大つごもり

 前回は「夢」について、いつもの事ではあるが、全く何の役にも立たない事を書いた。それと言うのも、私が夢に関しては少なからず興味があり、何度かこのブログで触れて来たからだった。

 今回もまた同様に、私が常日頃関心を持っている題材、「宇宙・天文・暦」について述べてみたい。先ずはおさらいから。

 

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 さて、今回のタイトルは「大つごもり」。漢字では「大晦」または「大晦日」と書く。おいおい、それは「おおみそか」と読むのだろう。早くもそういう声が聞こえて来そうである。

 確かにその通り。しかし、賢明な読者諸君は「みそか」は「三十日」と書くこともご存知だろう。和歌を「三十一文字」(みそひともじ)と言うような物である。

 思い出して頂きたい。我が国の暦は長きに亘って「太陰暦」を用いていた事を。即ち月の満ち欠けが、最も大切な農作物の育成時期や、言葉の形成に大きな影響を与え、日本人の暮らし、そして感情に密接に作用して来た事実を。

  我々は月の始めの日にちを「一日」(ついたち)と言う。これは元々新月を意味し、それを「月が立つ」と表現した事に由来する。

 月はその後、次第に成長(明るい部分が増す)して、三日月、半月、十五夜(満月)となり、それ以降は月末に向かってまた欠けて行く。そして三十日(みそか)には月が完全に籠ってしまう。

 もうお分かりの筈だ。「みそか」は「月が籠る」から「つごもり」、全く目から鱗が落ちるように明解な論旨ではなかろうか。

 そうして十一回「晦」(つごもり)があり、一年の最後の十二月三十日または三十一日を「大晦」または「大晦日」(大つごもり)と呼ぶのである。尤も「おおみそか」と言う人の方が圧倒的に多い事は認める。 

 恥ずかしい事に、私は比較的最近までこの言葉の意味を知らなかった。というか余り興味が湧かなかった。

 私は長い間これを「大津籠り」と勘違いしており、多分歴史上著名な人物が、何らかの理由で、琵琶湖の傍の大津にある延暦寺、若しくはその他の場所に閉じ籠っていたのだろう、などと漠然と考えていたのだ。

 それはさておき、如何だろうか、これから年末年始の宴席などで、この蘊蓄(うんちく)を披露してみては。あなたの雑学王としての地位が確立すると思うが。但し、周囲から単にうるさいジジババだと嫌がられても、その責任を負う心算は一切無いので悪しからず。

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