白銀は招くよ

 初めてスキーに行ったのは社会人になってからだった。それも自ら望んだ訳ではなく、会社の先輩達から無理やり誘われ仕方なく行った次第だ。

 何故、それ迄スキーをした事が無かったかと言えば、ずっと水泳を続けていた為で、冬は陸上トレーニングか温水プールで泳いでいたからである。

 従って、スキーに限らず所謂ウインタースポーツの類は一切経験が無く、丹下健三が設計した代々木の室内競技場が、冬場はスケートリンクになり、同世代の男女がスケート靴を持って正面玄関から入っているの眺めながら、寂しく競泳用水着を持って細々と横にある練習用プールの入口を入って行ったのだ。

 それは兎も角、私は強制的に購入させらたスキーウエアだけ用意して、夜行バスに揺られ長野県のスキー場にやって来た。板とブーツはレンンタル。

 朝からボーゲンの特訓を受け、昼頃にはなんとか緩斜面を滑る事が出来るようになったが、一人で滑っていたところ大ゴケをしてビンディングがずれ、ブーツが入らなくなってしまった。

 それでも一応常識ある人間として、邪魔になってはいけないと考え、板を担ぎゲレンデ脇を歩いて降りた。しかしそこは新雪のままで太股まで雪に埋まり、完全に体力を使い果たして、そのツアーはそこで終わった。

 初体験で散々な目に会いながら、しかし何故か私は諦めなかった。それから1か月後、今度は樹氷が有名な山形蔵王へ行ったのだ。そして翌年もその次もシーズン中は何度かゲレンデに立ち、徐々にスキルもアップして行った。

 やがて気がつけば、いつしか会社でスキー部を作り、会員を募って年に1度ツアーをセット、初心者の面倒を見つつ、個人的には上越、信州、北海道と足を延ばした。

 さて、私は何故そこまでスキーが好きになってしまったのだろうか。

 恐らくスキーというスポーツは若干道具を身に着けるものの、何ら動力に頼らず生身で出せる最高速度を体験出来ると考えられる。

 速度は速くなればなるほど、一歩間違えれば死に至るという危険性を伴う。そして死に近づく事は、ある種の恍惚感を呼び覚ます。それが根っからのスピード狂人間に合致したのだ。

 そう、私は自分の技量だけを頼りに、死と隣り合わせの危険な滑降をしているのだ。勿論、私はW杯の選手のようなスピードは出せない。そんな事をしたら本当に死んでしまう。それでも足の脛にブーツが食い込むような、そんな感覚とともに前へ前へと体重をかけてゆく。

 これで急斜面に突っ込んで行くのだ。斜度がきつくなればなるほど腰が引けないよう前傾が必要になる。それはかなりの恐怖感を伴う。そうやって私は長年に渡り怪我も無く、幾つもの斜面を駆け下りてきた。 

 季節はまさにスキーシーズン。私はその後、腰を痛め、残念な事にスキーが出来る状態では無くなった。エッジを磨き、ワックスを塗り、シーズン到来を待っていたあの頃が、今は無性に懐かしく思えてならない。

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カリフォルニア・ロケット燃料

 今回のタイトルは知る人ぞ知る、知らない人は勿論知らない、「カリフォルニア・ロケット燃料」。名前からして何とも勇ましいと言うか、元気が出そうな響きがあるではないか。

 しかしよく考えてみると、アメリカの主たるロケット発射場はケープ・カナベラルで、それはフロリダ州にある。加州にあるのは宇宙旅行用のモハーベや軍事関係のヴァンデンバーグ位だ。

 それではこのカリフォルニアで特別強力な燃料を製造しているのであろうか。答えは多分否である。ここで多分と断るのはそこまでトレース出来ないからだ。

 さて、もったいぶるのは止めて早々にこの言葉の正体を明かすと、宇宙とは恐らく全く何の関係も無い、ある疾病に有効かも知れない薬の組み合わせを指している。

 これ以上書くと何やら自分の個人情報を切り売りするようで、抵抗が無い訳ではないが、まあ特段隠す必要も無いので続ける事とする。

 かって私は不幸な事に、酷く気分が落ち込み、何もしたくなくなるという状態が暫く続いた。これは生まれて初めての体験で、舞台俳優でも無いのに突然奈落の底に落ちたような気分だった。夜は眠れず気持ちばかりが焦る。

