ありがとう、ブレイブブロッサムズ

 ラグビーワールドカップ2019、先程、日本代表ブレイブブロッサムズの戦いが終わった。3-26、惨敗である。

 幾ら惜しくても負けは負けである。現に少し前、大分で行われたウエールズ対フランスの試合は、僅かに1点差でウエールズが勝利を収めた。従って、これだけ点差を付けれれば、何も言う事は無い。

 我がブレイブブロッサムズにとって、流石に22年間の投獄に堪えた不屈の人、ネルソンマンデラの意志を継ぐ強敵、南アフリカの壁は厚く高く、それに対し早大ラグビー部OBで何かと頼りない元首相、森喜朗氏の名前では、これを打ち破る事は容易ではなかった。

 しかし、考えて見て欲しい。我々は桜戦士のお陰で、今まで見た事もない世界へ足を踏み入れ、世界最高峰の試合を観戦する事が出来たのだ。そして、たとえ俄かファンと見下されようとも、多くの老若男女がレプリカユニフォームを着て、声援を送り、心からゲームを楽しんだではないのか。

 恐らく様々なマスコミ等に於いて明日以降、「何故、日本で、これ程ラグビーが受け入れられたのか」などという議論が、たいしてタレントも無い似非タレント達が、尤もらしい顔をして述べる事であろう。

 かってバブル期に自動車レースのF1がもてはやされ、愚かな村上龍なども大いにPRをしまくっていたが、ラグビーはそんな後発組のお祭りでは無く、過去も今後も末永く愛されてゆくスポーツなのである。

 因みに、何故私が村上龍を愚かと言うかは、彼が1969年、佐世保北高校時代の愚行を著述した「69」のラストに、あろうことかポールサイモンが、1975年に発表した曲のタイトル「Still Crazy After All These Years」と書いていたからで、この一言で彼は、惜しげもなく新刊書を購入する読者の一人を失ったのだ、ざまあみろ!

 閑話休題。残念ながらブレイブブロッサムズは敗れてしまったが、それでもラグビーワールドカップ2019はまだ続く。時差無しで素晴らしい試合を、居ながらにして見る事が出来る折角の機会なので、最後まで見届け、この大会を盛り上げようではないか。と悔しさを隠しきれず今回のブログを終了するが、 試合を終えた彼等の表情が全てを語っている。ありがとう、ブレイブブロッサムズ!           

      f:id:kaze_no_katami:20191022180752j:plain

ONE TEAM

 ラグビーワールドカップ2019は、明日10月19日からいよいよ決勝トーナメントが始まる。ここ迄、まるで日本全体が、ひとつのチームになったかのような本大会であるが、その立役者は何と言っても、開幕以来、怒涛の快進撃を続ける我らがブレイブブロッサムズである事は言うまでもない。

 実際のところ、この大会は始まる寸前まで、やや盛り上がりに欠け、「果たして上手くいくのだろうか」という危惧さえ囁かれていた。だが蓋を開けてみれば、それは案ずるは生むより易し、全くの取り越し苦労だった事が判明したのだ。

 先ず特筆すべきは、日本戦以外の試合にも多くの観客が集まり、声援を送ると共に、何より開催地住民の参加各国への対応が素晴らしい事である。これ程この日本がグローバルだったのかと、只々感嘆するばかりだ。

 例えばそれを象徴するのが、名前さえ殆ど知られていないナミビアの国歌を、選手と共に、声の限り歌うマスコットキッズの少年であった。

 プロのミュージシャンでさえも、生国「日本」の国歌をまともに歌えない姿を、つい先日、マラソンの代表選考会MGCの中継で見たばかりである。

 それをいくらナミビア公用語が、一般的な英語とは言え、歌詞と旋律を覚えた少年の努力は、並み大抵な物ではないだろう。

  また、そのようなホストの姿勢に応えるかのように、カナダ代表チームは、台風19号で試合が中止となり、B組最下位という不名誉な結果となったにも拘らず、開催地である釜石に留まり、街に溢れた泥の清掃を行い、世界各国から多くの称賛が寄せられた。

 勿論、全てがいい事ばかりでは無く、熊本ではウエールズに敗れたウルグアイ代表が、酔って暴れたりする残念な出来事も起きたりはしているが、この大会で生まれた多くの素晴らしい物語は、末永く語り継がれる事であろう。

