小賢しい餓鬼

 平日の朝、真新しいランドセルを背負った小学生達が、上級生や父兄等に導かれ集団登校している姿をよく見かける。もしかしてひょっとすると彼等は将来この国をも背負って立つかも知れない、そんな事を考えてまた、ふと、私は思い出した。自分にも小学生だった時があったのだと。

 子供の頃私は、所謂早熟で身体も同級生よりは大きく、たいして勉強はしなかったが成績はまずまずだった。そして小学五年生の頃には早くも声変わりをしてしまい、音楽の授業ではまるでウイーン少年合唱団の一員からいきなりフランク永井になったような気になった。その後その声からアート・ガーファンクル小田和正を目指したエピソードはまた別の機会に譲るとして、当時は同級生が幼く見えてしまい一人で本ばかり読み耽り、一緒に遊ぶ事は少なかった。

 それでも学校ではイジメられたり疎外される事も無く、四年生の時からはずっと学級委員に選ばれ学校全体の生徒会に出席する一方、クラスでは週一回の学級会に於いては議長として純真無垢、純情可憐、無知蒙昧な少年少女達を仕切っていた。我ながら随分尊大な言い様だが、その頃は実際にそう思っていたのだ。

 さて、その学級会には当然担任の教員も出席する。ところが小学五、六年時の女性担任は毎回のように自ら議題を提示し会を管理しようとしていた。

 恐らく彼女は自分の生徒を一個の人間と見なしておらず、その証拠に我々対し、あたかも低学年の児童と対峙しているかの如く、おこちゃま言葉を使って話しかけていた。

 それを我慢出来なかった私は、事ある毎に衝突を繰り返していた。勿論、衝突と言っても暴力沙汰などではなく、あくまで論戦に終始した事は言うまでもない。

 そんなある日学年全員の徒歩遠足があった。目的地は学校から片道5km程度の古墳らしき跡地。ただその前夜は大雨が降り小高い丘陵とは言え高低差のある泥濘んだ道に転倒する者続出。我々のクラスでも女子児童の一人が泥だらけになった。

 地面は社会科で何度も耳にした関東ローム層。水分を含めば滑りやすくなる事位は子供でも充分予想出来た。にも拘らず何故どうしてもそこを通らなければならなかったのかと言う疑問が私には残った。

 果たしてその週の学級会の日、私が教壇に立ち議事を開始しようとすると、いつものように担任が先ずその日の議題を提示し私がすかさずそれに反論。遠足の反省会を行うべきと主張した。私は心に残った疑問を同級生達にぶつけ、それについてどう考えるかを問うたのだ。

 私の言葉に担任は少なからず驚いた様子だった。痛い所を突かれたような顔をしたが、結局、彼女は遠足について全て計画通りのコースを辿ったに過ぎないと説明し、何ら落ち度は無いという姿勢を崩さなかった。それに対し私はその日の状況に即した臨機応変な対応が必要だったのではないかと食い下がり、不毛な議論は決着を見ないまま学級会は時間切れで終わった。

 考えてみれば(否、考えなくても)私は実に鼻持ちならない嫌な子供だったと思う。こんな餓鬼が身近にいたらとてもではないが付き合いきれない。担任の心境を思うと慚愧の念に堪えない。

 しかし私はあの時、確立された権威に歯向かう時に感じるある種の恐怖感を覚えがらも、確かに純粋な気持ちでぶつかって行ったのだ。目を閉じればあの日自分が見ていた光景がはっきりと浮かんで来る。

 だが一方で私はこうも考える。「私の言っている事に間違いがあるか」と相手を追い込み威嚇したに過ぎなかったのではないだろうか。そして今自分は、それを引きずったまま嫌な大人になってしまったのではないか。

 過去の日々は取り返しのつかない過ちと、数え切れない後悔で充ち溢れている。 

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