遠い日の夏休み (2/2)

 前回からの続き。

 

 お目当てのあんみつ屋は玉川通り沿いの、凡そあんみつとは無縁の洒落たビルの二階にあった。この沿線は数年前に開通した首都高三号の高架が空を覆い、今は真夏の日差しを遮っている。店に入るとすぐ僕等は窓際の席に案内された。  

 「来年の今頃は受験勉強で真っ青になっているかな。」何から切り出そうかと散々考えた割には、僕が選んだ話題はあまり面白くないものだったが、彼女は「何処を受けるの、大丈夫よ。」そう答えた。

 店内には駒沢大学の学生らしき男女が五人、どうやら連日報道されている金大中とかいう韓国人絡みの事件について話しているようだった。その中の女性一人が、やけに細長く茶色い巻紙のタバコを吸っているのが目に留まった。

 店員が注文を取りに来て彼女は勿論迷わず「あんみつ」を、僕は散々悩んだ挙句「コーラ・フロート」を頼んだ。僕には喫茶店に行ってコーヒーを飲む習慣が無かった。

 「まだ決めてないけど、国立は無理だし。」「どうして。」

 「数学が全然ダメ。物理も化学も。僕は数字や記号が出て来ると、それだけでもうゾッとしちゃう。」「でも、英語は出来るでしょう、それに現国や古典も。」

 「英語は好きだけど出来るって程じゃないよ。」「そう、でもこの間の英語のテスト、100点じゃなかったと悔しがってたって、ユッコさんから聞いたわ。」「そうかな、覚えてないけど。」

 彼女の声はまるで母親のように優しかった。しかし僕は口に出して言う程、大学受験を気にしていない。ただ少し同情を買おうと、気の弱い振りをしただけなのだ。

 『それにしても何かもっと楽しい話をしなくちゃ。でも楽しい話って一体何だろう』

 「あっ、金魚が跳ねた。」彼女は店内の中央にある、少し大きい水槽の波紋を指して、さもそれが大事件のように叫んだ。

 『普段なら』と僕は思う。『そんなどうでもいい事を騒ぎ立てたり、白々しい話を言う奴は嫌いだった筈だ。しかし今は違う。彼女が殊更驚いた時や、些細な事をくどくどと説明する時も、僕は何故か素直にそれを受け止める事が出来る。当然の事ながら、彼女は他の誰とも異なり、僕を優しい人間にしてくれる。彼女の存在があるというだけで僕の気持ちは落ち着き安らぐ。しかし、彼女はどうだろうか。彼女が僕に与えてくれるように、僕が彼女に与える物は何かあるのだろうか』

 これらはすべて僕の恋するが故の、相手に対する盲目と過大評価が成せる業だった。

 「私ね、本当は高校の間ずっと、こんな風に男の子と二人っきりで話すなんて、絶対無いと思っていたの。」あんみつを食べながら彼女はそう言った。「学校で男の子達がたむろしていると、何だか怖いの。一人一人はそうでもないかも知れないけど。だから、こんな事初めてだから、何だかあがちゃった。」

 店の窓からは西に傾き始めた太陽が、雲の切れ間を通して幾重にも長い光の筋を差掛けて、空と雲と彼女の頬をほんのり赤く染めていた。その時僕は、彼女が美しいと思った。

 「笑わない。」彼女は既に自分で笑い出しそうになりながら僕に訊ねた。「うん。でも何。」僕は何があっても笑わない覚悟を決めた。

 「本当に笑わない。この間みんなに話したら大声で笑われたの。」「約束するよ。僕は日本語を話すようになってから嘘をついたことが無い。」

 「あのね、あんな風に光の筋が見えると、」彼女は夢を見ているような瞳を窓の外に向けた。「あのうちの一本がすうっと伸びて来て、私を何処かへ連れて行ってしまうんじゃないかって、いつもそう思うの。そんなこと考えたりしない。」

 僕は笑わなかったし、別に笑うような事ではないと思ったが、どう反応すればいいのか分からなかった。

 『これは現実逃避願望か他力本願的冒険心か』僕はそう考えた。でも口には出さなかった。「いや、そんな事考えたこともないよ、まるでかぐや姫みたいだね。」それが精いっぱいの回答だった。彼女は少し笑った。

 「ねえ、いつもどんな事を考えているの。」彼女は水を一口飲んで聴いた。「僕はね・・・。うん、何を考えているのかなあ。きっとろくでもない、取るに足りない事ばかりだと思うよ。」実際僕は彼女の事以外、自分が何を考えているのかよく理解していなかった。

 「何だか自己嫌悪になってるみたい。」「うん、そう・・・かな。」僕はその時いっその事、実はずっと前から君の事が好きだった、と彼女に言えばよかったと思いながら黙り込んでしまった。彼女も暫く何も言わずに外を見ていた。

 「寒くない。」漸く彼女は急に思い出したように、両手で肘を覆いながらそう言った。確かに店の冷房は少し効き過ぎだった。僕は同意して席を立った。

 帰りのバスの中では、また文化祭の話で二人に取り留めの無い会話が戻った。僕が先に降りる時、彼女は「今日はとっても楽しかった。どうもありがとう。」と微笑んで見せた。僕は『多分あれが社交辞令というものなのかな』と思った。