 それでも、このような悲惨な日々を放置しておく訳にもいかず、私は殆ど躊躇せずに、これも初めて精神科に特化した病院に向かったのだ。この辺の思い切りの良さは、先ず私は自分の脳内で一体何が起きているのか、それを探求したい欲求と、辛うじて残っていた僅かばかりの気力のお陰である。

 はたして病院に到着し手続き終了後座って待っていると、奥の方から泣き叫びながら飛び出して来た若い女性と、それを追う母親らしき二人が目の前を駆け抜けた。それを見て私は、「遂に来る所迄来たな」と覚悟を決めた。

 その後は問診やDSMというマークセンス・テストみたいなものを受け、その結果下された判断は「中度のうつ」。そして抗うつ剤睡眠薬の処方。

 それからというもの、とにかく私はうつ病に関する図書を読み漁った。中にはテレビ等に出演している自称臨床医の女性が書いたとんでもない内容の著作物もあったし、友人の奥方からは「ツレうつ」なる漫画本も送られて来た。

 情報収集した結果、取敢えず私が達した結論は、服用している抗うつ剤が古い事とその処方量が少な過ぎるのではないかという推論だった。

 更にネットで米国の資料などをチェックし、そして私は遂に見つけた。「カリフォルニア・ロケット燃料(California Rocket  Fuel)」。これは当時新薬であったSNRIとNaSSAの組み合わせで、最強のうつ病攻撃ロケットである。私は医者を説き伏せ、自ら処方箋を作成し自分の要求を叶え服用した。

 しかし、全ては徒労に終わり、その後、かれこれ2年近く様々な薬を飲み続けたが全く改善されず、他には頭に電気を流すショック療法も考えたりしたものの、一時しのぎで再発しやすいとの事で止めた。

 そこで今度は、全ての治療を止める事に決め、転院して徐々に投薬を減らし、約半年後には完全に薬が抜けた状態となった。そして気が付けば気分も改善されていた。

 ここで一つだけ詳らかにしたい事実がある。それは心療内科と謳っている病院又はクリニックは非常に多いが、これは別に精神科専門医ではない単なる内科医でも開業出来るという事である。

 そもそも日本精神分析学会長はあの「帰ってきたヨッパライ」の北山修氏だった。しかし彼にしても、盟友加藤和彦自死を止める事は出来なかったではないか。

 世の中にうつ病で悩み、辛い毎日を送っている人は相当数に上り、残念な事に自ら大切な命を絶つ人も減少はしていない。私などが偉そうな事を言える立場ではないが、唯一言、生き続けて貰いたい。そして出来れば一緒にロケットに乗って宇宙とやらに行って見ようではないか。

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冬の花火

 其の人は類稀なる美貌の持ち主で、そして花火が好きだった。勿論、他にも好きな事は沢山あった。映画、美術展、読書、ハイキング、日本酒等々。しかし、その中でとりわけ花火を見る事にかけては、殆ど貪欲と言える程の情熱を持っていた。

 何処から情報を仕入れて来るのかは判らなかったが、其の人はいつも花火大会の予定を私に告げた。その時の瞳はまるで少女のように輝いて見えた。そう、彼女もかっては少女だった筈だ。

 幸いな事に大きな花火大会は休日に行われるので、私は言われるままに予定を合わせ、一緒に出掛けて行った。

 或る時は車で渋滞する高速道路を走り、また或る時は混みあった省線に揺られて目的地へ向かった。そして帰路、彼女は充分満足したように私の傍らで眠っていた。

 花火大会は夏場の催しと思っていたところ、そうではない事を私は彼女から教えられた。それはとてもありきたりの温泉地で行われているとの事だった。私はまた車のエンジンを起動し、熱海へ向かった。

