I💗 MARTIN(その8)

 謎めいたマーティンD-45SQの出自について、凡その概要が判明し、そうなると今度は現物を確かめなければ気が済まなくなる。そんな風に直ぐに居ても立っても居られなくなる性分は昔から変わらない。早速店に電話を掛け未だ売れていない事を確認して、また御茶ノ水へ向かった。

 道すがら私はふと昔の事を思い出していた。

  私は私立高校を受験し不合格だったが、結果的に授業料が安い公立高校に進学する事を盾に取って、親にせがみ新しいギターを買って貰う事に成功した。

 劣等生には過分な報奨金を握りしめ御茶ノ水の楽器店へ向かい、お目当てのSヤイリYD-304を延々と試奏した。それまで使っていたヤマキ(削り節メーカーではない)の中途半端なギターに比べれば異次元の音質、音量であり文句の付けようは無い。迷わず購入を決めた。

 するとずっと傍に付き添っていた若い店員が、信じられない事に何と陳列棚からD-45を取り出して弾かせてくれたのだ。無論、私が頼んだ訳では無い。その頃は未だそんな事が言える程図々しくは無かった。

 その時彼がどのような思いで必死にギターを弾くガキに、夢のような機会を与えてくれたのかは判らない。しかし、私にしてみれば全く考えても見なかった出来事で、音がイイとか悪いとか、そんな事を判断する状況ではなく、まるで贔屓のアイドルタレントと握手した熱狂的ファンの如く「もう手を洗えない」などと訳の分からない喜び方をするのが精一杯だった。

 今にして思えば、そのD-45が1968年から69年にかけてサイド&バックにハカランダを使い製造された229本の内の1本だった可能性もあるが、勿論当時はそんな事はつゆ知らず、只々ボディーの縁を飾るメキシコ貝のインレイ(象嵌)の輝きに見入るばかりだったような気がする。

 もしかしたら私がD-45に異常な程惹かれる理由はどうやらこの装飾にあって、最も重要な音の事は二の次だったのかも知れない。

 冷静に振り返って、最初はCSN&Yが四人揃ってアコースティックギターを抱えたモノクロ写真、次にTVで加藤和彦が新曲「あの素晴らしい愛をもう一度」を弾き語りする姿、そして更にはGARO堀内護日高富明の恰好イイ演奏。そんな彼等が持っていたキラキラ輝くギターが、まるで美しい宝石のようにこの目に焼き付いたのだ、と思う。

 その昔「いつかはクラウン」という言葉があった。我が国のドライバー誰もが最終的に欲しいと思う車種のキャッチコピーである。「私にとってそれは車では無くD-45という名のギターなのだ」

 御茶ノ水駅到着を告げる地下鉄千代田線のアナウンスを聞きながら、私は確信めいた結論に達している自分に気がついていた。<続>

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      D-45SQのソリッド・アバロン・インレイ