 間もなく文化祭が終わり、それから秋が過ぎ、冬を迎え、やがて春が巡って来た。その間に僕等は何度も二人で会い、色々な事を話した。僕は手を繋いだりキスをしたりしてみたかったが、一度もそういう事は起きなかった。

 そして五月の連休が始まる頃、僕等に突然別れが訪れた。僕には何も思い当たる事は無かったが、後からユッコさんに聞いた話によると、彼女は自分の事を何でも知っている僕がだんだん怖くなったと言っていたそうだ。

 『多分僕のせいなんだろう、でも僕に一体何が出来たというのだろうか』

 もしかしたら、彼女が求めていたのは眉間に皺を寄せ、深刻な問題を議論したりする事ではなく、テレビの青春ドラマみたいに臭くてちょっぴり切なくて、最後は夕陽に向かって走りだすような、そんな事だったのかも知れない。

 それでも僕は考えた。たとえ短い時間であったとしても、彼女の気持ちが僕の方に向いたとしたら、それだけでも僕の17年間は無駄ではなかったのではないかと。

 そして彼女は僕を置き去りにして、雲の切れ間から差し込んだ光の筋に乗り、何処か遠い所に行ってしまったのだ。まるで留まる事を知らず、ただひたすら飛び続けるジョナサン・リヴィングストンのように。 

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遠い日の夏休み (1/2)

 大林宣彦監督の作品に「青春デンデケデケデケ」という映画がある。エレキギターブームの火付け役、ベンチャーズに魅せられた高校生達を描いた物語だが、私は主人公が夏休みの終わりに同級生の女の子に誘われ、二人で海水浴に行くシーンが気に入っている。そして、あのような感じの甘酸っぱい思い出を、さりげなく文章に出来ないものかと常々思っていた。

 そこで今回は青春ドラマのショートストーリーを書いてみようと考えた。尚、先月このブログに投稿した昔の童話に味を占めた訳ではない。

 最初は数十年前の実体験に基づく心算だったが、青春は忘れっぽく美化され易い。今ではもう、その記憶が事実か夢かの区別さえつかなくなってしまった。多分、そうあって欲しいという願望が創り上げた妄想なのだろう。

 実はたまたま小生の別のブログに、暫くサボっている連載中の小説があり、その一部を抜粋して以下の通り再編してみた。夏休みが終わって間もないこの時期、喧噪が過ぎ去った浜辺を一人で歩くような気分を出そうと試みたが、技量不足でなかなか思うようには行かない。

 

 「劇、大丈夫かしら。」彼女は額の汗を拭きながら言った。8月初め、高校は夏休み中。とても暑い日だった。彼女は赤い水玉模様の白地のシャツに、ベルボトムのGパンをはいていた。

 9月末に催される最大の学校行事、文化祭で、僕等のクラスの出し物は演劇。菊池寛の「父帰る」だった。1年生の時はディケンズの「クリスマス・キャロル」を上演したが、手分けして作った脚本に一貫性が無く、劇自体が纏まりを欠いたとの反省を踏まえ、同じメンバーのまま2年に持ち上がったクラスで、今回は手堅く最初から戯曲を選んだのである。

 ところで僕は、元来あまり団体行動を得意とするタイプでは無かった。しかし何故か文化祭になるとしゃしゃり出て、いきなりリーダーシップを発揮、有無を言わせず演劇をやると決めていた。その為にクラスの文化祭責任者に立候補し、多数の反対を無理やり抑え込んで、一部の賛同者と力を合わせ実行まで漕ぎ着けたのだった。

 「多分上手くいくと思うよ、割と皆乗って来たから。」僕は答えた。「そうね、今日の練習、前よりも一段と熱がこもっていたみたい。池田君の賢一郎、少し怖い位だったもの。」そう言って彼女は思い出し笑いをした。彼女も僕が無理やり引き込んだ文化祭の責任者の一人。そして僕はずっと前から彼女の事が好きだった。

 その日は夏休み中にも拘らず、出演者とスタッフ一同は登校して劇の稽古を行っていた。それが終わり、帰り道が同じ方向の僕等二人は、学校からバス停へ続く桜並木を歩いて行った。真夏の太陽は容赦なく照り付け、彼女は何度も汗を拭い、薄手のシャツからは下着がくっきりと透けて見えていた。

 「演劇の事、随分詳しいのね。」彼女がそう聞いた。「そんなことないよ。僕の姉が高校の時、演劇部にいてね、それで少し教えて貰っただけ。」ともすれば彼女の胸に行きそうな視線を逸らし僕は答えた。

 「ふうん、そうなの。メイクアップも。」「うん、そう。」

 「去年のクリスマスキャロルの時、ユッコさんにしてあげたでしょう。」彼女はいたずらっぽく少し笑った。そして「私にはしてくれなかったけど。」と呟いた。彼女もマーサという役で出演者の一人だった。

 僕は彼女の真意を図りかねた。前に一緒に帰った時は、バスの中で一言も口を聞かなかったのに、今日は妙に思わせぶりな事を言う。女の子は判らない事だらけだ。

 やがて渋谷行きのバスが来て、前扉から乗り定期券を運転手に見せる。席は空いてなかった。

 「私ね、夢を見るのが好きなの。朝起きたらすぐに今見たばかりの夢をノートに書いておくの。」彼女は吊革につかまって、流れ去る外の景色を見ながら唐突にそう言った。その大きな瞳は美しく輝いている。

