其の人は類稀なる美貌の持ち主で、そして花火が好きだった。勿論、他にも好きな事は沢山あった。映画、美術展、読書、ハイキング、日本酒等々。しかし、その中でとりわけ花火を見る事にかけては、殆ど貪欲と言える程の情熱を持っていた。
何処から情報を仕入れて来るのかは判らなかったが、其の人はいつも花火大会の予定を私に告げた。その時の瞳はまるで少女のように輝いて見えた。そう、彼女もかっては少女だった筈だ。
幸いな事に大きな花火大会は休日に行われるので、私は言われるままに予定を合わせ、一緒に出掛けて行った。
或る時は車で渋滞する高速道路を走り、また或る時は混みあった省線に揺られて目的地へ向かった。そして帰路、彼女は充分満足したように私の傍らで眠っていた。
花火大会は夏場の催しと思っていたところ、そうではない事を私は彼女から教えられた。それはとてもありきたりの温泉地で行われているとの事だった。私はまた車のエンジンを起動し、熱海へ向かった。
闇の中、うっすらと遠くに初島の影を望む海辺の部屋で、食事を摂り、灯りを消し、窓を開け放ち、何かが訪れるのを腰をかけ、待った。
そして遂に、シュルシュルと火球が光跡を残して夜空を駆け上り炸裂、かって目にした事がない鮮やさで大輪の花が開き、僅かに遅れて音が鳴る。すると冷たく冴え亘った冬の空気がピリピリと少し振動した。
「もっとこっちに来て」彼女が言った。その大きな瞳に花火が映って見えた。その時私は其の人を一生離さないと思った。
思い出は止めどなく流れる泪のように脳裏を駆け巡る。何故、彼女はそんなに花火が好きだったのだろう。
あの時の優しい温もりもそして心も、今はもう全て遠い昔の話。