 さて、今回のタイトルONE TEAMとは、日本代表ブレイブブロッサムズが掲げた標語であり、これは立場を超え、同じ目標達成の為に、互いに理解し合い、心をひとつにする事を意味する。

 イデオロギーを持ち出す心算は毛頭無いが、伝えられた情報に依れば、日本代表に選ばれた選手達は、国籍を問わず先ず「君が代」の詞の意味から学ぶのだそうだ。

 それがテレビ中継で見る、全ての選手達の斉唱に繋がっているのである。ただ一人、韓国籍で参加している具智元は、誰よりも大きな声で歌っているとさえ言われている。今日日、主たる学校行事に於いて、国旗掲揚や国歌斉唱を拒否する一部教員達に聞かせてやりたい位である。

 9月20日に始まったラグビーワールドカップに、すっかり心を奪われたようなこの一ヶ月であったが、その間、思いもかけない大きな颱風に見舞われ、時間の経過と共に次々と判明する被害状況に、我々は暗澹たる気持ちに陥り、思わず言葉を失なってしまう。

 一日も早く日常を取り戻して欲しいと願うばかりであるが、この未曾有の災害に対しも、同じようにONE TEAMの精神をもって協力し合えたらいいと思う今日この頃だ。「頑張れ!日本」

      f:id:kaze_no_katami:20191018072321j:plain

氾濫危険水位

  先月、関東地方を襲った台風15号は、予想を遥かに超える爪痕を残して去り、未だその復旧作業が片付いていない中、今度は1958年以来、最も大きく破壊的な台風19号「ハギビス」が来襲との報が列島を駆け巡った。

 気象庁はその説明をする際、「狩野川台風」という名を引き合いに出したが、私にとって台風と聞いて直ぐに思い浮かぶのは、青函連絡船を沈没させ、水上勉の「飢餓海峡」のモチーフにもなった1954年の「洞爺丸台風」や、富士山レーダーを建設する契機となった1959年の「伊勢湾台風」である。 

 昔からこの厄介な自然災害に、幾度となく悩まされ来た我が国であるが、これだけ文明の利器が発達した時代に、構造物や家屋の損壊ならともかく、いまだに死傷者が発生するのは慙愧の念に耐えない。

 これを書いている13日午後現在、既に死者、行方不明者合わせて三十余名と伝えられており、今後更に増える恐れもある。しかし、もしかしたら中には避けられた事故もあったのではないだろうか。実際救助された人が、「もう少し早く避難すれば良かった」と話しているのをテレビは放送していた。

 今回は事前に「命を守る行動」という言葉と共に、被害予想を過小評価し、自分は大丈夫と考える「正常性バイアス」という心理学用語を、盛んに聞いたような気がする。そして、各マスコミも口を揃え「早目の避難」を呼びかけ、「不急不要の外出」や「田畑や河川の様子を見に行く事」を戒め、NHKに至っては「必ず毎回そのような人がいる」とまで言ってのけた。

 かく言う私もつい「大丈夫」と考えてしまいがちな性格なので、従前より住んでいる地域の行政が発信する防災気象情報メールや緊急指示メールに登録し、他にNHKニュース防災、Yahoo防災速報も利用している。

 これらは普段、些細な出来事についても都度送付して来て、若干鬱陶しく思う事もあるが、今回は9日から始まった行政のメールで、最寄りの消防署が土嚢の無料配布を行っている等の有用な情報を得て、早速利用する事が出来た。

 そしていよいよ台風が直撃した昨12日、私のiPhoneは休みなく状況を流しながら、拙宅の近くを流れる荒川の警戒レベルの変動と、氾濫危険水位に依る避難準備から勧告までを、こんな音があったのかと思う警告音と共に伝えてくれた。

 いつでも避難出来る準備を整え、まんじりともせずに夜を過ごした結果、幸い堤防は決壊する事はなく、13日早朝には水位が下がり始めたとのメールが入った。そして私はカメラを持ってのこのこ出かけたのだった。いい歳をしながら野次馬のようで不謹慎極まりないと、お叱りを受けるかも知れないが。

f:id:kaze_no_katami:20191013073719j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013073740j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013073808j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013073845j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013073910j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013074203j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013074223j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013074247j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013073542j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013074345j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013074415j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191013074434j:plain

秋の虫

 タイトルから鈴虫の話などを連想された方には申し訳ない、世の中に「虫が好かない」という言葉がある。はっきりとした理由は無いが何となく気に入らない、どうも好きになれない、そんな時、人は思わずそう呟く。