 「それでね、夢で見た事が、後になって実際に起きるの。」

 『おいおい、オカルトみたいな話題は勘弁してもらいたいな』と僕は思いつつ、少し前に買ったまま放置しているG.フロイトの「夢判断」を読んでおけば良かったと後悔した。彼女に明解な解答、と言うよりも知ったかぶりが出来るチャンスを逃してしまったからだ。そして彼女の会話がいつも脈絡がなく、支離滅裂である事を不思議に思うのだった。

 『確かに彼女は時々、考えもつかないような事を突然口にする癖があるように見える。それが本性なのか、それともあまり饒舌ではない僕への思いやりで、思いつくままに話しかけて来るのだろうか』

  僕等が乗ったバスは各駅停車だった。そしてそれはとても重要な問題であった。何故なら「各駅」は彼女の家がある三宿に停まり「急行」は通過する。僕は三宿の手前の三軒茶屋に住んでいて、このままでは僕が先に降りなければならない。仮にこれが急行であったならば、彼女は三軒茶屋で一緒に降りることとなり、その後の二人の行動に大きく影響を及ぼす。即ち降車後、新たな展開が起きる可能性が残されるという事だった。

 従ってこの状況下、彼女との親密な時間を更に延長する為には、僕は三軒茶屋に着く前に勇気を振り絞り、彼女に対して何らかの形で一緒にいたいという自分の意志を示す必要があったのだ。

 冷房の効いた車内で吊革に掴まり並んで立っていると、それまで僕に視線のやり場を困らせていた彼女の透けた赤い水玉のシャツも、汗の乾きと共に正常に戻って行き、それはそれで僕を残念な気持ちにさせていた。

 そんな事は全くお構いなく、バスは国道246号線のだらだら坂を登って行き、もうじき駒沢という時、僕と彼女は殆ど同時に「あの・・・」と言いかけ、僕は彼女にその先を譲った。

 すると彼女は少し恥ずかし気に、けれどもはっきりと「駒沢に美味しいあんみつ屋さんがあるの。もし良かったら、これから一緒に行きませんか。」と天使のような声で誘ってきたのだった。『なんと、彼女も同じ事を考えていたのか』僕の心拍数は上がり、気が付くと不覚にも少し勃起していた。

 僕は以前からそのあんみつ屋の噂は聞いていた。それは学級委員をしているユッコさんが、時折音頭を取って女生徒だけを集め、井戸端会議をしているという話で、それが彼女が皆から「安美津子」というあだ名で呼ばれている所以でもあった。

 勿論僕に異存などあろう筈は無く、今度は自分の下半身の異変に対する彼女の視線を気にしながら、大きく頷いて「はいっ、勿論、喜んで。」と上ずった声で答えた。その声は思いのほか車内に大きく響き、数名の乗客が何事かと僕等の方に顔を向けた。それを見た彼女は、下を向き声を殺して肩を震わせている。

 『もしかしたら僕達は恋人同士に見えるかな。そしてそんな風に思う感覚って、何て素敵な事なんだろう』

 車窓から少し賑やかな景色が見え始めた時、運転手は次の停車駅が駒沢であることを告げた。僕は待ちかねたように降車のボタンを押して彼女に微笑みかける。すると彼女は、他の乗客には悟られないような振りをして、いわくありげに眼だけで笑顔を作った。まるでこれから二人で銀行強盗に行くみたいに。

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野に咲く花の名前は知らない

 最近、自分に備わっていない非常に残念な事が、幾つか思い当たる様になった。そのひとつが「草花の名前を知らない」である。植物園や花屋の店先で綺麗な花を見ても、その名前が判らない。いい歳をして全くお恥ずかしい限りである。

 何故そんな事になってしまったのだろうかと考えてみても、多分そのような知識を習得する機会に恵まれなかったからだとしか言いようがない。

 勿論私にも趣味が高じた結果、妙に詳しい分野もある。しかしそれはマニアック且つオタクのようで何の自慢にもならない。

 それに引き換え、飲食店などに飾られたフラワーアレンジメントを見て、「このXXXは綺麗だね」とかさらっと言える人が、途轍もなく格好良く見えて羨ましくてならない。それこそが素養とか教養といった類のものではないかと私は思う。

 それでも私は花が好きだし、毎週安い生花を買っては家に飾っている。そして偶には写真を撮りに出かけたりもする。

 という訳で今回はある植物園で最近撮影した写真集、良ければ御覧頂きたい。但し花の名前の問い合わせには、残念ながらお答え出来ないので悪しからず。

 

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韓国1995(2/2)

 韓国の話を続ける。

 

3. 冷たい店員

 研修中の食事は幾分キムチの臭いに閉口したものの、基本的には何でも食べられる体質が幸いし事なきを得た。ただ気になったのはレストランの店員がどうも冷淡というか、殆ど愛想が無いことである。

 別にこちらが「私は客だぞ」と横柄な態度をとった心算はないのだが、例えばメニューを指さし料理をオーダーしても、返事も無ければニコリともしない。かと言って、ちゃんと品物は持って来てくれる。儒教道徳に基づいた「東方礼儀の国」を自負する韓国のイメージと、この現実がうまく結びつかない。

