遠い日の夏休み (1/2)

 大林宣彦監督の作品に「青春デンデケデケデケ」という映画がある。エレキギターブームの火付け役、ベンチャーズに魅せられた高校生達を描いた物語だが、私は主人公が夏休みの終わりに同級生の女の子に誘われ、二人で海水浴に行くシーンが気に入っている。そして、あのような感じの甘酸っぱい思い出を、さりげなく文章に出来ないものかと常々思っていた。

 そこで今回は青春ドラマのショートストーリーを書いてみようと考えた。尚、先月このブログに投稿した昔の童話に味を占めた訳ではない。

 最初は数十年前の実体験に基づく心算だったが、青春は忘れっぽく美化され易い。今ではもう、その記憶が事実か夢かの区別さえつかなくなってしまった。多分、そうあって欲しいという願望が創り上げた妄想なのだろう。

 実はたまたま小生の別のブログに、暫くサボっている連載中の小説があり、その一部を抜粋して以下の通り再編してみた。夏休みが終わって間もないこの時期、喧噪が過ぎ去った浜辺を一人で歩くような気分を出そうと試みたが、技量不足でなかなか思うようには行かない。

 

 「劇、大丈夫かしら。」彼女は額の汗を拭きながら言った。8月初め、高校は夏休み中。とても暑い日だった。彼女は赤い水玉模様の白地のシャツに、ベルボトムのGパンをはいていた。

 9月末に催される最大の学校行事、文化祭で、僕等のクラスの出し物は演劇。菊池寛の「父帰る」だった。1年生の時はディケンズの「クリスマス・キャロル」を上演したが、手分けして作った脚本に一貫性が無く、劇自体が纏まりを欠いたとの反省を踏まえ、同じメンバーのまま2年に持ち上がったクラスで、今回は手堅く最初から戯曲を選んだのである。

 ところで僕は、元来あまり団体行動を得意とするタイプでは無かった。しかし何故か文化祭になるとしゃしゃり出て、いきなりリーダーシップを発揮、有無を言わせず演劇をやると決めていた。その為にクラスの文化祭責任者に立候補し、多数の反対を無理やり抑え込んで、一部の賛同者と力を合わせ実行まで漕ぎ着けたのだった。

 「多分上手くいくと思うよ、割と皆乗って来たから。」僕は答えた。「そうね、今日の練習、前よりも一段と熱がこもっていたみたい。池田君の賢一郎、少し怖い位だったもの。」そう言って彼女は思い出し笑いをした。彼女も僕が無理やり引き込んだ文化祭の責任者の一人。そして僕はずっと前から彼女の事が好きだった。

 その日は夏休み中にも拘らず、出演者とスタッフ一同は登校して劇の稽古を行っていた。それが終わり、帰り道が同じ方向の僕等二人は、学校からバス停へ続く桜並木を歩いて行った。真夏の太陽は容赦なく照り付け、彼女は何度も汗を拭い、薄手のシャツからは下着がくっきりと透けて見えていた。

 「演劇の事、随分詳しいのね。」彼女がそう聞いた。「そんなことないよ。僕の姉が高校の時、演劇部にいてね、それで少し教えて貰っただけ。」ともすれば彼女の胸に行きそうな視線を逸らし僕は答えた。

 「ふうん、そうなの。メイクアップも。」「うん、そう。」

 「去年のクリスマスキャロルの時、ユッコさんにしてあげたでしょう。」彼女はいたずらっぽく少し笑った。そして「私にはしてくれなかったけど。」と呟いた。彼女もマーサという役で出演者の一人だった。

 僕は彼女の真意を図りかねた。前に一緒に帰った時は、バスの中で一言も口を聞かなかったのに、今日は妙に思わせぶりな事を言う。女の子は判らない事だらけだ。

 やがて渋谷行きのバスが来て、前扉から乗り定期券を運転手に見せる。席は空いてなかった。

 「私ね、夢を見るのが好きなの。朝起きたらすぐに今見たばかりの夢をノートに書いておくの。」彼女は吊革につかまって、流れ去る外の景色を見ながら唐突にそう言った。その大きな瞳は美しく輝いている。

 「それでね、夢で見た事が、後になって実際に起きるの。」

 『おいおい、オカルトみたいな話題は勘弁してもらいたいな』と僕は思いつつ、少し前に買ったまま放置しているG.フロイトの「夢判断」を読んでおけば良かったと後悔した。彼女に明解な解答、と言うよりも知ったかぶりが出来るチャンスを逃してしまったからだ。そして彼女の会話がいつも脈絡がなく、支離滅裂である事を不思議に思うのだった。

 『確かに彼女は時々、考えもつかないような事を突然口にする癖があるように見える。それが本性なのか、それともあまり饒舌ではない僕への思いやりで、思いつくままに話しかけて来るのだろうか』

  僕等が乗ったバスは各駅停車だった。そしてそれはとても重要な問題であった。何故なら「各駅」は彼女の家がある三宿に停まり「急行」は通過する。僕は三宿の手前の三軒茶屋に住んでいて、このままでは僕が先に降りなければならない。仮にこれが急行であったならば、彼女は三軒茶屋で一緒に降りることとなり、その後の二人の行動に大きく影響を及ぼす。即ち降車後、新たな展開が起きる可能性が残されるという事だった。

 従ってこの状況下、彼女との親密な時間を更に延長する為には、僕は三軒茶屋に着く前に勇気を振り絞り、彼女に対して何らかの形で一緒にいたいという自分の意志を示す必要があったのだ。

 冷房の効いた車内で吊革に掴まり並んで立っていると、それまで僕に視線のやり場を困らせていた彼女の透けた赤い水玉のシャツも、汗の乾きと共に正常に戻って行き、それはそれで僕を残念な気持ちにさせていた。

 そんな事は全くお構いなく、バスは国道246号線のだらだら坂を登って行き、もうじき駒沢という時、僕と彼女は殆ど同時に「あの・・・」と言いかけ、僕は彼女にその先を譲った。

 すると彼女は少し恥ずかし気に、けれどもはっきりと「駒沢に美味しいあんみつ屋さんがあるの。もし良かったら、これから一緒に行きませんか。」と天使のような声で誘ってきたのだった。『なんと、彼女も同じ事を考えていたのか』僕の心拍数は上がり、気が付くと不覚にも少し勃起していた。

 僕は以前からそのあんみつ屋の噂は聞いていた。それは学級委員をしているユッコさんが、時折音頭を取って女生徒だけを集め、井戸端会議をしているという話で、それが彼女が皆から「安美津子」というあだ名で呼ばれている所以でもあった。

 勿論僕に異存などあろう筈は無く、今度は自分の下半身の異変に対する彼女の視線を気にしながら、大きく頷いて「はいっ、勿論、喜んで。」と上ずった声で答えた。その声は思いのほか車内に大きく響き、数名の乗客が何事かと僕等の方に顔を向けた。それを見た彼女は、下を向き声を殺して肩を震わせている。

 『もしかしたら僕達は恋人同士に見えるかな。そしてそんな風に思う感覚って、何て素敵な事なんだろう』

 車窓から少し賑やかな景色が見え始めた時、運転手は次の停車駅が駒沢であることを告げた。僕は待ちかねたように降車のボタンを押して彼女に微笑みかける。すると彼女は、他の乗客には悟られないような振りをして、いわくありげに眼だけで笑顔を作った。まるでこれから二人で銀行強盗に行くみたいに。

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