Manifest der Kommunistischen Partei 

 人には「思い込み」というものがあって、なかなか上書きが効かないものである。私の知人の最初の思い込みは未だ幼稚園に行く前、家にあった電蓄で聞いた「東京のバスガール」という歌の歌詞を間違って覚えた事だったという。

 その歌詞は、

    若い希望も恋もある

    ビルの街から山の手へ

    紺の制服身に着けて

    私は東京のバスガール

    発車オーライ

    明るく明るく走るのよ

というもので、勿論幼児の彼は意味など全く理解していなかったが、終わりの部分だけ覚えてしまってよく歌っていたそうだ。

 だが、何故か「明るく」を「赤来る」と、今であれば志位委員長が泣いて喜ぶような間違いを犯し、その度訂正を受けながらも、決して最期まで日和って転向することは無かったらしい。

 先日、テレビの「徹子の部屋」という長寿番組にこの歌の歌手「初代コロンビアローズ」が出演していたらしく、もしそれが本当ならば多分相当な高齢と思われるが、元気なのだろうか。 

    f:id:kaze_no_katami:20180912015353j:plain

 おや、旗を間違えたようだ。何やら文章も画像も支離滅裂になってしまった。

尚、私はガスパールをバスガールと見間違い、長年に渡って筒井康隆の長編小説のタイトルを「朝のバスガール」と信じ込んでいた。

・・・と日記には書いておこう。

    今日、僕は偶然ミチコさんに会った。

    可哀そうに咳をしている。  

    風邪でのどを傷めたらしい。

    僕は龍角散トローチをあげて、

    親切にうちまで送っていった。

    うれしかった。

 

 これで止めたら完全に手抜きと言われそうなので、もう少し書く。

 遠い昔、私が髪の長い少女に恋焦がれていた頃、その子と雰囲気がよく似た村地弘美という美少女が、突然テレビのコマーシャルに現れた。

 彼女は雨の日、赤い傘をさし、何も言わずに軽く会釈して通り過ぎて行く。それを見送る「僕」は、冒頭のように一人妄想を膨らませ最後にこう叫ぶ。

   「と、日記には書いておこう」

 まるであの頃の私自身みたいに。

               f:id:kaze_no_katami:20180907114625j:plain

 

かなりユニークな店

 昨日、久しぶりにとっておきのレストランへ行った。

f:id:kaze_no_katami:20180902145421j:plain

 青山にある、と言っても人生至る処にある青山とは違う南青山のかなユニークな店「カナユニ」だ。

 アラカルトで料理を選び、この二か月余り控えていたワインで頂く。店内には心地よいラテンを奏でる生演奏も流れる。

 至福の時間に多くの言葉はいらない。これだから生きているって素晴らしい。

 

 尚、この店については別のブログに詳しく書いたので、興味のある方はご参照願いたい。

kaze-no-katami.hatenablog.jp


Last night I had the strangest dream

 随分前、ここで夢について書いた事がある。その時、私は夢に興味があること、またその分析を試みたこと等を述べたが、今回は生データのみを記す。

 多分、本日未明、以下のような夢を見た。尚、実在する人物や組織が登場するが、内容について全く心当たりが無く、それらに対し一切の私情が無いことを断言する。

 

 私は山口県にある野球場でヤクルト対不明な球団の試合を見に来ていた。その試合はNHKのテレビ中継があり、小郷知子アナウンサーが実況を担当していた。

 試合が終わると私は彼女と会話を交わし、彼女がナイターの為、もう東京へは戻れず泊る所が無いと困っている事を知った。

 私は可哀そうになり、自分の車に彼女を乗せ福岡県にある父親の実家に連れて行き、布団を敷き浴衣を用意した。そこへ父親が現れ厳しく叱咤されていたが、彼女は全く気にせず、さっさと着替えて倒れこむように熟睡してしまった。

 私と父親との口論は収まらず、一晩中、日本橋の三井本館や三越の中をうろうろしていた。

 父親が「そんな試合が本当にあったのか」と聞くのでiPhoneで検索し、フジテレビで中継していたのを発見、父親に見せた。

 父親は、フジテレビはヤクザばかりで思想もおかしいと言い出し、私は多かれ少なかれ日本のマスコミにはヤクザもいれば思想もバイアスがかかっていると言い返した。

 その時、ツイッターを見ると私の名を騙った大勢が、小郷アナの裸の合成写真を次々アップし始め、何か対策をと考えていると、父親が歩き疲れたので何処かでビールを飲もうと言い出し、心当たりの幾つかの店に案内したがどれも気に入って貰えない。

 そういえば、小郷アナを送っていかねばならないのでビールを飲んでいる場合では無いと考え、今度は母親の実家に帰ってみると、彼女は服も化粧もきっちり済ませ私の車に金属製のバッグを積み込んでいた。

 彼女を福岡空港まで送らねばならないと思ったが、全く道が分からず困ってしまった。

 