 この「無愛想」は韓国を訪れる日本人旅行者の定番の感想であるという。このことから韓国の礼節は単に形式だとの批判も聞くが、よく耳にする「年長者の前で煙草は吸わない。酒を受けた時は横を向いて飲む」に代表される「孝」の美風とサービス精神は別物なのである。それだけの事であろう。

 現地ガイド女史は「韓国はサービスの面で遅れている」という言葉で説明し、レストランで彼女自身が店員に代わり、我々に食器やグラスを配る姿を何度も目にした。どうやら韓国では接客業は賤業であるらしいのだ。

 歴史学者古田博司の「朝鮮民族を解く」によれば、接客業の中でも特に食堂、床屋、酒場が卑しまれ、さらに食堂は床屋を、床屋は酒場を蔑むといった序列があり、学校においては遅ればせながら「サービスをする人への感謝」を教化しているという。

 私としては賤業についたことが「恨」となって愛想が無くなったのだと短絡的に考えてしまう部分もあるが、何に対してもつい曖昧に微笑む傾向がない事だけは事実である。

4. 韓国は家族命?

 釜山から慶州を経由しソウルに至る移動はすべてバスである。ガイド女史は我々に先ず簡単な朝鮮語での挨拶等を教えてくれた後、韓国について様々な事を語った。その中で特に印象に残ったのは、男子が非常に大事にされているらしい状況である。

 この国では跡取りとしての男子が重要視され、その為、嫁はとにかく男児を出産しなければならない。女子でも生もうものなら、姑から露骨に嫌な顔をされ、次は必ず男とのプレッシャーがかかる。極端な話、男が生まれるまでガンバル傾向にあるという。

 そして結果として男児が生まれなかった嫁は悲惨である。離婚されても仕方がないし、夫が他所で子供を作って来ても文句は言えない。従って息子を養子に出すなど言語道断の行為なのだ。韓国には確か姦通罪があったはずであるし、ホンマカイナ?と思うが、ガイド女史は真面目である。

 また同じ姓名同士の結婚は出来ないという。金や朴に代表される同一姓が多そうな韓国で、そんな事があるのかと不思議に思い調べてみると、確かにあった。ものの本によれば、朝鮮民族の社会は宗家という男子の単系血族の集合体から成り立っており、先祖発祥の地(本貫)を冠した同族名=例えば「慶州李」=で示され、本貫が異なれば問題は無いが、同族では結婚出来ない。これは同姓婚の禁止として法律になっているとある。

 しかも済州島の高氏、梁氏、夫氏は、先祖が島の三姓穴という穴から同時に飛び出してきたという神話から、同じ宗家だと信じられ婚姻しないそうである。そしてロイヤリティの対象は国や政権よりも、自分の門中にあり、先祖の勲功に多大な関心を示す。

 在日韓国人作家つかこうへいの「娘に語る祖国」にも次のような件がある。「韓国のおじさんの家には、百科事典みたいに何冊も家系図がありました。出身も慶尚北道の金銘金賀という名家だと、よく自慢していました」

 ちなみに先の男児優遇についての言及はどこにも見当たらなかったが、本当なのだろうか。 

5. ヒロインはショートの茶髪

 その国の文化を知るひとつの方法は、地元のテレビ番組を観ることである。という訳で、夕食後はホテルの部屋で一人テレビを見て過ごした。5局程の国内放送の他、CNNとNHKのBSの2局が映る。

 同じ東洋人で似た様な顔形をしているのに、言葉も文字も全く理解出来ない。やはりこれはかなりショックを受ける。それでもめげずにチャンネルを回し続けた。

 日本で言うワイドショー的なものがあり、夕方は子供向けアニメ、コンピュータゲームとクイズを組み合わせた番組、そしてドラマ。赤縁のメガネをかけたイヤミそうな姑と「冬彦さん」風気弱そうな青年。茶色に染めたショートカットの若い女性。直観的にこれは韓国のミポリンだなと決め付ける。フーミン似の間抜け顔のネエチャン等も出てきて、ボディコン・スーツを纏い颯爽とオフィス街を歩いて行く。「・・・ふむふむ、これは所謂トレンディードラマだな。」と勝手に納得しながら、更にチャンネルを回すと、ニュース番組をやっている。男女一名ずつ司会者がいて、時折レポーターも登場する。

 そう言えばニュースキャスター達も含め、女性は結構茶髪が多い。言葉は理解出来ないが、どれも日本のテレビで見慣れた光景である。

 韓国では日本の大衆文化(映画、歌謡曲、漫画、週刊誌等)の流入を規制しているというが、一般市民が通勤途上に購読するスポーツ紙、ストレス解消のカラオケやゴルフ、アニメのキャラクターに至るまで、日本のそれを原型ないしは媒介型にするものも多い。

 中には著者名を隠し、いかにも韓国製であるかのような体裁の劇画が販売されているとの事。それでいて韓国は一般的に、かって日本に大陸文化を伝授してきたという優位性を誇りにし、日本は単に外国文化をごちゃ混ぜにコピーした文化であるから尊敬出来ないという立場に立っているのだそうだ。

 テレビのコマーシャルも賑やかである。やはりご当地もマルチメディアブームなのか、最近日本でも見るサムソンのパソコンのCMが目を引く。意味不明のハングル文字の後に95とある。この一文字は絶対「窓」という言葉だと、またしても決め付けてしまった。 