  闇の中、うっすらと遠くに初島の影を望む海辺の部屋で、食事を摂り、灯りを消し、窓を開け放ち、何かが訪れるのを腰をかけ、待った。

 そして遂に、シュルシュルと火球が光跡を残して夜空を駆け上り炸裂、かって目にした事がない鮮やさで大輪の花が開き、僅かに遅れて音が鳴る。すると冷たく冴え亘った冬の空気がピリピリと少し振動した。

 「もっとこっちに来て」彼女が言った。その大きな瞳に花火が映って見えた。その時私は其の人を一生離さないと思った。

  思い出は止めどなく流れる泪のように脳裏を駆け巡る。何故、彼女はそんなに花火が好きだったのだろう。

  あの時の優しい温もりもそして心も、今はもう全て遠い昔の話。

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舐めたらいかんぜよ

 前回、「ノーテンパー」について書いたところ、そんな言葉は聞いた事が無いという方がおり、年代の違いか地域性の問題か、何れにせよ題材としてあまり普遍性が無かったのだと反省した。

 そこで次は何を書いたらいいのか考えてみたが、また同じ過ちを繰り返すのではないかと不安になるばかりで、一向にアイデアが浮かばない。

 しかし、いくらネタが思いつかないと言っても、何を書いてもいい訳では無い。少なくとも書いていい事と悪い事ぐらいはある。そんな事は百も承知。美辞麗句とまでは言わないが、最低限、品位、品格位は保っていたい。

 この品格という物は、普段の会話の場でも非常に重要な事であり、ついつい氾濫するSNS用語などを安易に使用しては、かえってキモイとか言われる可能性があるので、注意したいものである。

 さて、上述とはあまり関連性は無いが、かって私が経験した環境に於いては、今で言うところのセクハラ、パワハラは何の疑いも無く存在しており、流石に目を覆いたくなるような事も平然と行われていた。

 勿論それらは許される事ではない。その中で私が閉口したのは所謂猥談。これを事あるごとに喋りまくる手合が至る所に存在し、全く始末に負えないのである。どのような話か具体例を挙げたいが、憚れる内容なので想像にお任せするしか無い。

 それについてある時、一つの見解に似た話をする者がいた。曰く、

 勤め人同志、気心の知れた内輪で飲んでいる分にはいいが、客先やまた偶然飲み屋で知り合った見も知らない他人と会話する事がある。その際、話題として避けるべきは、先ず政治。そして宗教、更に贔屓のプロ野球球団。この3件は罷り間違えば取り返しのつかない修羅場を迎える可能性がある。結局、喧嘩にならない話題は下ネタという事に落ち着くのだ。

 しかし、と私は思った。いい歳をした紳士が話す事ではないだろう。それではまるで農協の団体さんと同じではないか。(済みません、JAを敵に回す心算は毛頭ありません)

 議論を重ねた結果、漸く妥協点を見出した。食べ物の話題がそれに変わることが出来るという結論である。それも、某タイヤメーカが格付けする世界各地の高級料理店ばかり話されたら辟易とするが、所謂B級グルメの店の紹介合戦なら誰でも参加出来るし、第一罪が無い。

 これをもって暫く安心していたところ或る時、私は久々に下ネタを聞き、その卓越した着眼点に目を見張った。

「舐めたらあかんぜよ、と言うのは嘘。本当は、舐めたらイクぜよ」

                                失礼しました。

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How about tonight?

 いきなりで恐縮だが、昔ノーテンパーという言葉があった(ノーパンxxxでは無い)。何故かは判らないが最近はめっきり聞かなくなった。勿論何れもあまりいい言葉では無いのでその事は構わない。

 ただ以前、誰かがこの言葉を使った瞬間、不思議な事に私は敏感にそれに反応し、その語源に疑問を持つに至った。と言うか突然灰色の脳細胞に何かが閃いたのだ。

 恐らくこれは脳天パーと解するのが普通だろう。脳天とはそのまま頭のてっぺんの事で、パーはクルクルパーの略。至極ご尤もで分かり易い。

 しかし私はこう考えた。ノーテンパーという言葉は元来日本語では無く、しかも古くからある言葉でも無い。発生したのは太平洋戦争終了後、日本に進駐して来たアメリカ人が、愚かな行為をした日本人に No Temper と言った事が始まりではないのか。

 temper は気質とか気性という意味であり、これが no なのだから、気質が無い、即ち馬鹿者という意味のスラング。実に的を得た推論である、と思う。

 これを証明する為、早速調べてみた。しかし何処をどう探してもそれらしきエビデンスは見つからない。仕方が無いので更に考えた、元は no talent なのだ、即ち脳足りん。