 以上が虚構を排したおかしな夢である。

          f:id:kaze_no_katami:20180826215302j:plain

村上春樹が見た風景

 さて、今回も思いっきり大それたタイトルだ。

 今年の猛暑、外出時には帽子の着用が欠かせない。このところ私はNとYを重ねたロゴタイプの野球帽をかぶることが多く、顔見知りの人達からはニューヨーク・ヤンキーズのファンかと尋ねられることもよくある。

 しかし、私はヤンキーズに対し特別な思い入れは無く、NYは単に自分の氏名の頭文字(イニシャル)のつもりなのだ。

 野球と言えば、何と言ってもヤクルト・スワローズと相場は決っているが(決っていない!)、昔の神宮球場は、ビジター球団の応援の方が多く一塁側指定内野席はガラ空き、ある程度時間が経てば、空いているバックネット裏に移動しても全く問題がない状況だった。

 それでも昭和53年、陰湿そうな広岡達朗監督のもと、遂にリーグ優勝、更には日本シリーズ優勝も果たす。

 私はこの年3Aから移籍してきたデイブ・ヒルトン内野手のファンで、シーズン中は何度も球場に足を運んだが、開幕戦はテレビで見ていた。

 一回裏、一番打者ヒルトンはピート・ローズのようなクラウチングフォームから左中間に二塁打を放ち、デビュー戦を華々しく飾る。

 随分後になって、私はこの光景を球場の外野席で見ていた男の事を知った。彼はこのヒットがきっかけで小説を書くことを思いたったと言う。

 そして、その作品はこう名付けられた・・・「風の歌を聴け

          f:id:kaze_no_katami:20180823221618j:plain

ミスターバーテンダーの肖像

 一口に酒場と言っても多種多様な店があるが、私にとって「バー」とはどこか大人びて異邦の香り漂う洒落た感じのする言葉だ。

 カウンターに幾らかを積んでおくと、バーテンダーがそこから一杯分ずつ差っ引いてゆき、彼がカウンターを二度叩くとそれは店からの奢りだと言う。

 私は残念ながら上述のような経験は無いが、縁あって銀座のある店で本当のミスターバーテンダーの知遇を得ることが出来た。

  カウンター席に座って話を聞くと、戦後、東京會舘に勤め進駐軍相手に酒を出していたことに始まるという。私はそのような昔ばなしを聞くのが大好きで、その後何度もその店を訪ねることとなった。

 いつも笑顔を絶やさず温厚な口調で淡々としていたが、弟子らしき若い女性が作ったカクテルを一口味見し、首を横に振って全部捨てさせているのを見た事もある。

 ある日、調査の為EU4ヶ国を廻ったメンバーで会食があり、渡航中私は散々お世話になったので、二次会としてこの店に案内した。

 ここはミスターバーテンダーがいるので何でもお好みのカクテルが飲めると言うと、一人が調査の合間に立ち寄ったニースの海岸みたいなのがいいと言うので、私が勝手に「コートダジュール」とオーダーしたところ、見事に碧いカクテルが出てきた。

f:id:kaze_no_katami:20180820171610j:plain

  その後、しばらく行かなかったところ、2010年2月のある朝、勤務先でネットのニュースをチェック中、以下の記事に目が釘付けとなった。

山本浩司氏死去(日本バーテンダー協会顧問)(時事通信

 山本 浩司氏(やまもと・ひろし=日本バーテンダー協会顧問)22日午前3時23分、胸部大動脈りゅう破裂のため千葉県浦安市の病院で死去、83歳。東京都出身。葬儀は25日午前11時から千葉県市川市富浜2の1の23のライフケア妙典で。喪主は妻節子(せつこ)さん。
 戦後のバー文化の発展に貢献、2000年に「ミスターバーテンダー」を受賞した。 

 

八月十五日に想う

 今日八月十五日は言わずもがな「終戦の日」または「終戦記念日」、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」である。

 この日になると、何時ものように終戦はおかしい、敗戦と言うべきだとの主張や、自虐史観靖国参拝、果ては憲法改正などの論議を耳にする。

 そういった論旨には、必ずイデオロギーが絡んできて全く不毛な論争となる事が多く、また純粋に言葉としてポツダム宣言受諾からワシントン平和条約発効までを時系列的に捉え、分析する論評も存在するが、正解は見出せない。

 私は右・左の区別なく、持論を声高に主張出来る人を羨ましいとは思わないし、かえってそのような姿勢に違和感すら覚える。

 靖国について一方では「英霊」と言い、他方は「諸外国の反応」との言葉を用いるが、英霊の御霊を慰めるとはあまりに御霊信仰的で、諸外国の反応の諸外国とは、中国と韓国だけであったりもする。

 ただ、軍人、軍属230万人、一般人80万人、合計310万人と言われる犠牲者の物語の終わりと、それにより自分の物語を書き換えざるを得なかった人達に静かに思いを寄せる。

 そんな一日が一年に一度くらいあってもいいのではないだろうか。

      f:id:kaze_no_katami:20180815162139j:plain