6. 違和感の行方

 自然環境、歴史、文化が異なる外国に対し、我々は多くの部分で違和感を覚える。肌の色、言語、思想、作法等々。

 今回初めて韓国へ行き、確かに日本と異質なものを感じ、戸惑う部分も多くあった。不適切な例えかも知れないが、これがアフリカ辺りのあまり馴染みの無い国であれば、その違和感を当然のこととして受け止める筈である。

 そのような意味では、韓国とは関係が深く、顔形が似通っているが為、つい日本人と同じような民族だろうと考えてしまう。また更には同じでなければならないと思い込む。

 しかし現実は多くの類似性と異質性を持った民族なのであり、その違いだけをとらえてそれが韓国であると表象し、ましてや劣っているとか怪しからんと言うのは間違った態度であると考える。

 何故ならば日本は世界の模範国家でもなく、韓国が日本的に変わらなければならない理由など何処にも無いからだ。

 結局「正しい歴史認識」についての知識は相変わらず何もない。ただ今回韓国へ行くにあたり、韓国に関する書物を数冊目を通しただけではあるが、例えば日本人にとっては「前の世代の不幸な過去」であっても、そのような言葉自体、先祖からの脈々とした血族意識を尊ぶ韓国人にしてみれば、「子孫が負うべき先祖の罪からの逃避」としか写らないであろうことが、おぼろげながら認識出来るようになった気がする。

 要は相手を知る事から始めなければならないということだろうか。その意味でも、やはり「百聞は一見に如かず」である。

    

  

 この文章は、オフィシャルな感想文を書けとの事であった為、諸般の事情を忖度して随分ソフトな表現に終始した。

 現在、私は韓国の文政権が目指しているであろう方向性に、少なからず危うさを感じている。即ち、若しかの国が米国の傘から離れ、南北統一を果たし、中国共産党支配下に入るとしたら、極東に新たな緊張感を生む火種となる事は間違いないからである。

 1990年、我々は東西ドイツの統一を目の当たりにした。第二次世界大戦後、米ソの思惑により分断された民族が、一つに戻りたいと願う事は至極当然な事である。しかし文在寅というリーダーは、あたかも幼児後退するかの如く、祖国統一後、宗主国中国への朝貢を強いられた属国としての長い歴史を、敢て再び蘇らせようとしているとしか思えない。

 親愛なる韓国民よ、君たちは今、何処へ行こうとしているのだろうか。<終>

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韓国1995(1/2)

 日本と韓国にまつわる一連の報道を、一切の偏見を排して見て来た心算だが、個人的にはどうしても韓国を擁護する気にはなれない。それどころか頼山陽が引用した「遺恨十年磨一剣」の心境と言ってもいい。

 それはかの国が言うところの「歴史認識」が、あまりにも感情的反日イデオロギーの塊であり、それを国是として進んだ結果、例えば8月15日の光復節は、あたかも自ら勝ち取ったかの如く主張する姿勢が、ファクトではないと考えるからである。

 ここではその問題を掘り下げる代わりに、1995年、私が初めて研修で韓国を訪問した際に書いた所感を、二回に分けて記す事とする。

 

1. 韓国のイメージ

 多分生まれ育った時代や環境のせいだろうと思うが、私の父親はある種の、そしてその年代の日本人にはありがちな人種差別主義者である。かって私は成長過程の必然として反抗期に突入し、その結果、朝鮮半島に住む人々に個人的には何の恩義も無いはずなのだが、父が否定(理論だてて説明するのでは無く、単に見下した言い方をするだけだ)するものを、逆に擁護し肯定する立場をとらざるを得なかった。

 ところで話は若干逸れるが、朝鮮半島という言い方はどうも正式ではないらしい。あの半島は王朝名が変わるとともに地域名も変わり、現在は大韓民国朝鮮民主主義人民共和国に分かれているが、この両者を総称する地域名は無いのだという。

 そして「韓」と「朝鮮」は何れも半島全体を指す言葉であり、両者は夫々そこに於ける唯一の正統性を主張している。従って韓国ではここを韓半島と呼び、片割れの国を北韓という。これに対し北側の国では、それが朝鮮半島南朝鮮となる。この問題は両国が統合される日まで解決しないもののようである。

 さて、反抗期の私としては、唯その蔑視や偏見をいわれのないものとして否定したに過ぎず、私の父親世代に言わせれば、逆に充分いわれのあることとの認識であったかも知れない。

 私が辛うじてリアルタイムで記憶する韓国という国の認識は、李承晩ライン(韓国では平和線)により、日本の漁船が頻繁に拿捕されたというテレビのニュースに始まった。学校教育では、秀吉の朝鮮出兵西郷隆盛征韓論あたりで時間切れとなり、日韓併合や太平洋戦争前後は素通りして終わってしまった。

 その後の金大中事件、朴大統領暗殺事件、ソビエト空軍の大韓航空機撃墜事件、韓国陰謀説があった金賢姫事件、ソウルオリンピックでのボクシング会場の乱動事件等々、結果的に悪い印象を伴った「不可解なイメージ」が残っていることは事実である。

