年末寒波到来

 11月になっても全国的に暖かな日和りが続き、汗を拭きながら中々色づかない街を歩く人の姿が散見された。

 我家では衣替えのタイミングを逸し、大掃除が始まるこの時期、夏物、冬物が部屋中に散乱したまま収拾がつかない。

 ここに来て、漸くというか遂にというか、天気予報は年末、今シーズン最大級の寒波の到来を告げた。

 毎年の事とは言え、冬型の気圧配置はその程度如何によっては甚大な被害をもたらす事があり、願わくば何事も無く通り過ぎて貰いたいものである。

 という訳でもないが昨年末、私が別のブログに投稿した文章を思い出したので、ここに再掲してみたい。

 

           「留萌の思い出」2017年12月28日

 2017年もいよいよ年の瀬。今月に入って「この冬一番の寒さ」とメディアが報じる日が続き、ここに来て強力な冬型の気圧配置、所謂「爆弾低気圧」が北日本から日本海側を覆った。

 その中で、留萌港の灯台が殆ど跡形もなく破壊されるというニュースが目を引いた。「積丹半島以北は11月を過ぎると日本ではなくなる」と聞いた事はあるが、それだけ自然条件が厳しいという意味だろう。テレビで地元の人が「灯台がもげた。」と言っていた。余程激しい風と波浪があったに違い無い。

 かれこれ数十年前の夏、私は留萌を初めて訪問した。主たる目的は港湾施設の見学と関係各所への挨拶で、現地の人達は20代の無知な若僧を歓待してくれた。

 その時、北海道は記録的な猛暑、タクシーを含め一般車の殆どが冷房を装備していない状況に閉口しながら、スケジュールを消化していった。

 留萌港の入り口付近の岩場には、座礁した石炭専用内航船の錆びた残骸があり、波に洗われている哀れな姿が印象に残った。

 北海道の日没は早い。夕食は由緒ありそうな古い料亭に案内されたが、座敷に入って驚いた。昼間会った人とそうではない人、合わせて十数名が拍手をもって迎えてくれたのだ。

 私は深々と頭を下げ、勧められるままに上座に座り、長老の挨拶の後、慣れない感謝の言葉を述べ宴会は始まった。後から聞いた話だが、ご当地では遠来の客が来ると、大勢が集まって宴席を設けるのが習わしだったそうだ。もしかしたら海事関係だけかも知れないが。

 宴は進み、いよいよメインの登場である。「蛸しゃぶ」だった。大きな銅鍋に日本酒をたっぷり注ぎ、温まったところでぬめりを取ったスライスの生蛸をしゃぶしゃぶし、紅葉おろしのポン酢で頂く。私は勿論初めての経験で、味はともかく物珍しさで結構食したが、その頃には部屋中、酒の匂いが漂っていた。

 ようやく宴会が終了し、年配の方々が帰るのを見送っていると、残った船舶代理店の人達から「ちょっとキャバレーに行きましょう。」と誘われた。私はてっきり風俗店だと低俗な発想をして、必死に固辞したが結局行く事になった。ところが着いてみれば、これがまた古い建物で、中に入ると広いダンスホールのある所謂昔のグランドキャバレーだった。

私はひとまず安心したが、それから先の事は殆ど覚えていない。唯一つ、留萌港では水先案内人(パイロット)は代々青函連絡船の船長OBが務めて来たが、最近はなり手がいないと嘆いていたのが妙に記憶に残っている。確かに冬場、荒天の時、小さな通船からジャコップ(縄梯子)で外航船に乗船するのは危険だし、特に温暖な地域の暮らしに慣れた、ある程度地位のある人が、敢えて留萌まで移り住む事は考え辛い。この問題は現在解決したのだろうか。翌日、私は次の目的地、小樽へ移動した。

 その後、10年程して私は再び留萌を訪問した。その時も大勢で歓待して貰ったが、さすがにあのグランドキャバレーは閉店したようだった。更に時を経て、留萌港が関係する商談が決定した際、現地と連絡を取った若い担当が、先方が私の名前を知っていると驚いて報告に来た。

 以上が「灯台がもげた」というニュースで思い出した事を書いたものである。

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                      (引き上げられた留萌灯台