 何せ自分自身が嫌いだと言っている訳ではなく、自分の中に棲みついているらしい「虫」が嫌っているので、残念ながらこちらもその事に責任は負いかねる。

 さて、今年もストックホルムノーベル賞の発表が始まった。その中には平和賞の呼び声も高い、グレタ・トゥーンベリというスウェーデン人の16歳の少女がいて、テレビで見る限り、眉間に皺を寄せ、睨み付けるような眼差しで何やら烈火の如く激怒している。

 彼女に言わせれば、温暖化などの環境破壊によって、地球が瀕死の状態であるのにも拘わらず、大人達が経済活動に現を抜かしているのは許せない、との事らしい。よく解らないがごもっともな意見のようでもあり、これに真っ向から反論出来るのは、せいぜいKGB出身のプーチン大統領くらいしかいないのかも知れない。

 勿論、人を見かけで判断してはいけない事位は解っている心算だ。しかし国連の環境行動サミットの場で、あのような表情で発言する姿を見せられ、嫌な感じを受けたのは多分私だけではないだろう。そう、それこそ「虫が好かない」という言葉がピッタリと当てはまるような状況なのだ。

 言っている事は素晴らしいのかも知れないし、しかも相手は子供なので、まともに批判すると大の大人がイジメているように見え、何となくやり方がキタナイのである。おまけにこれは彼女の影響か定かではないが、NYで同時に、環境保護団体「オイル・チェンジ・インターナショナル」から、日本の石炭火力発電がやり玉に挙げられ、抗議デモまでされる始末である。

 確かに我が国は年間約1億トン強の石炭を消費している。しかし、ならば然したる環境対策もせずに、その16倍以上にあたる19億トンもの数量を使用する中国はどうなのか。また対象を先進国に限ると言うのであれば、お膝元の米国でさえも、3億トンを超える石炭を燃やしているのだ。

 「待てよ」と私は思う。このように日本だけを非難する構図は、他にもあったような気がする。そうだ2018年、被爆国でありながら「核兵器禁止条約」を批准しないのは怪しからんと、わざわざ日本にやって来て声高に叫んだ、ICANとかいう反核運動家の組織と同じ臭いがするではないか。

 日本に来る位なら何故彼等は、直接核保有国であるロシアや中国、北朝鮮に行って廃絶せよと訴えないのであろうか。言い易い所でのみ己のレーゾンデートルを主張するだけなのか。因みにICANは2017年にノーベル平和賞を受賞している。

 誤解して貰っては困るが、私は決して環境などどうでもいいと考えている者ではない。それどころか些細な事ながら、スーパーへ買い物に行く時は、必ずマイバッグを持参するし、コンビニで弁当を買っても割り箸を貰ったりはしない。

 同様に核兵器に対しても、決して肯定する立場ではない。夥しい数の非戦闘員を無差別に殺戮した原爆投下は、明らかに国際法違反であり、紛れも無い戦争犯罪だと考えている。

 それにしてもあの少女は、何もあんな顔をしなくてもいいのではないかと思う位、実にイヤな表情をしている。いくら立派な事を言おうが、どんなに優れた行動力があろうが、鼻につくし、見ているこちらを不愉快な思いにさせ、結果、応援しようという気が失せてしまう。それでもなお多くの支持者がいる事が不思議なくらいである。 

 ただ、そのように批判的な目を向ける者に対し、何かとお騒がせの上野千鶴子東京大学名誉教授が早速嚙みついて来た。曰く、「そういう事をやる人の権力性と品性のなさが暴露されるだけ」なのだそうだ。そんな事ではないだ。こちらは単に「虫」の話をしているだけなのである。

  ところで私は、ノーベル平和賞を誰が受賞しようが全く興味が無い。それは歴代の受賞者の多くがその後、我々を失望させる事になる事例を幾つも見せて来たからである。

 例えば1991年受賞のアウンサンスーチー氏。彼女は長い間軟禁に耐え、ミヤンマー民主化の星のような存在だったが、いざ政権の座に就くと、少数民族ロヒンギャの迫害を容認していた事が判明した。

