暖房には太平洋炭を

 クリスマス・ホリデーを迎え、めっきり寒くなって来た。流石に部屋の暖房が欠かせない。(尚、本日がクリスマス・ホリデーではなく、今上天皇陛下の誕生日である事は重々承知しております)

 暖房と言えば私はある宣伝文句を思い出す、「暖房には太平洋炭を」。北海道の地方都市郊外にあった朽ち果てた廃屋、その柱にこの言葉を書いた広告版が貼ってあった。それはあの有名な美空ひばりの「蚊取り線香」や水原弘の「ハイアース」の看板同様、ホーローで仕上ており、時を経て同じように錆びていた。

 ところで、ここに書かれた「太平洋炭」とは一体何の事なのか。「備長炭」と似たような物なのだろうか。山ではなく海で炭焼きを行う事などあるのだろうか。そう思う人も中にはいるかも知れない。

 1920年(大正9年)三井鉱山釧路鉱業所を引き継ぎ、太平洋炭礦株式会社が設立された。ここで炭礦に「礦」を用いたのは金属鉱山との差別化を図る為であったと推測される。

 このまま太平洋炭礦の沿革や言葉の由来を書き続けるときりがないので、興味がある方はウィキペディア等をあたって頂きたいが、要は「太平洋炭」とはこの炭鉱で生産される石炭の事を指す。

 さてこの炭鉱(炭礦)。言葉は多分誰でも知っているだろう。文字通り石炭を掘り出す(これを生産という)鉱山である。とは言え、その製品である石炭そのものを見た事がある人は、最早それ程多くはないと思う。

 以前から化石燃料はNOx、SOx、CO2等を排出する悪玉として、過去の輝かしい栄光は葬られ、実に哀れな存在になってしまったが、その中でも石油に比べハンドリングの悪い石炭は、早くから見捨てられてしまった。

 私は別に炭鉱会社の社員でも地質学者でもなく、石炭に対し特別思い入れがある訳でもないが、何故か不思議な縁のようなものがある。

 その最たる例が何と炭鉱の中に入る、いわゆる入坑。しかもそれは一度や二度ではなく、三度も経験したのだ。

 その内訳は福岡県大牟田市にあった三井鉱山三池炭鉱が一回、北海道釧路市の太平洋炭鉱が二度。

 もとより自ら望んで行った訳ではないし、それどころか当時は、出来れば避けて通りたいと考えたりもしたが、今となっては得難い体験だったと思っている。

 どちらの炭鉱も、地底奥深くにある作業現場まで行くには。かなりの時間を要する。その事からも、地表近くから掘り下げて行くだけの、いわゆる露天掘りの豪州に勝てるはずない事は、容易に理解出来た。

 因みに三池は、先ずエレベーターで500m降下、その後トロッコ、マンベルト(人用のベルトコンベヤー)を乗り継ぎ、切羽(採掘している最先端)まで2時間。考えてみれば8時間労働の内、往復4時間に休憩1時間、実働3時間である。

 また釧路に於いても、やはり人車と呼ばれる客車の形をしたトロッコやコンベヤーで片道約40分を要した。

 そのような場所から生産された石炭は、主として製鉄所や発電所で使用されたが、ごく一部は一般産業や一般家庭向けに販売された。

 そしてその名残が「暖房には太平洋炭を」であったのだ。

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           (備長炭の上の太平洋炭=これは私が所有する本物です)