断捨離 2

 そして私はついに部屋の片づけに着手、手始めに収納棚の扉を開いた。その中には此処へ転居して来た時から、一度も開封していない段ボール箱が幾つも積まれている。

 開封しない理由は唯一つ、日常生活に必要ないからだ。これさえ処分すれば、かなりのスペースを確保出来る。

 箱の中身は外に書かれた文字を見れば大体判る。もっともそれは当然の事、文字を書いたのは私自身なのだから。

 私はおもむろに「中学/ノート類」と書かれた箱のガムテープを剥がす。中にあったのは勉学とは全く関係の無い、思いつくまま書かれた詩や散文の類と、おびただしい数の書簡だった。

 今こうして雑文を書く下地は、その頃既に形成されていたのかも知れない。そんな事を考えながら片付けはそっちのけで、ついそれらを読み耽ってしまう。

 そして更に下の方を見る。すると、中学三年時の「週番ノート2」と表書された帳面が出てきた。週番ノートとは我々学級委員が、生徒会やホームルーム活動での議事録等を記録したもので、週替わりで当番を交代していた。

 ところが、そのノートを開くと「星の王子さま」の挿絵の模写と、作者であるサン・テグジュペリの詳しい年譜や小説の一部がびっしりと書かれている。

 書いたのは学級委員の相方であった女生徒で、彼女は当時テグジュペリをアントワーヌと呼び本気で心酔していた。

 とは言え、何故そこまで丁寧に、本来の目的とは全く関係の無い事柄を記載したのか、その真意のほどは不明である。

 結局、私はそのノートを梱包し、筆者である元相方に郵送した。彼女はテグジュペリに導かれたのか、その後、大学の仏文科へ進み、大手企業に就職、社内結婚を経て一女を設けた。その程度の経緯と現住所は年賀状で知っていた。

 一方、私は薄々気が付いていた。こんな事をしていては、片付けはいつまで経っても終わらない。

 世に断捨離という言葉がある。私は最初、舎利と勘違いをして仏教用語かと思ったが、然にあらず。これは不要な物を捨てる、或いは自分にとって大切な物を選ぶ、という『やましたひでこ』なる人物の登録商標で、昨今話題となっているようだ。

 人はともすれば流行に流され易い。確かに終活と称し身辺を整理して身軽になるのも良いかも知れない、しかし自分に合ったライフスタイルを貫く事もそれ以上に大切である。

 数日後、私はあのテグジュペリの年譜と同じ筆跡で書かれた葉書を受け取った。そこには整った文字で「週番ノート1」が現存している事、そして彼女が今もそれを所持している事が書かれてあった。

 離れ離れになった上巻と下巻が、半世紀近くの時を経て、再びあるべき姿に戻ったのだ。私はそう思い、妙に感慨深くその葉書を見つめていた。

 決断するにはそれ程時間を要しなかった。「消防用設備点検に惑わされる必要は無い、片づけは取り止め」

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