YS11の想い出

 1979年に大学を卒業した私は、その後、学友二人と共に殆ど毎年、観光&グルメ旅を続けていた。

 1985年夏、当時の東亜国内航空の格安ツアー「コーラル・アイランドへ」を利用し、沖永良部島へ旅立った。

 ところが台風接近の影響を受け、経由地、鹿児島で足止めをくらい翌日YS11で島へ飛んだ。

 初めて乗る機体は思った以上に小さく、いくら名機、零式艦上戦闘機を設計した堀越二郎の作とは言え、不安が残る。

 おまけに搭乗前、各人の体重聞き取り調査があり、後から聞いたその理由は、その重量合計から搭載燃料の数量を決めると言う。若干過少申告をした私は気が気で無かった。

 はたして離陸すると飛行高度はジェット機に比べはるかに低く、荒天に煽られ機体は揺れまくり、眼下に見える海面は白波が立っている。

 漸く沖永良部島空港に着陸、減速中に右からの突風で滑走路脇の芝生に少し入り込んだ。御巣鷹山の大惨事直後で、特に指示も無いのに思わず安全姿勢をとった。YS11に乗ったのは後にも先にもこの往復だけだった。

 以上今朝、ネットの毎日新聞記事、「YS11:3年ぶり離陸へ 高松空港から能登空港へ」を見て想い出した事。

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