今年のイースターは4月17日になるそうだ。毎年該当日が変わるこの「復活祭」と呼ばれる記念日は、日本ではクリスマスほど有名ではないものの、キリスト教にとって最も重要な祭りだという。
尤も私はキリスト教徒ではないので、スヌーピーのようにウサギ(イースターバニー)に扮して色付きのゆで卵(イースターエッグ)を配ったりはしない(多分、教徒でも普通そんな事はしないと思う)。しかし、このイースターという言葉の響きには、ちょっぴり切なくほろ苦い想い出がある。
遠い昔、高校生だった頃、同じクラスの恐ろしく声が高くて髪の長い女の子に恋をした。寝ても覚めてもその子の事ばかり考え、何とかして彼女の気を引こうと、よせばいいのに無駄な努力を重ねた。
唯、ルックスでは残念ながら勝負出来ないので、先ず手始めに友人達と発行していた学級新聞(我々は機関誌と呼んでいた)に以下のような雑文を書いてみた。
朽ちかけた長い回廊を抜けた時
早春の陽光は眩しく暖かかった
透き通った新緑の若葉が風にささめくのを聞き
また新しい詩を一つ書こうと思った
汚れなく白い思い出をその言葉に託して
輝くこのひと時を飾ってみよう
描きかけのカンバスに絵具を重ねて
いつかは別れてゆく二人の後ろ姿を見送りながら
栞をさした頁を開いて泪の跡を辿る
流れ星が燃え尽きたら広い夜空の何処かに
願い事の一つを失くしたように
星々の間を探すけれど
心の中で歌はいつも独りぼっちだった
遠い夢の旅路をさすらう人の
あの優しい微笑みにもう一度会えたら
白百合の花に包まれたイースターの街に
夜明けを求めて
さあ行こうワトソン君
ガニマールでは頼りにならないからね
今、読み返すと一体何が言いたいのか解らないが、最後の部分のウイットだけが売りで、尚且つ、文中に彼女なら気づくであろう二つのキーワードを書き込んだ。即ち彼女の名前である白い花と、彼女の誕生月、3月(その年のイースターは3月だった)である。
しかし、幾ら無知で無邪気だったとは言え、こんな文章で意中の人の琴線に触れるなど出来る筈がない。勿論、反応など全く無かった事は言うまでもない。
そこで次に考えたのは、その年代にはありがちな愚行、歌を作る事だ。未だネットなど無い時代、私は手当たり次第に書物を当たった結果、遂に「ある言葉」を見つけた。「復活祭には鉄砲百合の花を飾り、それはイースターリリーと呼ばれる」
二日あまりで歌詞とメロディーをでっち上げ、一人で多重録音をした曲がこれ。
辛うじて僅かに残っていた理性のお陰で、これを彼女に聴かせなかったのが、せめてもの救いである。
その後も様々なアプローチを続け、周囲の応援等もあり、遂に生まれて初めてデートに出掛けたりもしたが、私の想いは届かず、結局全ては徒労に終わった。
失恋というものは、自分の存在が否定されたように思え、酷く消耗する。私は何とかそこから立ち上がり、大学受験に専念する事で悲しみから逃れようとした。
やがて時は流れ十数年後、久し振りにクラス会があった。殆どの同級生の顔と名前は認識出来たが、一人だけ見覚えのない、姫だるまのような女性がいた。
しかし、彼女が誰であるか判明するのに時間はかからなかった。声だけはあの頃のまま、恐ろしく高かったのだ。