 これは日本に居て、一方的に与えられた情報によってのみ形成されたものに間違いはないが、今にして思えば、その情報が偏向していたと言うより、情報が提供されている時に、我が家には変なニュース・キャスターががいたせいもあるなと考えたりもしている。

 昨今、我国では、度々「問題発言」が取り沙汰され、近隣の諸外国からは「正しい歴史認識」を求められている。太平洋戦争前後に、日本人がした事、朝鮮人がした事の殆どを私は見聞しておらず、多くの日本人がそうであろうと思う。

 「不幸な過去」という意味不明の言葉と、韓国では日本は好かれていないという漠然とした認識だけを持って、韓国研修が始まった。

 

2. Sleepless night on "Camellia”

 船での渡航という言葉には、何かしらロマンチックな響きがあるが、別にタキシード持参、豪華客船の旅という訳ではなく、ましてや数時間の航海である。そして博多港で乗船した途端、船内に漂うキムチの臭いが、我々がこれから何処に向かっているのか、否応なしに認識させてくれる。

 夕刻出港後、ラウンジにて会食、幸い日本海はベタ凪のようで揺れも無く、各人自己紹介、余興のカラオケ等、和やかな雰囲気のうちに、初日の夜は更けていった。

 さて四人部屋の一等客室に戻り、就寝しようとするが、空調は音の大きさの割には一向に効かず妙に暑い。またベッド幅は狭く、寝返りは左右半回転が限度。そして二段ベッドの上段にはJRの寝台列車のような落下防止のベルトが無く、たまにベッドから落ちる私としては気が気でない。

 しかし安全ベルトが無いということは、これまで落下事故が無かったという事であろうし、怪我をして本船や研修団に迷惑をかけ、挙句に笑い者になってしまう訳にもいかず、これはもう眠らない事にするしかないとの結論に達した。

 しばらく雑誌などを眺めた後、取敢えず明かりを消して目を閉じていると、ロビーからまるで喧嘩でもしているような声(朝鮮語なので話の内容は当然判らない)が聞こえてくる。

 後で現地ガイド女史から聞いた話によると、韓国の人達は概して議論好きであり熱し易く、その際、周囲をあまり気にしないとの事。これは日韓異質性論を展開する学者が、先ず指摘する行動様式の差異のようだ。即ち、

(1) 公開の場で争う。

(2) 争いは原則として一対一で、集団化しない。

(3) 行動が派手である。

(4) 裁定者に当たる者がいない。

(5) 争いはその場で終わり、あとをひかない。

善し悪しは別にして以上の特徴があり、そこが日本とは違うという。

 韓国生まれの評論家、呉善花の著作には、これをワサビと唐辛子を引き合いにした面白い表現がある。曰く、「ワサビを食べたときの血液は、特に心臓のほうへの偏りを見せる。そのため、鎮静作用が働いて、精神に落ち着きをもたらしてくれる。一方、唐辛子を食べたときの血液は、ワサビの場合とは違って、頭部のほうへ偏りをみせる。それが神経に刺激を与え、血液の循環をよくすると同時に、精神的に興奮しやすい作用を生み出している。」という。

 香辛料のせいだけではないだろうが、深夜に船中でのあの騒ぎは、違和感と多少脅威すら覚える。ひょっとしてトイレに行く時に見咎められ、反日感情の標的にされるかも知れないなどと被害妄想に取り付かれ、生理現象をも抑制された眠れぬ夜は果てしも無く長く続く・・・。

 と言いながら、そのうちウトウトとし始めた時、今度はアンカーを打つガラガラという大きな音で、レム睡眠状態から目覚めた。

 朝食後、船は錨地からシフトを開始し、我々はデッキに立って港の説明を受ける。幾分風は冷たいが、朝の陽光に輝く街並みと背後に迫る山々を一望にしながら、世界第五位のコンテナ扱い量を誇る釜山へ入港して行くのは、なかなか気持ちがいいものだった。  <続>

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昔書いた童話

 大学生だった頃、友人から「童話」を書いてくれと頼まれた。彼が所属する同人サークルの小冊子に載せる為だった。

 私は童話には殆ど興味が無く、それ迄に読んだと言えば、せいぜいテグジュペリの「星の王子さま」位しか思い当たらなかった。しかもあの物語自体、童話なのかも疑わしい。それでも暇を持て余していたのだろう、何故か引き受けていた。 今回はいつもと趣向を変え、埃まみれのその原稿を引っ張り出してきた。

 

「木霊」

 僕はもう少しで泣き出しそうだった。こんなに遠く迄一人で来たのは初めてだったし、僕の大好きなお母さんからはいつも「森には恐ろしい鬼がいるから、絶対行ってはいけません。」と言われていたのに、今朝、そのお母さんと喧嘩した後、気付くと僕は森へと続く細い一本道を歩いていた。

 だけど今日はこんなにいい天気で、木立の間から小鳥達のさえずりが僕を誘っているし、それに僕の気持ちを少しも分かってくれないお母さんを、少し心配させてやろうという気も手伝って、思い切って森の中に入って行った。

 しばらく歩いてみても鬼なんかいる様子は無く、僕は木漏れ日の当たる柔らかい草の上に寝転がって、「お母さんなんか嫌いだ」と呟いた。すると急に目頭が熱くなって涙が止めどなく流れた。そして僕はいつの間にか眠っていた。