 また2009年、現役の米国大統領として受賞したバラクオバマ氏。彼がプラハで訴えた核兵器廃絶の具体的スケジュールは、一体どうなってしまったのだろうか。

 従ってもし今回、スウェーデンのお嬢さんが受賞したとしても、その後の世界に大きな影響をもたらす事も無く、その場限り、一過性の熱狂みたいなもので終わるのではないかと思えてならない。そして我々はいつしかそんな少女がいた事など、すっかり忘却の彼方へ押しやってしまうのだろう。

 それはそれで少し残念な気がしないでもない、是非頑張って貰いたいものである。

      f:id:kaze_no_katami:20191007204307j:plain

彼岸花

 最近フェイスブックのタイムラインに、北海道からは早くも初霜の便り、また愛知県からは矢勝川堤防の満開の彼岸花の写真が投稿されていた。

 今年は気温が高いまま推移した影響で、10月に入っても彼岸花の見頃が続いているそうだが、天気予報も、沖縄地方は引き続き熱中症に注意が必要と伝えており、改めて南北に延びる日本列島の長さを実感する。

 ところで、私はこの彼岸花という植物が、昔からどうも好きになれない。とにかく色と言い形と言い何とも毒々しく、事実、球根には毒があって、モグラやネズミを寄せ付けないという。

 また見た目が炎を連想させる事から、家に持ち帰ると火事なるという言い伝えがあり、間違っても人に贈ったりしてはならない。

 そして何よりもその名称に慄然とする。「彼岸」とは向こう岸、即ち三途の川を越えた「あの世」の事であり、それこそ「死」を意味しているのだ。

 しかし、私はふと考える。「まずい、ここまで彼岸花の悪口を書くと必ずや祟りがあるに違いない。」

 そして私は、せめてもの罪滅ぼしに、カメラを持っていそいそと出掛けて行ったのだった。

f:id:kaze_no_katami:20191003110723j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003110751j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003110815j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003110532j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003110854j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003110918j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003110940j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003111004j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003111027j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003111049j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003111117j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003111140j:plain

f:id:kaze_no_katami:20191003111202j:plain

 やはり彼岸花の前に立つと思わず手が震え、イイ写真を撮る事が出来ない。もしかしたら私の前世はモグラだったのかも知れない。

津軽

 最近「人間失格 太宰治と3人の女たち」というタイトルの映画が公開され、その主人公である太宰治が俄かに脚光を浴びているという。彼は1909年、青森県の大地主の家に生まれ、文士として創作活動を続けながら放蕩の限りを尽くし、最後は情人と心中し38年の短い生涯を終えた。そこに至るまでには様々な苦悩があったのだろうが、何度も自殺未遂を繰り返す等、どうも身勝手極まりない男という印象が強い。

 私は学生時代に文庫化された彼の著作の殆どを読んだが、その中で珍しく「津軽」という小説だけは他の作品と違い、陰鬱な翳りも無く、瑞々しい紀行文といった雰囲気を持っている。

 ご存じの通り「津軽」は青森県西部に位置する地域名である。日本海側気候の豪雪地帯で、冠雪した名峰「岩木山」は、太宰が「透き通るくらいに嬋娟たる美女」と例えた美しい山容を誇る。しかし彼の地での冬の生活の厳しさは、想像するに難くない。

  何故かは解らないが、冬の津軽という言葉で真っ先に思い浮かぶのは「津軽三味線」である。これは極寒の中にあっても、家々の門前で芸を披露し金品を得る、いわゆる「門付」(かどづけ)と呼ばれる三味線弾き達が始めたとされている。

 代表曲「津軽じょんがら節」で聴かれる独特の旋律と音の響きは、そのような風土が生んだものであろうが、どことなく日本的では無いような気がしてならない。それでいて何故か激しく魂を揺さぶる。

 私の趣味の一つがギターである事は、以前このブログでも触れたが、1970年代、マスコミに取り上げられ一躍有名になった、高橋竹山という盲目の津軽三味線の名人の演奏を聴き、とにかくカッコイイと思った。この場合のカッコイイとは、女性にモテるのではとの下心を意味していた事は言うまでもない。そして私は、いつしかこの三味線という楽器を弾いてみたいと思うようになっていた。

  ところで、三味線はその用途により、大きく分けて三種類あるのをご存知だろうか。テレビドラマ等で見かける、和服を着て三味線を弾く粋な姐さんの職業は、大抵小唄の師匠と相場は決まっているが、彼女達が使っている三味線は中竿と呼ばれる。

