冬のかたみ

 食料品の買い出しは大抵近所のスーパーを利用している。歩いて行ける距離だが帰りの荷物の事を考え、いつも車を使う。

 開店時刻に合わせて行くのは駐車場やレジの混雑を避ける為で、決してお目当ての女性店員がいるからではない。

 朝一番なので当然駐車場は空いており、私はいつも同じ場所に車を止める。そこは出入口から一番近く、ここであれば雨の日も殆ど濡れずに済む。

 ある日、買い物を済ませ荷物を積もうとした時、何やら呼び掛ける声がした。その方向に目をやると、すぐ近くのベンチに老人が座っている。どうやら日向ぼっこをしているようだった。

 彼は私に「いい車だねえ」と言って、「車が命?」と続けた。私の車は取り立てていい車でもなく、国産の1,500ccである。

 私が笑みを浮かべながら右手を振ってそれを否定すると、「200万くらいするの?」と聞く。

 えっ、私の命は200万円か、と一瞬思ったが、相手は年寄りの事だし、仕方なく「いえ、もう少しします」と答えた。

 彼は少し驚いたように「300万?」と疑問を呈した。実は個人的趣味で純正エアロパーツ等を取り付けている為、300万円でも買えないのだが、面倒なのでウンウンと首を振り、その日の会話はそれで終わった。

 次に会った時、その老人は私の車を見て、「いい車だねえ、200万?」と同じ事を言った。それを聞き私は、彼があまり普通ではないと悟った。恐らく認知症みたいな状況なのだろう。

 それでも私はまた同じように対応し、ただ、あまり細かなところに拘るのは得策ではないと判断、価格は彼の査定通り200万円で手を打つ事とした。

 その後、彼と逢う度、全く同じシーンの繰り返しとなり、私もいいかげん鬱陶しくなってきたが、「明日は我が身」との想いと「どんな人に対してもきちんと相手をする」という、ある種の使命感のようなものが私を踏み止まらせた。

 時々こちらから「おはようございます」と声を掛けてみたが、その時彼は不機嫌そうに私を見るだけで、全く相手をして貰えず、少し寂しい気にもなった。

 そうしている内、ある日を境に、ぷっつりと彼の姿が見えなくなった。気温が下がって来たので外出を控えているのか、それとも症状が急に悪くなったのか。別段消息を知りたい訳ではないが、幾分気にはなる。

 やがて街はすっかり冬ざれて、私は相変わらず同じ場所に車を止めている。もしかしたら「いい車だねえ」という声を、またここで聞きたいと思っているのかも知れない。

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