遠くで汽笛を聞きながら

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 最近、頓に昔の出来事を思い出す事が多くなった。しかも20年以上も前の記憶ばかりだ。

 それはまるで、何度も観た映画を再生するように、優しく、懐かしく、愛おしく、切なく、ほろ苦く、そして少々うんざりする。

 二十代の終わり頃、勤務先の先輩達とバンドを組んだ。「酒を飲んで管を巻くばかりでは能が無い、何かもっとクリエイティブな事をしてみようではないか」、という発想からで、我々が夜な夜なたむろしていたスナックのマスターも加え、5人でスタートする事になった。バンド名は当然プロ・デビューを見据えてMISTRAL(ミストラル」。南仏プロヴァンス地方に吹く強い北西の季節風の名称だという。

 ところがこの5人の内、バンド経験者は私とクラーク博士の子弟らしいハンカクサイ道産子だけで、キーボードのChuuさんはピアノを習ってはいたが楽譜が無ければ何も弾けず、無理やりベースを買わせたShun-chanは白玉(全音符)さえも困難。マスターは「俺、昔、柳ジョージのバックでちょっと叩いた事がある」と自信満々だったが、直ぐに大法螺である事が判明した。

 練習は比較的安価な貸スタジオを見つけ、土曜日の午後1時に開始し夕方5時に終了。その後、反省会と称して延々11時まで呑み続けた為、結局、当初の目論見は崩れ酒量は逆に増えてしまった。

 最年少の私はバンドリーダーとして、課題曲の選定と音源、楽譜の事前配布が主な仕事だった。しかしメンバーの大半はスタジオに来てから自分のパートの練習を始める始末で、学生時代、中々スタジオを借りる事すら出来なかった貧乏アマチュア・ミュージシャンであった私は、偉そうに「スタジオはアンサンブルを確認する場所だ」等と、とにかく不真面目な諸先輩達に対し怒鳴り散らしてばかりいた。

 それでも生意気な後輩を叱る者もなく誰も辞めずに、バンドはその後、担当楽器の交代等をして、演奏技術向上の為、T-スクウェアのコピーもしてみたが、ある日突然、ドラムスに定着した道産子への転勤辞令に因ってその活動を休止した。

 更に白玉小僧からお茶くみに降格されたShun-chanは肝がんを患い、ふくよかだった身体はやせ細って30代で早世。彼の家族と共に最期を看取った情景は、今も目に焼き付いたままだ。

 やがて月日は流れ3年前。マスターから店を閉めるとの連絡があり、久し振りに残ったメンバーが一堂に会して、近況報告と名残を惜しんだ。

 そして、それが我々MISTRALの最期の飲み会となった。昨年末に届いた幾枚かの喪中葉書の一葉が、マスターの死を伝えてきたのだ。

 どうやら3年前の閉店時、既に咽頭がんに罹患していたらしい。そう言えば声が掠れていたような気もする。それでも一昨年前には転居の通知があったし、恐らく本人は再起する心算だったのだろうと思う。未だ70歳にはなっていない筈だ。

 さて、今回はそのバンド結成当初、偶々ラジカセで録音したマスターの声を、YouTubeに残しておこうと考えた。曲名はアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」。

 音質、バランス共に悪い。第一、演奏が下手だ。もしそれでも良かったらお聴き願いたい。

 尚、クレジットではTake-chanとなっているが、目上の人なので私は一貫してマスターと呼んでいる。

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 自分も含め、もういつ何時、知人の誰がこの世を去ってもおかしくない年齢に差し掛かりつつある。

 『言わなければ良かった後悔と、言えば良かった心残り』 許される範囲で私は、前者を選びたいと思う。

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