DTM (その4)

 音の出ない新しいDTMシステムを前に、思わず柴田翔の「立たち盡す明日」のタイトルが私の灰色の脳細胞に浮かんだ。柴田翔と言えば60年代の学生運動を扱った芥川賞受賞作「されど我らが日々」が有名だが、他には「贈る言葉」という中編小説もある。あの武田鉄矢はこの題名を間違いなくパクったと信じて疑わないのは私だけだろうか。

 と、話がいつものように関係ない方へ向かいそうになった。お題はDTMである。

 さて世の中には「取扱説明書」というものがある。何にでも付いている訳ではない。例えば野菜等には生産地の表示はあっても、どう処理すればいいか迄は書いていない。それに対し同じ食料品ながらカップ麺には調理手順が印刷されている。この違いについて考え出したら、またまた本題とは異なるテーマになりそうなのでここで止める。

 ところで電気製品には殆ど「取説」が添付されている。しかしいつの頃からか、私は余程困らない限りこれを読まなくなった。理由はただ単に面倒くさいからであるが、別段読まなくても大抵は問題なく使用出来る事が大きいと思われる。

 今回、自宅のDTM環境を一新するにあたり、今まで使った経験の無い機器やソフトを扱う事となった。しかしこれまで同様「取説」は一切読まずにセットアップを開始、その結果音が出ないという致命的な状況に陥ってしまった。

 そうなってから私は漸く「取説」を開いた。『えっ、全部英語かよ』しかも文字がやたらと小さい。私の目は20代の頃から遠視の乱視で老眼鏡のような眼鏡をかけているが、それだけでは読めない程小さい。仕方なく秘密兵器のハズキルーペを重ねてかけ、何とか事なきを得た。

 「取説」に従いステップバイステップで接続や設定をチェックしていく。ドライバーも一旦全て剥がして再インストールした。また別のノートパソコンでネットを検索し動画によるガイドも見た。

 そしてその結果、何とこれまで頑なに沈黙を守っていたヤマハのモニタースピーカーが、まるで封印を解かれたかのように雄叫びを上げたのだ。

 一体どこに問題があったのかは判らない。だが、そんな事はどうでも良い、私は多額の投資が無駄にならずに済んだ事に感謝し安堵したのだ。

 という事でご心配をお掛けした本件は何とか一件落着。このブログに於けるこのタイトルも今回をもって終了。ここに改めて皆様に御礼申し上げます。

 

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