秋のマーダー

 今朝、顔を洗おうとして水道の蛇口を捻ると、手のひらに触れる水が冷たく感じられた。つい最近まで生温かった気がするが、季節は確実に移り変わっているのだろう。

 テレビでは艶やかな辛子色の外衣を纏った司会者が、淡々とニュースを伝えている。中学生が祖父母を死傷させたとの由。自ら企てた学校での殺人を実行すれば家族が悲しむ為、その前に家族を殺そうと考えたという。

 脳内のシナプスが誤った回路を繋いだのか。否、多分、生来狂っていたのだろう。

 恐らく今後語られる「心の闇」という言葉には、常に嫌悪感を覚える。人は誰にでも日の当たらない月の裏側のような領域がある。心ではなく、この世が闇になるのは義理が廃れるからだ、と昔の流行歌は謳っていた。

 親殺しはギリシャ神話の時代から口承され、親族同志の争い事は今も後を絶たない。しかしながら、少なくとも人類はそのような行為を忌むべき事とし、回避する術を営々と模索してきた筈である。 

 他方、どれだけ検査を重ねようと不良品の発生は必然であり、その多少を我々は歩留りと呼ぶ。歩留りを良くする為、劣勢は淘汰されるべき運命にあるのだ。

 幾つもの価値基準が存在する事は認めざるを得ない。また社会が充分成熟していない事も事実であろう。

 だが、このような特異な事象が普遍化する事はあり得ず、社会的規範を変革する契機とはなり得ない。

 感情的に不毛な議論を重ね袋小路に追い込まれる前に、成すべき最重要課題は、逸脱した脳の一般的構造をデータベース化の上、幼年期に於いて早期発見し、犯罪を未然に防ぐ事なのである。

 訳知り顔で「心の闇」を語る偽善者達は悲痛な表情を浮かべる前に、一人でも多く科学的立場をとるよう態度を改める事を望んで止まない。

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