 ここで言う竿とは、勿論釣り道具の事ではなく、ギターのネックにあたる部分で、長さはどれも凡そ三尺二寸(約1m)。但し、違いはその太さにあって、それぞれ細竿、中竿、太棹に大別される。

  更にそれに加え、胴の大きさの違いもあり、太く大きくなるにつれ、音量が増す傾向がある。従って座敷などの狭い空間では細竿で小型の胴、中竿と中型胴は舞台での演奏、そして太棹と大型胴は、更に大きな音量が必要な環境、即ち吹雪く中での「門付」という事になる。

 ところが現実はそうでは無かった。太棹且つ大型の胴では重量が増し、担いで家々を回るには重くて不向きであり、むしろ細竿が好まれたのだった。

 それが現在のように「津軽三味線と言えば太棹」となったのは、その音楽性が広く認知、評価され、弾き手達が互いに、より大きな音で競い合うようになった戦後の事だという。

  さて実を言うと私は、三味線はそれ程難しくはないだろうと少し高を括っていた。弦は僅かに三本、ギターのようなフレットは無いが、ある程度音感には自信があったので、「ツボ」と呼ばれる正しい音程の位置さえ掴めれば、あとはリードギターを弾く要領で、ピックの代わりにバチで弦を叩けばいい、その程度に考えていた。最早楽器を手に入れるだけである。

 それでも「マイ欲しい物リスト」の中で、三味線の優先順位はかなり低い為、手にする迄には随分時間が必要だった。しかし、その気にさえなれば投資案件が楽器の場合、私の承認決定基準はかなり甘くなる。勿論金に糸目はつけるが、ある日偶々ギターの弦を買いに行った山野楽器で、お目当ての品を見つけてその場で購入した。

 だが、いざ調弦して独学お稽古を始めたところ、これが思いの外難しい。先ずは胴がギターのボディーに比べ小さく四角形の為、非常に持ちにくく安定しない。そして難なく押さえられる筈だった「ツボ」を外してしまう。おまけにバチも、速弾きすると上手く弦を捉える事が出来ず空振りばかり。尚且つあまり強く叩くと皮が破けてしまいそうだ。

 完全に当てが外れてしまった私は、泣く泣く練習を断念して三味線をしまい込み、そのまま何年もその存在を忘れていた。

 そんな時、冒頭の太宰治の名前を見て、以上述べた通り、えらく回りくどい三段論法を展開した結果、我家に三味線が一竿ある事を思い出した次第である。

 折しも今日から10月を迎え、いよいよ秋本番。何をするにもいい季節の到来である。勿論美味しい物を味わう事も魅力的だが、今年は少し格調高く、三下がりの三味の音でも聞きながら、「芸術の秋」にしようか等と考え始めたところである。

      f:id:kaze_no_katami:20190928110601j:plain

クラウチ・バインド・セット

 過去二回に亘り、ラグビーワールドカップ2019に因んだ文章をここに投稿した。すると想像以上の反響があり、多くの方々から沢山の☆やブックマーク、そしてコメントを賜った。先ずはこの場を借りて御礼を申し上げたい。

 やはり、この事を見ても本大会への関心の高さが伺え、本来なら今日は更新する心算は全く無かったにも拘らず、日本代表ブレイブ・ブロッサムズが、強敵アイルランドに対し、何と19-12というスコアで勝ってしまい、未だに実感が沸かないまま、既に大量のビールにより酩酊した状況でこれを書いている。

 とにかく、今日の敵はつい先日まで世界ランキング1位のチームである。しかもこれ迄の対戦成績は9戦全敗。実際のところ、この試合は勝敗よりも如何にイイ戦いが出来るかだと考えていた。

 ところが大差をつけらると思った前半を、日本はノートライながら9-12という僅差で終えた。だが、それでも後半、攻め込まれるに違いないと思っていた。

 結果は皆様が御覧になった通りである。トライを奪い逆転、ゴールも成功し、幾ら地元開催と言っても、信じられない事に19-12のままでノーサイドを迎えた。4年前の南アフリカ戦も素晴らしい結果をもたらしたが、今日の試合はそれに匹敵するか、それ以上の勝利になった。

 もう少しアルコールを冷まし冷静になって書くべきかとも考えたが、この勢いは止められない。ありがとう、ブレイブ・ブロッサムズ。私は約束通り飲んだビールの量でアイルランドに対し頑張ったのだよ。

      f:id:kaze_no_katami:20190928193156j:plain