 この言葉を日本人がアレンジをしてノーテンパーという造語が生まれた。と更なる持論を展開し、ある時恐る恐るアメリカ人にそれを訊ねてみたが、あっさりノータレントはそのような意味では使わないとの事。私は日本語研究上の大発見を否定されて、金田一先生に泣きつくしか無いと考えたが、氏は既に鬼籍の住民となっていた。

 本件について私はまだ諦め切れずにいる。しかし言葉自体が死語となっては、それ以上追求する意味も薄れてしまった。出来る事なら誰か跡を継ぎ、更なる研究をして貰いたいものである。

 その後ある時、親しく取引をしていた地方の経営者から次のような質問を受けた「昔パン助進駐軍に幅幅(ハバハバ)・トゥナイトと言いよった。どげんか意味ね」

 すっかりその時代に精通している気分になっていた私は、即座に答えた。「多分How about tonight(今晩どげんね) という事でしょう」

 さすがに今はなき数寄屋橋で真知子巻きをしていた女性達の事は知らないが、そうやって私は、いつも何の役にも立たず詰まらない事ばかり考えているのだ。

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老醜か老成か、それが問題だ

 今回のテーマは誰もが避けて通れない「老い」、何やら嫌な予感がする。だったらテーマにしなければいいのだが、折角思い付いたので何処迄書けるか火中の栗を拾う心算で開始。

 人は皆歳を取れば多かれ少なかれ醜くなっていく。それは自然の摂理と言うものだ。具体的には年齢と共に皮膚はたるみ、色艶が無くなり、皺が増え、髪は白く、運が悪ければ抜け落ちてしまう。その他にも見た目の劣化は数え切れない。

 私自身は年齢的に決して若いとは言い難いが、それでも老いさらばえたとは全く思っていない。まあ思うのは勝手なので実態と異なっている場合もあるにせよ、自分でそう思っている以上これは間違いない筈だ。 

 とは言え、街を歩けば若くて異常に足の長い、所謂イケメンの若者が闊歩しており、確かに格好は良く、また洗練されているかのようにも見える。多分、彼等自身もそう自負しているのかも知れない、そう感じる事がある。

 しかし世に中には老成という言葉もある通り、若輩者には到底到達出来ない、ある種の碩師名人のような域に達した人間が存在する。

 それは幾らファッション誌と同じ装いをしたところで、俄かに手に入れる事は不可能。最早うわべのルックスで勝負する次元では無く、心魂の奥深くから湧き出る、もしかしたらイデアと呼ぶ事が出来るかも知れない何かであろう。尚、この何とかは決して加齢臭の事を言っているのでは無いので、念の為。

 さて、例えばかって私が読書に目覚めた頃、夏目漱石なる人物の著作物を読み、非常に感動し改めて著者の写真を見ると、中々知的且つ物憂げな表情が如何にも苦悩する文士然としていると思ったものだ。

 一方それに引き換え同時代の文豪、森鴎外は、海外留学に於いて漱石が倫敦で神経衰弱に陥ったのに対し、己は伯林にあって、彼の地の少女を誑かし、彼女が日本迄追いかけて来たにも拘わらず、これを見捨てた。また生業である陸軍の軍医総監としては、軍糧の白米に拘り、日露戦争将兵25万人に脚気を罹患させ、その内の一割以上を死に至らしめた。

 そしてその鴎外の写真を見ると、自ずと人間性が見て取れると思うのは私だけだろうか。尚、鴎外ファンを敵に回す心算は毛頭無い。

 だが、私はここである事実に突き当たる。かって自分より遥かに年長と思っていた漱石の享年が49歳、鴎外は60歳。たとえ明治時代であっても、この年齢では早過ぎるし、既に私は漱石より歳を取っている。

