令和参年 神無月
長イ夏ノ終ハリ
風走ル朝 枯レ葉ハ散リ 宙ニ舞フ
唯一人 想ヒ出ノ中
流レユク 雲ノ行方ヲ知ラズ
9月23日の「秋分の日」を境に、太陽の位置が最も低くなる「冬至」、12月22日まで、毎日凡そ1分間ずつ夜が長くなってゆく。
今日26日、「彼岸」が明けると、今年も残すところあと95日。今朝、郵便受けにはデパートからは早くも「おせち」の立派なカタログが送られてきた。
どうやらコロナ禍で過ごす三度目の正月になりそうである。勿論、不平を言っても始まらない。しかし、この中途半端に不自由な生活がここまで続くとは、一体誰が想像出来ただろうか。
今は唯、ひたすらコロナの嵐が収束する時を待つしかないが、それでも疲れ果てた心を癒すかのように、自然の営みは決して忘れる事なく、折々の花を咲かせ、移ろい行く季節を教えてくれる。
そして今回もまた私は、密を避けながらの散歩道で見つけた、草花の写真を纏めてみる事にした。
尚、カタカナは花名。( )はロマンチックな花言葉。
♪ そそら そら そら ウサギのダンス、タラッタ ラッタ ラッタ・・・
このままこの歌で終わらせてもいいのだが、それではお叱りを受けてしまいそうなので、早速本題へ。
さて、夜空で一番明るい天体「月」は、凡そ45億5千万年前、巨大隕石が地球に衝突(ディープインパクト)した際、飛び散った破片が固まって出来たと言われている。
従って「海」と呼ばれる表面の黒い部分は、当然地球と同じように大量の水が・・・無い。(日光が当たらない極地付近には氷が少しあるらしい)
そしてその海と白く輝く山岳部分とが織りなす模様を、日本ではウサギが餅をつく姿にたとえた。
これが中国ではひき蛙、ヨーロッパでは木に繋がれたロバ、ロシアでは老女の横顔となり、地域や人種、文化等によって、物の見方も随分変わるものだとつくづく思う。(諸説あり)
我が国のわらべ歌「十五夜お月様」を見て跳ねるウサギは、月にいるのか地上にいるのか定かでは無い。それはともかく、明日9月21日の十五夜は特別な十五夜である。
ご存知の通り、十五夜(満月)は平均29.5日周期で起きる天文現象だが、これは月が地球の周りを公転している為であり、天気に恵まれれば我々は一年に12回、満月を見る事が出来る。
では何故、明日が特別なのか。別にここ迄引っ張らなくても、最初から「中秋(旧暦八月十五日)の名月」と言えば済む話であった。(尚、「仲秋」は旧暦八月全体の事をいう)
我々は先祖の代から、この日に、様々な収穫の恵みを天に感謝する為、ススキと団子を用意し、東の地平線から昇ってくる月を愛でて宴を催して来た。
どうだろうか、今夜、晴れているようであれば、一千年前の貴人達に倣って、名月をツマミに一杯やっては。
尚、満月は光度が高過ぎて、天体望遠鏡での観測には不向きと言われているので、肉眼の方が良いかも知れない。
という事で今回は折角の機会なので、あまり写りがイイとは言えないが、これまで私が撮影した月の写真をスライドショーにしてみた。BGMはベートーヴェンかドビュッシーにするか、悩ましいところであった。是非、動画をご覧になって確認願いたい。
月に関する話は文字通り尽きないながら、今回はこの辺で筆を置くこととする。
・・・耳に鉢巻 ラッタ ラッタ ラッタ ラ ♪
流石に十日以上もブログを更新せずにいると、すっかりご無沙汰の感がある。その間、特段忙しかった訳でもなく「唯、移ろいゆく季節をぼんやりと眺めていた」などと呟けば、まるで世捨て人か仙人みたいに聞こえるかも知れない。
とは言え、このまま放置しておくのも如何なものかと思い、漸く重い腰を上げた次第。深い意味は無いが、今回は珍しく「薔薇の花」に特化してみようと考えた。
尚、読者諸氏の貴重な時間を無駄遣いしない為、動画の再生時間は2分20秒に抑えている。(こんな事しか自慢出来るものが無いというのも実に情けない)
高校二年の夏休み、秋に行われる文化祭の打ち合わせの為、クラスの責任者だけ数名で学校に集まった。その中には私の意中の女生徒も入っていた。
話が済んで下校する際、その旨、職員室に報告しに行くと、偶々日直で来ていた担任が、慰労として小遣いをポケットマネーから出してくれた。
私達はそれで「かき氷」を食べに行き、残金は花火を買って、昼間にも拘らず校舎の影で花火遊びをした。(無分別な火遊びをした訳でも、校舎に火をつけた訳でもない)
そんな他愛もない出来事が、いつしか心に残る素敵な夏の思い出に姿を変え、後に私は次のような言葉を綴って歌を作った。
日差しに歩く 後ろ姿が
子供のように はしゃいでたね
買ったばかりの 花火を振りながら
夜までとても 待てないなんて
あの時 言えば良かった
君がとても 好きだって
僕の心を 知ってるように
君の瞳が 笑っていた
あの日あの時、多分私は「青春」の真っ只中にいたのだろう。
という事で、今回は駆け足で通り過ぎた遠い日の「青春」と、暑かった今年の「夏」の名残に哀愁を込めて。
(尚、いつもの通りカタカナの花名と( )内はロマンティックな花言葉)