大つごもり(初回投稿2018年12月17日)

 時折「はてなブログ」から『過去のブログなどを振り返りませんか』とのメールが届く。殆どは無視しているが、ふと思い立って今回は以下の通り再掲してみることにした。

 

 今回もまた私が常日頃関心を持っている題材、「宇宙・天文・暦」について書いてみたい。先ずはおさらいから。

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 さて、今回のタイトルは「大つごもり」。漢字では「大晦」または「大晦日」と書く。『おいおい、それは「おおみそか」と読むのだろう』早くもそういう声が聞こえて来そうである。

 確かにその通り。しかし、聡明な読者諸氏は「みそか」は「三十日」と書くこともご存知であろう。和歌を「三十一文字」(みそひともじ)と言うようなものである。

 思い出して頂きたい。我が国の暦は長きに亘って「太陰暦」を用いていた事を。即ち月の満ち欠けが、往時最も大切な農作物の育成時期や、言葉の形成に多大な影響を与え、日本人の暮らし、そして感情に密接に作用して来た事実を。

  我々は月の始めの日にちを「一日」(ついたち)と言う。これは元々新月を意味し、それを「月が立つ」と表現した事に由来する。

 月はその後、次第に成長(明るい部分が増す)して、三日月、半月、十五夜(満月)となり、それ以降は月末に向かってまた欠けて行く。そして三十日(みそか)には月が完全に籠ってしまう。

 もうお分かりの筈だ。「みそか」は「月が籠る」から「つごもり」、全く目から鱗が落ちるように明解な論旨ではなかろうか。

 そうして十一回「晦」(つごもり)があり、一年の最後の十二月三十日または三十一日を「大晦」または「大晦日」(大つごもり)と呼ぶのである。尤も「おおみそか」と言う人の方が圧倒的に多い事は認める。 

 かく言う筆者も恥ずかしい事に比較的最近までこの言葉の意味を知らなかった。というか余り興味が湧かなかった。

 私は長い間これを「大津籠り」と勘違いしており、恐らく歴史上著名な人物が、何らかの理由で、琵琶湖の傍の大津にある延暦寺、若しくはその他の場所に閉じ籠っていたのだろう、などと漠然と考えていたのだ。

 それはさておき、如何だろうか、これから年末年始の時候の挨拶などで、この蘊蓄(うんちく)を披露してみては。あなたの雑学王としての地位が向上するのではと思うが。但し、周囲から単にうるさいジジババだと嫌がられても、その責任を負う心算は一切無いので悪しからず。

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