煙草からの卒業

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 今週のお題「〇〇からの卒業」に因んで。

 先日、抜けるような青空に誘われ、特に行くあても無く車を走らせた。もとより遠出する心算は無かったが、暫く振りに眺める街並みに新しい建物が出来ていたりして、それはそれで新鮮である。

 ふと、交差点の角に、制服の胸にコサージュを飾った女学生が二人立っているのが見えた。彼女達の背後に目をやると校門に「卒業証書授与式」と書かれた大きな立て看板があった。

 「そうか、卒業シーズンか。『授与式』は『卒業式』とは違うのかな」そんな事を考えながらその場を通過した。

 今年はコロナ禍の影響で通常の「卒業式」を中止する学校も多いようだ。この日を楽しみにしていた生徒や父兄にとっては、さぞかし残念な事であろうと思う。しかしこればかりはどうしようもない。

  「卒業」という言葉は本来所定の教育課程を修了した事を意味する。だが今回の「お題」に合わせ拡大解釈をして、私にとって「卒業」と呼べるような出来事を最後に経験したのは何だったろうかと思い返してみた結果、「禁煙」という文字に辿り着いた。

 

 さて、私が煙草を止めて久しい。二十歳になった記念に吸い始め、途中3年程の禁煙期間を挟み延々と数ディケイド吸い続けていた。

 最盛期には1日60本もの有害物質を吸引していたが、今では全く吸いたいとは思わず、逆に臭いを嗅ぐだけでも不快感を覚え、偶に煙草臭いタクシーに乗ったりすると気分が悪くなってしまう。

  それでも長い間吸っていた為、煙草に纏わるエピソードも幾つかある。その一つを紹介したい。

  初めてアメリカに2週間出張した時、日中ずっと喫煙を控えていたが、仕事を終え食事を済ませてホテルの部屋に入り、漸く「ヤレヤレ先ずは一服」と思って灰皿を探したところ、無い!

 テーブルの上にも机の引き出しの中にも何処にも見当たらないのである。「ウエルカムフルーツや聖書なんかいらないから灰皿をくれ!」

 フロントに言って灰皿を届けさせるか部屋を変えて貰う手はあったが、夜も更けておりその日はじっと我慢した。それ以降、移動してホテルにチェックインする際は必ず喫煙可か確認するようになった。

 そこで今度は、以前、村上春樹がエッセイにチェックインの際「Cancer room please.」と言ったら受けたと書いてあった事を思い出し早速試してみたが、えらく怪訝な顔をされただけだった。

 とにかくアメリカという国は徹底している。彼等の発想は「身体に悪いと判っていながらを敢てそれを摂取するのはエリートでは無い」であり、丁度カフェイン抜きのデカフェネイティッドコヒーが流行っていた頃だった。

 それに引き替え、後に訪問したヨーロッパはまだ緩かったが、当時日本で1箱200円程度で買えた煙草が彼の地では800円もしていた。喫煙者が少ないのはこのせいだったのかも知れない。

 いずれにしても日本では、料亭にしろレストランにせよ、昔はあらゆる場所で煙草を吸う事が出来た。あの頃非喫煙者達はよく我慢してくれたものだとつくづく思うのである。

 ところで「抜けるような青空」を「ピーカン」と言うのは缶入りピース(煙草)のパッケージの色の事、という話は本当だろうか。

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