 それからどれだけ時間がたったのだろう。目が覚めた時はもうほとんど夜になっていた。僕は驚いて飛び起き、あたりを見回したけれど、微かな月明りではさっき通ってきた道もまるで分らず、小鳥のさえずりの代わりにフクロウの声が不気味に響いているだけだった。

 僕は急に怖くなり泣き声で「お母さーん」と叫んだ。

 すると、遠くで誰かが「お母さーん」と呼んだ。僕によく似た子供の声だった。『誰か同じように迷った人がいるのかな』

 「誰かいるの?」僕は期待しながらもう一度叫んだ。「誰かいるの」また遠くで誰かが答えた。

 「僕はここだよ」・・・「僕はここだよ」

 何処かにもう一人子供がいることは間違いない。この森の中で独りぼっちじゃないと分かると僕は少し元気が出てきた。

 でもその時、『森の中には鬼がいる』というお母さんの言葉を思い出し、あの声の主が鬼だったらと考え、「君は鬼なの」僕は恐る恐る、でも大きな声で聞いた。「君は鬼なの」相手も怯えながら尋ねた。

 「僕は鬼なんかじゃないよ」僕は答えた。「僕は鬼なんかじゃないよ」遠くから返事が聞こえた。『相手が鬼じゃなくて良かった。でも待てよ、怖い鬼なら僕を騙して食べちゃう事くらい朝飯前だろうな。それに、さっきから僕と同じ事しか喋らないのはどうしてだろう?』僕はそう考え思い切って「君は誰だい? どうして僕と同じことしか言わないの」と聞いてみた。

 今度はすぐ近くから声がした。「僕はコダマだよ」

 「コダマ?」僕はびっくりして、あたりを探したけれど誰もいなかった。「そうコダマさ」「何処にいるの」「君の目の前の大きな木の中さ」「木の中で何をしているの」「何もしていない、時々人間が来て大きな声で呼ぶのに答えるだけさ。ところで君はどうしてこんなに夜おそく、ここにいるんだい?」

 「お母さんと喧嘩してここに来たら、いつの間にか眠っちゃったんだ」

 「どうして喧嘩したんだい。お母さんが嫌いなの」「違うよ、お母さんは大好きさ。だけど・・・」「だけどどうしたの」「僕は新しいお父さんなんか欲しくないんだ」

 するとコダマは木の枝をゆすってカラカラと笑った。「何がおかしいんだい」僕は怒ってそう言った。「ごめんよ、だけど君は幸せだね。お母さんがいるし、お父さんだってもうすぐできるんだもの。僕は君が生まれるずーっと、ずーっと前から、この森に一人でいるんだよ」

 「僕はお母さん一人でいいんだ」

  コダマはカラカラと笑って言った「それは困ったね。でもきっとお母さんは君の為に新しいお父さんを探して来たんだと思うよ」

 「そんなの嘘だよ。お母さんは僕なんかどうでもいいと思っているんだ。僕の事、もう嫌いなんだよ」僕は泣き出した。

 「そんなことはない。ほら今誰か君を探して森の中に入って来たよ」

 「どうしてそんな事が分かるの」「僕は森の中のことはみんな分かるんだ。フクロウ君よりもね」

 するとずっと遠くから僕の名前を呼ぶお母さんの声がした。「お母さん」僕は叫んだ。それに答えるようにお母さんの大きな声が聞こえた。

 「僕の言う通りだろう。だけどお母さんだけじゃないよ、男の人も一緒だ。きっと君のお父さんになる人だね」

 僕は何も答えなかったけれど、コダマはまたカラカラと笑った。「いいことを教えてあげよう。二人が迎えに来たら、君のお父さんになる人の手を握ってごらん」

 「どうして」コダマはそれには答えず「さあ、もうそこまで来ている。それじゃあさよなら」

 コダマが言い終わるとすぐ、お母さんが男の人と息を切らして駆けつけて来た。

 僕はお母さんに抱きついて泣いた。『ごめんなさい』と言おうとしたけども、言葉にならなかった。男の人は黙って微笑んで僕を見ていた。

 「さあ帰りましょうね」お母さんは僕の手を取った。僕はコダマに言われた通り、もう片方の手を恐る恐る男の人に伸ばした。

 男の人は頷いて僕の手を握った。その手は大きくごつごつしていて、お母さんのように優しくなかったけれども、その代わり力強く暖かかった。僕もそれに負けないよう力を込めて握り返した。

 二人に挟まれて歩き出した僕は、後ろを振り向き大きな声で「さよなら」と叫んだ。お母さんは不思議そうに僕の顔を見た。「コダマにさよならって言ったんだ」僕は二人を見上げて得意げに言った。「おかしな子」お母さんと男の人は嬉しそうに笑った。

 僕はそれに合わせてカラカラと笑う、コダマの声が聞こえたような気がした。

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怨念の行方

 別にお盆だからと言う訳では無いが、いきなりおどろおどろしいタイトルである。しかしこの八月はお盆に限らず、我々が死者との関わりを持つ機会は多い。例えば広島と長崎の原爆投下、或いは御巣鷹山日航機墜落事故。そして極めつきは310万人もの国民の命が失われた戦争の終結である。

