時折、忘れた頃に「はてなブログ」から、このようなメールが届く。
「下書き」のストックなど全く無く、常に自転車操業状態の私としては、これを利用しない手は無い。若干の後ろめたさに目をつぶり、早速2年前に投稿した記事を、以下の通り再掲する事にした次第。
「昔書いた童話」
大学2年のある日、突然友人から「童話」を書いてくれと頼まれた。彼が所属する同人サークルの小冊子に載せる為だという。
私は童話には殆ど興味が無く、それ迄に読んだと言えば、せいぜいサン・テグジュペリの「星の王子さま」位しか思い当たらなかった。しかもあの物語自体、童話なのかどうかも疑わしい。それでも余程暇を持て余していたのだろう、渋々ながら何故か引き受けていた。
今回はいつもと趣向を変え、埃まみれのその原稿を引っ張り出してきた。
「木霊」
僕はもう少しで泣き出しそうだった。こんなに遠く迄一人で来たのは初めてだったし、僕の大好きなお母さんからはいつも「森には恐ろしい鬼がいるから、絶対に行ってはいけません」と言われていたのに、今朝、そのお母さんと喧嘩した後、気がつくと僕は森へと続く細い一本道を歩いていた。
だけど今日はこんなにいい天気で、木立の間から小鳥達のさえずりが『おいでおいで』と誘っているし、それに僕の思いを少しも分かってくれないお母さんを、ちょっぴり心配させてやろうという気持ちも手伝って、思い切って森の中に入って行った。
しばらく歩いてみても鬼なんかいる様子は無く、僕は木漏れ日の当たる柔らかな草の上に寝転がって、「お母さんなんか嫌いだ」と呟いた。すると急に目頭が熱くなって涙が止めどなく流れた。そして僕はいつの間にか眠っていた。
それからどれくらい時間が経ったのだろう。目が覚めた時はもうほとんど夜になっていた。僕は驚いて飛び起き、あたりを見回したけれど、微かな月明りではさっき通ってきた道もまるで分らず、小鳥のさえずりの代わりにフクロウの声が不気味に響いているだけだった。
僕は急に怖くなり泣き声で「お母さーん」と叫んだ。
すると、遠くで誰かが「お母さーん」と呼んだ。僕によく似た子供の声だった。『誰か同じように迷った子がいるのかな』
「誰かいるの」僕は期待しながらもう一度叫んだ。
「誰かいるの」また遠くで誰かが答えた。
「僕はここだよ」・・・
「僕はここだよ」・・・
何処かにもう一人子供がいることは間違いない。この森の中で独りぼっちじゃないと分かると僕は少し元気が出てきた。
でもその時、『森の中には恐ろしい鬼がいる』というお母さんの言葉を思い出し、あの声の主が鬼だったらと考え、僕は恐る恐る、呟くような声で聞いた。
「君は鬼なの」
「君は鬼なの」相手も怯えながら尋ねた。
「僕は鬼なんかじゃないよ」僕は答えた。
「僕は鬼なんかじゃないよ」遠くから返事が聞こえた。
『相手が鬼じゃなくて良かった。でも待てよ、恐ろしい鬼なら僕を騙して食べちゃう事くらい朝飯前だろうな。それに、さっきから僕と同じ事しか喋らないのはどうしてだろう』
僕はそう考え、思い切って聞いてみた。
「君は誰だい。どうして僕と同じことしか言わないの」
今度はすぐ近くから声がした。
「オイラはコダマだよ」
「コダマ」僕はびっくりして、あたりを探したけれど誰もいなかった。
「そうコダマさ」
「何処にいるの」
「君の目の前の大きな木の中さ」
「木の中で何をしているの」
「何もしていない、時々人間が来て大きな声で呼ぶのに答えるだけさ。ところで君はどうしてこんなに夜おそく、ここにいるんだい」
「お母さんと喧嘩してここに来たら、いつの間にか眠っちゃったんだ」
「どうして喧嘩したんだい。お母さんが嫌いなの」
「違うよ、お母さんは大好きさ。だけど・・・」
「だけどどうしたの」
「僕は新しいお父さんなんか欲しくないんだ」
するとコダマは木の枝をゆすってカラカラと笑った。
「何がおかしいんだい」僕は怒ってそう言った。
「ごめんよ、だけど君は幸せだね。お母さんがいるし、お父さんだってもうすぐできるんだもの。オイラは君が生まれるずーっと、ずーっと前から、この森に一人でいるんだよ」
「僕はお母さん一人でいいんだ」
コダマはカラカラと笑って言った「それは困ったね。でもきっとお母さんは君の為に新しいお父さんを探して来たんだと思うよ」
「そんなの嘘だよ。お母さんは僕なんかどうでもいいと思っているんだ。僕の事、もう嫌いなんだよ」僕は泣き出した。
「そんなことはない。ほら今誰か君を探して森の中に入って来たよ」
「どうしてそんな事が分かるの」
「オイラは森の中のことはみんな分かるんだ。フクロウ君よりもね」
するとずっと遠くから僕の名前を呼ぶお母さんの声がした。「お母さん」僕は叫んだ。それに答えるようにお母さんの大きな声が聞こえた。
「ほら、言った通りだろう。だけどお母さんだけじゃないよ、男の人も一緒だ。きっと君のお父さんになる人だね」
僕は何も答えなかったけれど、コダマはまたカラカラと笑った。
「いいことを教えてあげよう。二人が迎えに来たら、君のお父さんになる人の手を握ってごらん」
「どうして」コダマはそれには答えず「さあ、もうそこまで来ている。それじゃあ、さよなら」
コダマがそう言い終わるとすぐ、お母さんが男の人と息を切らして駆けつけて来た。
僕はお母さんに抱きついて泣いた。『ごめんなさい』と言おうとしたけれども、言葉にならなかった。男の人は黙って微笑んで僕を見ていた。
「さあ帰りましょうね」お母さんは僕の手を取った。僕はコダマに言われた通り、もう片方の手を恐る恐る男の人に伸ばした。
男の人は頷いて僕の手を握った。その手は大きくごつごつしていて、お母さんのように優しくなかったけれども、その代わり力強く暖かかった。僕もそれに負けないよう力を込めて握り返した。
二人に挟まれて歩き出した僕は、後ろを振り向き、大きな声で「さよなら」と叫んだ。お母さんは不思議そうに僕の顔を見た。
「コダマにさよならって言ったんだ」僕は二人を見上げて得意げに言った。
「おかしな子」お母さんと男の人は嬉しそうに笑った。
僕はそれに合わせてカラカラと笑う、コダマの声が聞こえたような気がした。