 「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言ったのはエイブラハム・リンカーン。深く刻み込まれた皺の一本一本は、あたかも数え切れない風雪に耐え抜いた老木の年輪のようにも見える。それをいとも簡単に醜いと称する事は容易ではないだろう。因みにこの偉大な米国大統領は劇場で射殺された時56歳だった。

 とすると、還暦を超えてなおアンチエイジング等をして体裁を繕い、見てくれだけ若さを維持する事に何の意味があるのだろうか。人がそれを老醜と呼ぼうが、自身では老成と信じる勇気が必要ではないだろうか。

 ここ迄書いて矢張り当初の予感通り、私は後悔し始めた。上手く結論に行き着かないのだ。しかし、折角書いたので続きはまた何れ後日。という事に。

 

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幻の牡丹鍋

 ついこのあいだ正月だと思っていたら早くも如月。年々速くなる月日の流れが恨めしい今日この頃。

 ところで今更ではあるが、今年の干支はしんがりの猪。十二支で一番最後になったのは、みんなで駆けっこをしたら、猪突猛進の言葉の通り圧倒的にトップであったのにも拘わらず、停止位置で止まれずに大幅に行き過ぎ、それを戻って来る間にビリになったからだと言う。

 猪突猛進と言えば源平合戦の大ヒーロー、源義経鵯越の逆落としで一の谷の合戦に勝利し、その勢いをかって悪天候をおし四国の屋島へ向かおうとした時、兄の頼朝から派遣されたお目付け役梶原景時が、それを諫めようと「闇雲に進むのは猪武者」という言葉を使った話を、小学生の頃読んだ記憶がある。その頃はけしからんと思ったが、今では至極真面な具申と考える。

 最近、猪が人里まで下りてきて農作物のみならず、人間まで襲うニュースをよく目にするようになったが、幸いな事に私の生活圏内での目撃情報は皆無だ。

 さて、いつものように遠回りをしながら、これからが本題。

 かって私は夏になると休暇を取って学生時代の友人と観光旅行に出かけていた。勿論行った事のない所で、見た事の無い風景を眺める事が目的であったが、当然美味しい物を食べるのも忘れてはいない。

 今のようにネットで様々な情報を得られる時代ではなく、旅行会社のパンフやガイドブックだけを頼りに行く先を決めていたが、いつの間にか食べ物目当てに探すようになっていた。

 或る時、食べた事の無い物の話をしていると、ふと「猪」の名前が出てきた。基本的に野生の動物であるから、そこいらのスーパーでは売っていない。しかし我々がいつも食べている豚の原型であり、猟師が鉄砲で仕留め大きな鍋で野菜と一緒にグツグツやっているのをテレビで見た事はある。食べられない筈はない。しかも豚汁などよりは遥かに美味しそうだ。

 そうやって出掛けたのである。行先は長野県、山があれば猪もいる。風光明媚な上高地観光と松本で猪鍋。完璧な計画の筈だった。

 さて現地へ到着、釜トンネルという手掘りの隧道を抜けるとそこはもう別世界。本当にここへ来てよかったという気持になった。この分では猪の方も期待が持てそうである。否が応でも胸は膨らむ。

 松本市内ではモノトーンが美しい松本城を見て、ガイドブックを頼りにいよいよお目当ての店へ向かう。ところが・・・。

 何と! 休みだ! 店の電話番号も定休日も分からなかった為、事前に確認していないので仕方が無い。

 それでも諦め切れず第二、第三候補を回る。そして漸くそれらしき店に入った。席に案内され先ずビールを注文し品書きを見る。しかし何処にも「猪」の文字は見当たらない。

 これは一体どうした事か。恐る恐る店の者に訊ねるとあっさり「夏場はやってないよ」の一言。友人と顔を見合わせ唯茫然とするしか無かった。

 それから随分時が流れ、その間に鹿、熊、鰐等の肉を食べる機会を得たが、何故か猪へのパトスは薄れて、未だにこれを食してはいない。最近はジビエ・ブームという話も聞く。干支に因んでこの冬あたり食べに行ってみようか?

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