妙に赤い光や思わぬ霞に阻まれ、結局思うような写真を撮る事は出来なかった。それでも当初はいつものようにYouTube用の動画を作成する心算であったが、ヘッダー画像から鉄橋や架線を消すのに消耗してしまい、以下の通り安易に写真を張り付けるに止めた。

 尚、頁が標示されるまで時間が掛かると思われるが何卒ご容赦を。

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