 このような惨禍を振り返り、後世に伝える為、それぞれ毎年厳かに式典が執り行われるが、これらの正式名称には「追悼」、「記念」または「祈念」といった言葉が用いられる。だがそれとは別に、あくまで通称ながらも共通して使われる二文字がある。「慰霊」だ。

 我々は比較的安易にこの「慰霊」という言葉を使うような気がする。慰霊祭、慰霊碑、慰霊の旅、慰霊登山、等々。慰霊とは文字通り「霊を慰める」という意味であり、ここで言う「霊」とは死んだ者の魂を指す。

 だが、少し待って欲しい。今は西暦2019年、令和元年である。この時代に「霊」だの「魂」などという科学的裏付けの無い物の存在を、真しやかに言えるのであろうか。その昔、怪しげな霊媒師達が薄暗い密室に客を集め、口や鼻からエクトプラズムと称して白い布を出していた交霊会などとはレベルが違うのである。

 ところで予めここで断っておきたい。私は決して非科学的であることを理由に、そのような式典を否定する訳ではなく、戦争や災害、そして不慮の事故等で亡くなった人達を悼む気持ちは、人並みに持ち合わせている心算であり、状況さえ許せば悲劇が起きたその日時に、その方角を向いて暫し首を垂れ、手を合わせている者である。

 さて、ここからが本題。 我々は何故、慰霊と称して存在の不確かな「霊」を慰める必要があるのか。理由は至って簡単である。霊は祟るものだからなのだ。

 人は原始の時代から死者に対し怖れを抱いて来た。やがて、特にこの世に怨みや未練を残して死んだ者の魂は、怨霊となって祟り、様々な災厄をもたらすとされた。有名なところでは先ず菅原道真の名が挙げられる。

 菅原道真(845ー903年)は時の右大臣でありながら太宰府に左遷され、そこで客死する。ところが彼の死後、都では疫病が蔓延し政敵であった藤原時平は死亡、続いてその妹や娘の息子二人も死ぬ。更に御所に落雷があり、醍醐天皇はその時の火傷が元で落命する。これを道真の祟りと考え、その凄まじさに恐れをなした朝廷は、死せる道真を太政大臣に任じ、怨霊を御霊(ごりょう)として崇める事(御霊信仰)により、怒りを鎮めようとしたのである。

 勿論これは今から千年以上も昔の話だ。それと現在の慰霊には何の関係も無いと思うかもしれない。しかし似たような事例がつい百年程前にもあった事をご存知だろうか。

 現在の天皇北朝の血筋であるが、皇室の正式見解は南朝正統論を採っている。これは明治維新後、北朝を支持する公家と南朝こそ正統とする武家の対立を収める為、明治天皇南北朝時代三種の神器を持っていた南朝を正統としたからである。

 この事がその後何をもたらしたか。それ迄朝敵であった筈の楠木正成新田義貞後醍醐天皇南朝)に加勢した武将達に、何と明治年間になってから、従二位や正一位といった位階が贈られ、更に湊川神社藤島神社等が創建されたのである。これを御霊信仰と言わずして何をもって説明がつくと言うのであろうか。

 そして、御霊信仰にはもう一つの側面がある。即ち、怨霊を鎮めれば、逆に守護神になるという、いわゆる災い転じて福と成す的な都合のいい発想である。その結果、菅原道真は今や受験生御用達の学問の神様となっているのだ。

 これを前提に考えれば、皇居二重橋前楠木正成銅像がある事も十分納得がいくと思う。軍事の天才であり忠臣の鏡でもある正成が、まるで最後に立ちはだかるラスボスの如く、馬を駆り帝を守っているのだ。

 同様に東京の北の玄関、上野には西郷隆盛像がある。西郷が明治政府に反旗を翻し、西南戦争が起きた事は周知の事実だが、彼もまた死後、正三位が贈られ、遂には銅像となって会津等、新政府に敵対した藩の残党が残る東北地方から、帝都東京を守る役目を与えられたのである。

 更に現在、甲子園では連日、高校野球が繰り広げられているが、時折スタンドに志半ばで倒れた仲間の遺影を持って応援する姿を散見する。

 勿論気持ちは判る。しかしよく考えればそれは非常におかしな事である。銅像や写真に、一体如何なる力があると言うのだろうか。

 以上述べた通り、人は死者に対する畏怖、畏敬から災厄を起こす霊を鎮めようとして崇め奉った。そうする事により霊は荒ぶる怨念を捨て守護神になると信じた。そのような考えは遠い過去から引き継がれた記憶であり、恐らく今もなお、我々のDNAの中に脈々と生きている。それ故に「慰霊」という言葉に何の抵抗も感じないのではなかろうか。

 我々は今、さも合理的な思考に従って、物事を判断しているような気になっているかも知れない。しかし根底に「御霊信仰」が残っている可能性は否めない。

 死者に対して敬虔な気持ちを持ち続ける事は、ある意味美徳であり良い伝統と言えるだろうが、唯「慰霊」という言葉を口にする時、ほんの少しの疑問と一抹の不安を覚えた方がいいかも知れない。それが「死んだ英霊に対し申し訳がたたない」という言葉を盾に、国の方向さえもミスリードした過去からの警鐘となり得るだろう。

 お盆は仏教でいうところの盂蘭盆の事で、亡くなった家族や先祖を追慕し、報恩の思いを感じる期間だという。その時に私はこんな事を考えてみた。

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