君去らず(神話の裏側2)

 引き続きヤマトタケル日本武尊)の話である。

 大和朝廷の命を受け東国平定に赴いたヤマトタケルは、前回述べた国造を滅ぼした後、三浦半島の東岸から対岸の上総へ船で渡ろうとした。そして穏やかな海の中程まで来た時、突然、大時化となり船は木の葉のように揺れ、前へ進めなくなってしまった。

 ヤマトタケルの妃オトタチバナヒメ弟橘媛)は、これを海神の怒りと察し、それを鎮める為、自ら荒れ狂う海へ入水。その際、「さねさし相模の小野に燃ゆる日の 火中に立ちて問いし君はも」(さがむの野で火に取り囲まれた時、声を掛けてくれた貴方)という歌を残した。

  妃のおかげで無事上総に上陸したヤマトタケルであったが、悲しみのあまりそこを立ち去る事が出来ない。そして妃の着物の袖が流れ着いた時、「君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」という歌を詠んだ。

 その為、後に君去らず=木更津、袖しが浦=袖ヶ浦と呼ぶように。また、やがて東北地方を平定したヤマトタケルは甲斐の国へ向かう途中、足柄山から振り返り「あづまはや」(ああ吾が妻よ)と叫び、それ以降、関東は東の国となった。

 なかなか出来た話だと思うが如何だろう。橘神社、吾妻神社は勿論、他にも道案内した鳥に与えた土地を鴻之台、利根川の川幅、九里八丁(約37km)が栗橋など色々いわれがある。

 千葉県民の貴女、そしてアクアラインを通ってゴルフ場へ行っている貴殿。知っていたかな? ちゃんとメモしておけよ(笑)。

       <参考文献:ふるさとのはなし3 昭和42年 さ・ら・え書房 発行>

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